競争心がなくても、ガツガツしなくても、楽しむこと

私がお勧めしている通り、子どもに驚いて見せているのだが、競争心がなく、ガツガツと学ぼうという姿勢も見られない、という相談を受けた。
「あいつには負けたくない」という競争心は、学習意欲の大きな動機になる、と一般に思われがち。なるほど、トップクラスで一位を争う人たちならそうかも。

しかし、勉強にしろスポーツにしろ、何事もパッとしない私は、人と比べたり、人と競ったりしたら見劣りするばかりだったので、競争が嫌いだった。「負けて悔しくないのか?」と言われても、いや、どうしようもないやん、嫌な思いを強めてどないすんねん、という気持ちが強かった。

すでにトップクラスなら、あいつに負けたくない、というのは動機になり得るだろう。しかし大概の人に負けていた私は、競争心はむしろ意欲を失う原因だった。トップクラスにいられるのはごく一握りの人間だとしたら、多くの人間にとって、競争心はむしろ意欲を減退させる原因かも。

私は、「楽しむ」ことを何より大切にしている。娘(小1)はそろばん塾に楽しそうに通っている。同時期に入塾した子どもに級位で抜かれているし、何なら後から入ってきた子にも抜かれている。本人もあっけらかんとそれを認めている。それでも楽しそうにそろばん塾に通い続けている。それでよいと思う。

勝ち負けや競争にこだわると、「あいつにさえ負けた、もう嫌だ」と、投げやりになりかねない。すると、その分野で頑張り続けることができなくなってしまう。成長が止まってしまう。競争心は、トップクラスでない限り、その分野を学ぶ意欲を失う原因になりかねない。

娘はガツガツと級位をとろうという気配もない。後から入ってきた子どもに級位を抜かれても平気でいる。それでも楽しそうにそろばん塾に通っている。これが大切。楽しく継続していれば、本人なりのペースで成長する。学ぶ。楽しんでいれば、それは本人にとって最速の学びとなる。楽しい学びは速い。

本人にとって最速であっても、それは他人と比べて最速とは限らない。でも、本人が楽しんで学んでいて、その学びが最速なら、言うことないじゃないか、と思う。どうして他人と比べる必要があるのか?その子が楽しんで成長していれば、それで構わないと思う。

そんな娘でも、「13わる2は、6てん5」といって私たちを驚かせる。今までできなかった計算ができるようになっている。それで十分じゃないかな、と思う。何より、そうした数字の計算を楽しんでいることが素晴らしいと思う。

私は、勉強にしろスポーツにしろ、競争の場に置かれたら、劣等生だった。勝てる気がしなかった。それでも、大人になって「競争」という呪いを解除し、徐々に学ぶことを楽しむようになったら、以前はできなかったことができるようになって、実に楽しかった。

私は子供のころ、ボールの投げ方はまるで砲丸投げだった。当然、遠くになんか投げられない。スピードも遅い。競争したら負けっぱなし。
でも、大人になって、ピッチングフォームの改造に取り組んだ。すると、30代半ばにして、かなり速い球を投げられるようになった。自分でもびっくり。

バッティングセンターは、子どものころ、かすりもしなかった。それでも大人になって体の動かし方の研究を楽しんでいたら、かなりの打率で当てられるようになった。30歳過ぎてからだけど、できなかったことができるようになって、楽しい。

市民マラソンなんかだと、「学校時代は体育が大嫌いだった」という人が結構多い。けれど人と比べず、走るのを楽しんでいるうち、自己ベストを更新できたりして楽しんでる人は多い。人と比べるのをやめた途端、走るのが、体を動かすのが楽しくなった、という人は多い。

学ぶことも、人と比較することをやめれば、楽しい。わからなかったことがわかった、できなかったことができた、って、とても楽しい。楽しんでいれば、その人の歩調で成長する。それはゆっくりかもしれないが、その代わり、キリがない。いつまでも成長する。

私は、生涯学ぶことを楽しめる子どもに育ってほしい、と願っている。学ぶことを苦行にしないでほしい、と願っている。学ぶことは楽しい。まなぶことを楽しんでいれば、際限なく成長する。際限なく成長すれば、自分でも後から驚くほど成長できる。他人と比べる必要はない。

楽しんでいると、ガツガツした感じになるとは限らない。楽しみつつ、無理をせず、学ぶ形もあり得る。それでも楽しんでいると、退歩がない。このため、いつまでも成長し続けられる。ガツガツしていなくても、いつの間にかずいぶん前に進んでいることになる。山登りのように。

娘はひどくマイペースで、2才には字を書き始めたくせに、小学校に入るまで書けない仮名が数文字あった。息子と違って、字を書けることにあまりこだわりがなかった。それでも小学校に入って教えてもらったら、書けるようになった。それで十分だと思う。

かと思ったら、娘は20冊以上ある「まんが日本の歴史」を読破した。それも、何回も繰り返し読んでいる。実に成長がデコボコ。小学校に入る前から、Scrachでプログラミングができる。けれど、そろばんはさほど進まない。興味のあるところしかやらない。虫食い。

でも、それでも良いと思う。ほっといたら、お兄ちゃんの愛読書「算数大図鑑」も読み始めている。私は「それ、面白いか?」と呆れるように言うのだが、楽しそう。楽しんでいれば、まあ、本人なりのペースで成長するだろう。

結局のところ、私は成長するかしないかもあまり気にしないようにしている。ただ、楽しんでいるかどうかは気にしている。楽しくなくなってしまうような要素(競争とか比較とか)はなるべく消し、本人が本人のペースで楽しめるようになっているかだけ、気を配る。

息子も娘も、ふと気になった時、それまでそんなでもなかったのに急に集中力を発揮し、急速に成長を見せることが多い。楽しんでいるからそうした「ハプニング」が起きる。興味ががぜん湧くタイミングが訪れる。けれど、それがいつ訪れるのかはわからないし、コントロールする気もない。

娘はお兄ちゃんと違って、九九にも興味がわかなかった。しかし2の段を言えた時、家族全員が驚き、拍手したのをきっかけに、全部一気に覚えてしまった。娘は、興味関心がいつ湧くかわからない。自分でもどうしようもないようだし、親である私にもどうしようもない。いつその時が来るかわからない。

だからまあ、楽しんでいればいいのかな、と思う。ガツガツしなくてもいい。競争なんかしなくていい。自分が楽しければそれでいい。私はそう思う。すると不思議なことに、「ついでに」その子にとって最速の成長を遂げるのだから、まあ、楽しんでいればそれでいい。

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