「高学歴父親とそうでもない母親」で管理教育ママに陥るケース

実例をいくつか知ってるけど「サンプル数少ないし」と黙っていた案件。ところが複数の指導者から同じ話を最近よく聞くので、これはやはり比較的よく起きる症例らしい。
高学歴父親とそうでもない母親の組み合わせの場合、母親は勉強以外を許そうとしないガチガチの管理教育をしがち。

もし子どもの成績が悪い場合、「私が悪いからって話になるじゃない!」と考え、何としても勉強できるようにしようと長時間の勉強を子どもに強い、ゲームやマンガ、テレビなどの娯楽は極端に制限するという管理に走りがちな傾向。

私の知ってるケースでは、父親は幼い頃から成績がよく、「親から勉強しろと言われたことがない」という父親ばかり。だから妻(母親)が子どもを勉強漬けにし、遊びを極端に減らすことに困惑してる。しかしそのことを妻に告げると「もしほっといて成績悪かったらどうするの!私のせいになるじゃない!」

何を言っても聞き入れてもらえず、手を焼いて結局母親の思うようにやらせるしかほかなくなってる。
こうした家庭で子どもはどう育つかというと、そこそこの大学に合格はしても、旧帝大に合格できるほどの成績になることはまずない。しかしこれはまだマシなケース。

不登校、引きこもりになってしまうこともある。母親の行き過ぎた管理教育に音を上げ、あるいは拒否感が強まり、ついに完全拒否に陥るケース。こうなるとすっかり勉強が嫌になってるから、学習に復帰させることは非常に困難になる。思春期に入ると一気に問題が表面化しやすい。

確証はないが、農水省元事務次官が息子を殺したケースも、得られた情報を総合すると、このケースにあてはまる可能性を感じている。母親は「お父さんみたいになりなさい」といい、小学生の間は問題が表面化しないけど、思春期になって一気に不満が爆発し、親に逆らうようになったのでは、と。

「高学歴父親とそれほどでもない母親」のパターンで母親が管理教育ママになった場合、母親は様々な記事を読み、セミナーなどを受講して理論武装してるから、自身の体験しかない父親は、いくら自分が高学歴でも、リクツで母親を説得できない。言い負かされてしまう。

ほとほと手を焼いて困った父親が、私に相談してきたこともある。しかし私みたいな小さな塾を主宰していただけの人間の話なんて、母親は耳も貸さない。内心鼻で笑ってるな、というのがよくわかった。当時は私も子育て本を書いていなかったし、そうした母親を説得するだけの世間的評価がなかった。無力。

こうした指導を受けてきた子どもたちに共通するのは、勉強嫌いだということ。強制されてやってきただけで、好きで勉強してきたわけではない。大学に入って母親の拘束から逃れると、マンガやアニメ、ゲームに溺れ、依存症になるケースも少なくない様子。反動が大きい。中退になることも。

大人になって引きこもりになってしまうこともある。さすがに統計処理できるほどのケースをたくさん知ってるわけではないのでなんとも言えないが、そこそこの大学に行けるのは幸運なケースで、途中で脱落、あるいは大学に入ったあと総崩れになるケースもよく見る。

これらのケースから私が学んたのは「学ぶことが嫌いになったら元も子もない」ということ。そこそこの大学に合格した幸運なケースでも、ゲーム依存症になったりなど、勉強拒否症に陥ってるケースが実に多い。社会人になってから実家と縁を切るケースも知っている。

社会人になっても学ぶことを楽しみ、実家とも良好な関係を築ける、ということを重視する観点からすると、その状態に至れるケースがどうも見当たらない。子どもに強いひずみが生まれていて、大人になったあと、親子関係がギクシャクしてるケースばかり見ている。あまり望ましいアプローチと思えない。

子育て本を書くにあたって、これらのケースのことは強く念頭に置いていた。勉強を強いては勉強嫌いになる。さりとて、こうした母親が、放置したからといって子どもが勉強するとは限らないではないか、と不安がる気持ちもわからないではない。子どもに勉強を強いず、学習が楽しんで取り組むようになるには?

私の書いた子育て本は、そうした意図からも書いてある。興味深いことに、旧帝大に合格するほどの成績だった人は、子どもの頃に勉強しろと言われたことがない、という共通点を持つ。勉強を強制されたケースは相当にまれ。「小さい頃から勉強できたから言われなかったんだよ」という仮説は確かにある。

しかし、幼児を見てると、のびのびと学んでいる。学ぶことを楽しんでいる。本来人間は、学ぶことが楽しくて大好きな生き物なのだと思う。しかし強制は大嫌い。勉強という言葉は、中国の人によると無理やり強いる(勉(つと)めて強いる)という意味らしい。まさに勉強は強制。

しかし、子どもが自分で興味を持って学ぶ場合、好きでやってるから楽しそう。しかも短時間にものすごい情報を獲得する。ならば「学ぶことを楽しむ」ことをしっかり理論化し、「高学歴父親とそれほどでもない母親」の場合でも、子どもがのびのび学ぶことを選択したくなる理論を提示できないか。

そう思って子育て本を書いた、と言っても過言ではない。子どもがすっかり嫌気が差し、しかも勉強だけでなく人生の全てに嫌気を差し、家庭が崩壊してるケースを知っているので、こうした人たちに代替案を示し、最悪の事態を回避することはできないか、と考えた。果たしてこれが功を奏するかどうか。

私の本を読んで目からウロコだったと言ってくれる人は多い。しかし、有名私立小学校の受験だ、中学受験だ、大学はここ以上でなければ、と躍起になっている人たちの目にとまる本になっているかどうか。読んでみてもらえば、自分がとってる手段がいかにまずいものかわかってもらえるとは思うのだけど。

子どもたちがつらい日常を過ごすことがないように。学ぶことを楽しめますように。家族とも仲良く良好に、笑顔の絶えない関係性が続きますように、と願っている。しかし、管理教育ママになってしまう道は、そうした状態になれる可能性をずいぶん狭めているのでは、と懸念している。

それにしても、自分で「高学歴父親とそれほどでもない母親」と書いておきながら、この表現に社会の闇を感じてしまう。なぜ母親が、父親に学歴で及ばないからと言って強い劣等感を持たねばならないのか?そこがおかしいと思う。もちろん、劣等感を持つ理由は承知してるつもり。ただ。

私のYouMeさんは、学歴では私に及ばないかもしれないが、私よりはるかに賢く、性格もよいと尊敬している。
私の職場には高卒の人も複数いるが、テキパキ仕事をこなし、能力も申し分ないなあ、と思う。そこまで学歴に意味があるとは思えない。私は、学歴は頭の良さを示してないと思う。

なのになぜ、学歴にそこまで劣等感を持ってしまうのか?私の知っているケースでは、母親の側が独身時代に高学歴の男性をつかまえようと努力し、それに成功したという感じ。その頃からすでに学歴コンプレックスを持っていたのだとしたら、問題は根深い。

また、夫婦ともなったあと、互いに尊敬し合える関係にあるか、ということも大切な気がする。また、子どもの教育方針について、母親に任せきりにするのではなく、父親がどれだけ関与しようとしたかも課題になる。もし子育てを母親に丸投げしてしまったとしたら、修正は難しくなる。

こうした夫婦の組み合わせの場合、学歴コンプレックスが絡まると、教育方針について夫婦で合意を得ることが難しくなる。教育研究者の方は、
・高学歴父親とそれほどでもない母親
・母親に学歴コンプレックス
・子育てはほぼ母親
という条件を備えた場合、子育てがどうなりがちか調べてみてほしい。

そうした客観的なデータがあると、不幸な状態に陥る家庭を減らすことにつながるかもしれない。
ともかく、学歴にあまりこだわることなく、学ぶことを楽しんでほしいと思う。学ぶことを楽しむ力のある子は、どこでも生きていけると思うから。

学ぶことを楽しめる子は、どんな分野に進んでも楽しく学べることを見つける。楽しく学べば知識も技術も身につく。楽しそうならば人も集まる。それだけの条件が揃っていれば、どこででも生きていける。学ぶことを楽しむ人は最強だと思う。

もっともっと、学ぶことを楽しむ社会であってほしい。学ぶことを強制する「勉強」になってしまっては、楽しくない。つらくなる。それは子どもの生きる力を大きく削いでしまう。勉強ではなく、学ぶことを遊んでほしい。そう思う。

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