「生産」より「消費」、そして省資源・省エネ消費へ

働きの悪い会社や個人は退場してもらい、優秀な企業、個人に活躍してもらった方が製造業もサービス業も生産性が向上し、消費者に安く良質なサービスが提供できる、これは経済的にもよいことだ、と私たちは信じさせられている。実はこの考え方、現代だけでなく、戦前に強く信じられていた。

しかし、失業させられた人には収入がなく、安くて良質なはずの製品やサービスを購入することはできない。結果、粗悪でもっと安いものを買うしかなくなる。あるいは、そんな安いものさえ買えなくなる。デフレが加速する。社会格差が拡大する。戦前に起きていた社会状況はまさにこれだった。

ケインズは、なぜこんなことになるかを考えた。そこで気がついたのは、経済学が「生産」に重きを置きすぎて、「消費」を軽視していたこと。たとえ優れた企業、優れた人物が良質な製品を製造したとしても、それを購入する消費者がいなければ話にならない。

なのに、新自由主義では、働きの悪い会社をつぶし、働きの悪い人間をクビにしろという割に、その人たちがどうなるかは考慮の外だった。この人たちは購買力を失い、消費者でいられなくなる。その結果、生産力があっても誰も買わない社会が生まれてしまう。社会格差も巨大化する。

ケインズは、経済学の軸足を「生産」から「消費」に移した。消費する人が増えれば、生産したものが次から次へと売れるから、生産を増強しようなんて考えなくても勝手に増強される。生産が盛んになるから給料も上がり、さらに消費が活発になる。経済がよく回るようになる。

なぜ「生産」に軸足を置く自由主義、新自由主義がもてはやされたのだろう?それは、優れた企業、優れた個人に投資する人(金利や株の含み益で儲けるお金持ち)が儲かるから。従業員は少ないほど、株の配当金とかを厚めに株主に配れる。なら、従業員は少なければ少ないほど良い。

しかしこれだと、排除された人たちは生活ができなくなる。生きていけなくなる。お金持ちに有利な社会は、社会的に立場の弱い人たちには、とても生きづらい社会。あまりに生きづらい社会だったから、戦前、マルクス主義が台頭した。マルクス主義は明確にお金持ちを敵視した。

事実、共産主義が吹き荒れた国では、お金持ちは全財産没収、ひどい場合は殺された。昨今、新自由主義が吹き荒れたはずのアメリカなどで見直しが急速に進んでいるのは、「このままだとまた共産主義が復活しかねない」と不安になったからだろう。

しかし、共産主義にも大きな欠点がある。人間の所有欲、所有権を否定している面があり、そのために、頑張って働いてお金をちょっとでも多めに稼ぎたい、という努力を無意味にしてしまう。ソ連が崩壊したのは、ある意味必然だったろう。

ケインズは、マルクス主義のような全体主義ではうまくいかないと考えた。人間の欲をあまり否定しすぎるべきではない。しかし金利や株の含み益で肥え太るお金持ちだけが有利になる社会はいびつ過ぎる。そこで、生産ではなく消費に軸足を置いた経済学を提唱した。それが戦後の欧米各国で大成功した。

ただしケインズ経済学も、現代では修正が必要。「消費」を促せば経済が回るのだが、それはともすれば「大量消費」を促すことになる。大量生産大量消費。これを、環境問題をいろいろ抱える地球でやっていいものか。疑問が残る。

ネット経済は、その問題をクリアする可能性がある。インターネットは、電気エネルギーは消費するが、うまくデザインすれば紙などの資源をあまり消費せず、モノの消費もせず、エネルギーや資源をあまり消費しないのに「消費を促す」ことが可能かもしれない。

今の若い人は、昔の人間と比べて物欲が強くないと言われる。昔は自動車を持ちたいだとかいろいろあって、消費はそのまま資源とエネルギーの浪費を意味していた。しかし若い人の関心は、かなりネットに集中している。ネット上での経済はかなり盛り上がっている。

ならば、資源やエネルギーをあまり浪費せずに済む、ネット上の製品・サービスの「消費」を中心とする経済を構築することは可能に思われる。問題は、ネット経済で購買力を発揮する消費者をどうやって育成するか。

そのためには、ネット企業に雇用をなるべくシフトさせ、給料もネットから貰えれば、消費もネットで完結するネット経済を構築することが望ましいだろう。公共投資は、ネット企業の雇用を促すようなものに設計しなおした方がよいかもしれない。それも、大した技術を持たない人を雇うような。

ネット企業は高度な人材しか要らない、というかもしれない。確かに、ネット産業は新自由主義が台頭した時代に寄り添うように育ってきたという歴史があるから、技能のない人を雇う経験がない。しかし同じ道を、製造業もたどっているということを思い起こすと、ちょっと見え方が変わる。

戦前も製造業はそんなに人は要らなかった。繊維業は、それまで手作業で働き、賃金を得ていた人の仕事を奪うくらい、少人数で大量の繊維を作り出せていたのだから。そして自由主義経済だったので、雇うにしても低賃金でこき使った。

戦後、共産主義に飲み込まれるくらいなら、と、欧米日本の先進国はケインズ経済学を採用し、国からの強いプッシュもあって、製造業は無理してでも雇用を守るようにした。不況になっても失業者が出ないよう、大蔵省は銀行を通じて潤沢に資金を融資した(大企業には)。

中小企業に銀行など金融業は冷たかったが、中小企業の社長は必死になって雇用を守ろうとし、自分の財産を担保にして銀行から融資を受けていた。結果的に、日本全体が雇用をなるべく守り、その結果、消費を守る経済になっていた。

松下幸之助は、「今、日本の会社は、みんな失業者をかかえとるのや。私どもでも一万人は遊んでいる」と発言している。今の新自由主義なら、仕事にあぶれている会社人はみんな解雇したらよい、という話になるだろう。しかし当時は、みんな必死になって雇用を守っていた。
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消費をする人がいなくなったら経済は回らない。人間が消費するには、収入がなくてはならない。この認識を、日本社会全体が共有していた。その意識を失ってしまったことが、今の日本の現状。

問題は、ネット企業は国境をまたいでしまうこと。ネットショップで購入すると、アマゾンは日本で大して納税せずに収益を別の国に持っていく(しかも税金の安い国で処理したり)。Facebookで宣伝打つと、その収益も日本じゃないどこかへ。日本での消費が海外企業の収益になり、日本でお金が回らない。

どこの国もGAFAには苦しめられているだろう、と思ったら、タイにはアマゾンがなくてビックリした。アマゾンと似たサービスを、国内企業?が提供しているらしい。アマゾンを入れさせないことは国によっては可能なんだな、と認識を改めた。

もちろん、アマゾンが日本できちんと納税してくれるなら、日本企業と違わないので、大きな問題はなくなる。また、日本で上げた収益に見合う雇用を日本で行うなら、なおよし。その方向にもっていくことが大切だと思う。日本だけでなく、世界で。

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