馬に水を飲ませる方法

最近、子育てや部下指導の話題で「馬を水場に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」ということわざを耳にすることが多い。勉強机に座らせることはできても勉強させることはできない、デスクにつかせても働かせることはできない、ということを言いたいのだろう。けれど。

私は、馬に水を飲ませるのは簡単だと思う。水場に連れて行かなきゃいい。すると、馬はなんとしても水場に行きたがり、水場に着いたとたん、ガブガブ水を飲むだろう。
水を飲ませようとすぐに水場に連れて行くから飲まない。ノドが乾いてからなら止めても飲むように思う。

私は赤ん坊の頃、ミルクをあまり飲まなくてホトホト母を困らせたらしい。ミルクを少し口にしただけですぐ眠ってしまう。ちっとも体重が大きくならず、ノイローゼになったという。
しかし三人目の弟になると。今日はよく泣くなあ、と思ったら、「あ、ミルク忘れてた」。ほ乳瓶一本明けておかわりまで。

どうやら、私の時は三時間おきの授乳を厳密に守ろうとしたらしい。まだ寝てるのにほ乳瓶をくわえさせて飲ませようとするのだけど、当然眠いからすぐ寝てしまう。赤ちゃんも「どうせすぐミルクがくる」と思うから飲もうとしなくなってしまったらしい。他方、弟の場合は。

腹減った!と泣いてるわけだから、実際空腹。それでもしばらくミルクが来ないから、空腹絶頂。ミルクが来たら「ここで飲んどかなきゃまた腹が減る」と考えるのか、お代わりをせがんで泣く。だからほ乳瓶二本分飲んでようやく眠りに。もはや三時間おきでなくても、しばらく間が空いても大丈夫。

私はYouMeさんと相談し、「もし赤ちゃんが元気で生きる力が十分そうなら、三時間おきの授乳と言われていても、あまりかっちり三時間でなくてもよい、と考えよう」と少しゆとりを持つようにした。そして、新生児期はともかくとして、赤ちゃんが空腹になるよう、心持ち意識するようにした。すると。

ミルクをよく飲んだ。腹が減ってるからよく飲む。よく飲むからぐっすり眠れるし、三時間きっかりでなくても腹がもつ。ミルクをよく飲むと空腹感も強まりやすいのか、はっきりハラヘッタと泣くので、元気さも確認しやすかった。泣くから運動になり、腹減って、よくミルクを飲むようだった。

子どもがゲームをやりたがるのは、ゲームをなかなかやらせてもらえないからではないか。
ならば、宿題も「やらなくていいんじゃない?それよりこれを手伝ってよ」と、むしろ宿題するのを邪魔するくらいがいいんじゃないか、とYouMeさんと仮説を立てた。

宿題をやる、と子どもが言い出したら、「無理しなくていいよ」と止めに入る。すると子どもはむしろアマノジャクになって、「いや、やる!」とか言い出したりする。そこで「え!」とビックリした顔をすると、子どもは内心、やった!と快哉を叫ぶらしい。嬉しそう。

宿題しようとするのを軽く邪魔するくらいに接すると、障害を乗り越えて宿題をゲットするゲーム感覚になるらしく、邪魔をうまくすり抜けて宿題をしようとする。「もう宿題終わらせたよ!」と言ったとき、「いつの間に!」と驚くと、嬉しそう。

部下の指導でも、「ま、ここまでやったら十分ですから」と仕事を少なめにしておくと、「中途半端なのでここまで済ましておきました」なんて言ったりする。その時驚いた顔して「え!こんな短時間に!」すると、テキパキたくさん仕事をするようになってくれる。

少し押さえ気味、邪魔する、止める、くらいにすると、水場になかなか連れて行ってもらえない馬が水を飲もうとするように、子どもは学び、部下は働くようになるように思う。自発的に。なぜなら、人間は学ぶのがだいすきだし、働くことも好きだから。

「いま勉強しろ」「いま働け」と強制するからイヤになる。いま水を飲め、と言われても馬は水をはじめとする飲もうとしないように。馬は自分の飲みたい時に飲みたい。それと同じように、子どもは学びたいときに学びたい。部下は働きたいときに働きたい。自分の裁量に任せてほしい。

少し邪魔するくらいにすると、邪魔を排除してでもやろうとする自発的な自分、という満足度も味わえる。「そこまでしなくていいよ)と言われたのに頑張った、という自己イメージのアップにもなる。止めた人間の裏をかいてやった、という痛快感も味わえる。こうした感覚が、ちょっと邪魔すると生まれる。

馬が水場に行こうとするのをちょっと邪魔する、というのが、自発性、能動性を促す一つの方法だと考えている。もともと水を飲みたいという欲求はあるのだから。そして人間は、学びたい、働きたいという欲求がもともとあるのだから。それを「邪魔する」というスパイスで味付けすればよい。

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