農業の効率化には非農業の元気が必要

欧米先進国では、農家は人口の1%程度しかいない。世界一の農業国アメリカでも同様。しかもそのわずかな農家が、アメリカどころか世界に大量の食料を輸出する始末。一人当たりが耕す農地は広大。こうした大規模農業を進めたら、農業生産はずっと効率化できるように思える。しかし。

もし農業以外にめぼしい産業がない国でアメリカと同じ大規模農業を展開したら、悲惨なことになるだろう。なぜか。非農業の産業がないため、農業をやめても勤め口がない。農業以外の仕事で稼ぎようがない。

そう、欧米先進国で農家が1%しかいなくてもやっていけるのは、99%の人々が非農業で稼げるから。非農業が元気だと、農業が大規模経営にすることが可能。農業をやめても雇ってくれる会社があるから。

しかし、農業以外の産業が育っていない国で大規模農業を行うと、農業で人が要らなくなる。しかしその人たちは行き場がない。非農業の産業がないから、誰も雇ってくれない。やむなくコーヒーやカカオなどのプランテーションで賃仕事をするしかなくなってしまう。

もしコーヒーなどの価格が暴落してしまうと、賃金も減ってしまう。すると、コーヒー農園で働いているのだから農家といえば農家なのに、飢えてしまう。コーヒーでは腹を満たせないから。自分では小麦やキャッサバなどを育てる農地を持っていないから。

アフリカなどで飢餓が発生すると農家が飢えてしまうのは、非農業の産業が育っていないから。なぜか。非農業の産業が育っていると、その人たちが消費者として農産物を買ってくれる。すると農家は現金収入が得られ、それを蓄えとすることも可能。だけど非農業の産業がろくにないと。

農家は農産物を売りたくても、買ってくれる人がいない。このため、自給自足的な生活を強いられる。そんな生活だと当然貯金はない。こんな状況下でもし凶作になると、食べるものがないし現金がない。当座の生活をどうにかする蓄えもない。やむなく、生きるために田畑を売らざるを得ない。

しかしそういう時はみんな農地を売ろうとするから買い手がつかない。二束三文で売るしかなくなる。すると、現金を手に入れても少額で、あっという間に食い詰める。こうして、農地も失い、食料もなく、お金もない状態になって、飢餓が発生する。こうした仕組みはアマルティア・セン「貧困と飢饉」参照。

非農業の産業が育っていれば、農家はその人たちに農産物を売ることができ、すると現金を貯めることもでき、いざというときに食つなぐこともできる。あるいは非農業の仕事へ出稼ぎに行き、当座の生活を食いつなぐことも可能。非農業が発達していると、農家は飢えずに済む。

農業は食糧を作る産業だから、農家なら飢えることはない、と考えがち。ところが話は単純ではない。国民が農家ばかりの国では、現金を得る機会がほとんどないため、ちょっと凶作が起きると飢えてしまう。飢えをしのぐための現金もないから飢饉が起きてしまう。

農家が飢えないようにするためには、非農業が元気である必要がある、という、ちょっとややこしい話になる。凶作と言っても、大概は特定の地域のみひどく、国全体で見ると全国民を養えるだけの食料があったりする。これは、アマルティア・セン氏による多くの大飢饉の分析でもそう。

しかし、食料が足りない地域に食料を融通するお金がないとき、飢饉は起きる。地方政府、あるいは国がそのお金を工面すれば、飢饉は起きずに済むのに。しかし農業しか産業がない国はしばしばそのお金の工面に苦労する。ためらっているうちに、大飢饉に発展したりする。

農業を効率化し、少人数でも田畑を耕せるようにするためには、非農業の産業が元気である必要がある。この視点を欠くと、農業の効率化はむしろ行き場のない失業者を生むことにもつながりかねない。今の日本は非農業の産業に元気がないから、よけいに心配。

非農業の産業が元気で、その人たちが稼いでいると、高価な農産物も売れる。すると農家も儲かる。ちょっとした凶作があってもそのお金でしのぐことができる。非農業が元気だと、農家も元気になる。もし日本の農業に元気がないとしたら、それは非農業に元気がないのかもしれない。

農業の発展には非農業の存在が必要。そんな視点を明確に語る本は見当たらないので、拙著が最初になるかもしれないけれど、ヒントはアマルティア・セン「貧困と飢饉」やセオドア・W・シュルツ「貧困の経済学」から得ている。言外にそうしたことを指摘しているようなもの。

よく、アフリカの農業は旧態依然としているから、アメリカの優れた農業技術を普及させるべきだ、という話があるけれど、農業しか産業がない国にアメリカの大規模農業の技術を導入したら、行き場のない失業者であふれ返ってしまう。だからここはよく考えなければならない。

アフリカの農業を改善したいなら、農業以外の産業を育成したらよいだろう。そうすると、農作物を高く買ってくれる消費者が登場する。すると、新しい技術を導入する資金力が農家に生まれる。非農業が元気になれば、農業も元気になる。

農業しか産業のない国に大量生産技術を持ち込んだら、食料が余ってだぶついて、食料価格が下落して、そうでなくても少ない現金収入がさらに減ることになる。そうなると農家同士で潰しあいになる。農業以外の産業が育っていない国で、穀物の大量生産技術は、むしろ貧困化を促進しかねない。

農業というのはこのように、経済学的な視点から考えると奇妙な動きをする。でも、ある意味、経済学的に忠実に動いているからだともいえる。ただ、私たちが単純にそう信じていた姿とずいぶん異なる。そのことを認識しておいた方が良いように思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?