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【映画備忘録 #1】ある夏の暖かさが包む痛くて優しい時間"マイ・フレンド・フォーエバー/The Cure"

きっかけはX(旧Twitter)で見かけたこちらのポスト。

映画作品を2~3枚の漫画を通じて分かりやすく紹介することで有名な大友しゅうまさん。
フォローはしていないものの時折おすすめに流れてきた際には、ついつい見てしまうアカウントの一つだ。
今回もいつもの如く私のおすすめに流れ着き、目に止まったのがこの“マイ・フレンド・フォーエバー/The Cure“
あらすじに惹かれ、翌日テレワーク(という名のサボり)中にも関わらず我を忘れて観た備忘録を残していく。



作品情報


あらすじ

輸血が原因でエイズに感染した11歳の少年デクスターと、その隣に住む12歳の少年エリックのひと夏の友情と冒険を描いた感動作。エリックの隣にエイズ感染者のデクスターが引っ越してきた。初めは偏見から距離を置き、塀越しに会話をしていたが、やがて塀を乗り越え、二人は一緒に遊ぶようになり固い友情が芽生えていった。そんなある日、タブロイド新聞で医師がエイズの特効薬を発見したという記事を見つけ、二人はルイジアナを目指して旅に出る……。輸血感染によるエイズを扱った初のハリウッド映画。

ぴあ映画より

キャスト

エリック ブラッド・レンフロ
デクスター ジョセフ・マゼロ
リンダ  アナベラ・シオラ
ゲイル ダイアナ・スカーウィッド

エリック役のブラッドは今作で初めましてなのだが、どこか“青春の幻影“(何それ怖い)と呼んでいるリヴァー・フェニックス(インディ・ジョーンズ/最後の聖戦あたり)やネバーエンディングストーリーのアトレイユを彷彿とさせた。出演作品としては2作目とは思えないほど自然体で、みずみずしい演技がよりグッと引き込まれた。
そしてエイズに感染したどこか影を感じる少年を演じたデクスター役のジョセフは、見た瞬間「あ!ジュラシック・パークだ!」とすぐに分かった。ジュラシック・パークのティムといえば、いつも姉の後ろに隠れている気弱な弟というイメージだ。こういう役どころが板に付いていると言うと語弊があるが、病気が原因で自由に過ごすことは出来ずに孤独でありながら母親に大切に育てられた少年役の演技はジョセフ以外に考えられないだろう。


感想(※ギリギリネタバレあり)

惹かれ合う孤独な少年

エリックとデクスターは孤独だった。2人が出会うまでは。
エリックは夏休みを目前に退屈そうに授業に参加して、友達と呼べる人間は学校にはいないように見えた。家族というのも父親は離婚して遠く離れたニュージャージーに住み、一緒に住んではいるものの自分に対して無関心で世間体だけは気にするアルコール依存症の母親を持っていた。愛に飢えた孤独な少年という印象。
デクスターは反対に過剰といえる程、愛情を注いでくれる母親がいる。しかし、病気が原因で学校には通っておらず友達はいない様子。毎日同じことの繰り返しのように庭で1人で遊んで過ごす孤独な日々を送っていた。純粋で優しい少年という印象。
対照的な2人だが、同じ「孤独」を抱えていた。
2人の家は隣同士で、高い塀がお互いの心の距離を隔てていた。塀越しの会話を経て徐々に心が通っていき、エリックが遂に塀を越えたことで2人の友情が始まっていく。この演出が分かりやすくて素晴らしい。

大人になるということ

大人になるとある程度世の中にあることについて“無理なものは無理“だとやる前から大体は分かってくる。それを「大人になる」というのではないだろうか。
それが合理的でもあり、つまらない・退屈だと時々感じることもある。
ただ、2人はまだ「子供」だった。
映画の中で“特効薬が出来る頃には自分はもうこの世にいない“と悟っているデクスターが切なかった。
そんなデクスターのためエリックが“特効薬がないなら自分が見つけてやる!“と意気込み、ほぼ毎日庭に生えている草花を順番に煎じて飲ませ、効果があるかどうか試していく印象深いシーンがある。
ある日は花が猛毒とは知らずに飲ませてしまい、デクスターが緊急搬送されてしまったことも……
エイズは1981年にアメリカにおける初確認から1990年代半ばまでは治療法がなかったらしい。映画が公開された1995年のアメリカでは当然エイズに対する治療法はない。現在も完全に体内から完全に排除することは出来ない。
病気について詳しくない私でさえも「そんなその辺に生えているような草花で治るような病気じゃない。無理だ。」と2人の挑戦を無謀だと笑っただろう。
しかし、あまりにも純粋で直向きな2人を見ていたら、どうか効いてほしいと奇跡を願わずにはいられなかった。
だからこそ、搬送されていく我が子を心配しつつ一切エリックを責めることはしなかった慈悲深いデクスターの母親(リンダ)の気持ちも痛い程分かる。


宇宙の話をしよう

子供の頃から果てのない宇宙について考えることが好きだった。今人間が考えている宇宙の先には何もない。または宇宙のどこかで地球に似た星があり、そこには宇宙人が暮らしている……なんて考えたことは誰にでも一度はあるのではないだろうか。
デクスターにとって宇宙のことを考える時間はいつか来る終わりの始まりであり、辛くて怖い孤独との戦いだ。
ある日、特効薬が見つかったという情報を知りエリックの父が住むニュージャージーを目指し冒険を始めた2人。
そこでこの映画の最も印象に残った台詞がある。

テントで眠る中、悪夢にうなされたデクスターが死=宇宙だと例え話をする。エリックは愛用してボロボロのコンバースを差し出して言う。

これを抱いて寝ろよ。目が覚めて怖くなったらこう思うんだ「これはエリックの靴。僕はこんな臭いスニーカーを抱いている。宇宙であるはずがない。ここは地球でエリックはすぐそばにいる」

不器用なエリックの優しさが、侍の乾いた砂漠に咲く一輪の花のように綺麗で薄汚れた心を浄化してくれた。
エリックはそれまでの人生で他人を心から心配したり、気にかけるなんてことはしてこなかっただろう。何故なら自分がそうされたことはないから知らないのである。
父親とは不仲ではないものの遠く離れた所で、既にパートナーと暮らしている。母親(ゲイル)は仕事が忙しくほとんど家にいない。加えてアルコール依存症ですぐに癇癪を起こし手を上げる。
そんなエリックが「孤独」や「怒り」の感情でいっぱいな様子が映画の前半部分ではよく見られた。
後半部分では2人の交流を通じて心優しいデクスターとその母親(リンダ)と過ごす日々で、「愛」や「慈しみ」を初めて知っていく様子が分かる。
初めて愛を知ったエリックが、愛を教えてくれたデクスターに伝えたのが先程の言葉だ。
そして、このテントでのやり取りがこの後2人に待ち受けるラストシーンに繋がっていく……


まとめ

配信


おすすめ度

いくつかのレビューで「スタンドバイミー」みたいだと言っているのも見たが、確かにと頷く部分(2人が旅をするところなど)もありつつ、何だか違うようにも感じる。かと言って代わりになる上手い言葉が見つからない。何かに例えることが正解ではないのかもしれない。
ただ、間違いなく私の涙活映画に加わった。(涙活=涙を流してストレス発散するという活動のこと)
この作品で心を動かされたシーンはいくつもあるが、一番胸が苦しくなったのはやはりラストシーンだ。まだ映画を観ていない方にはぜひ観てほしいので、あまり詳しくは言わないが……あのテントの中でエリックがデクスターに伝えたことの伏線が繋がった時には鳥肌が立ち、忘れられない映画になった瞬間だった。
エリックとデクスターが共に過ごした日々は、特に言及されてないが"たった数週間"だっただろう。"たった数週間"がこれから先の人生における大切な時間だったことを後に気づいていくんだな。
もう二度と戻らない煌めく日々を時折思い出して生きていくんだろうなと思った。

まだまだ観たことがない名作映画に早く出会いたい侍である。

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