お母さん、応援してるよ@こどものカウンセラー
またまた久しぶりの記事アップです。
今日はお堅い文章を書く気分ではないので、エッセイ風に。
少し遠出の散歩をしていた4月のある日。
電柱のふもとでギャン泣きしている女の子が見えた。
迷子か???
周りを見渡すと、お母さんらしき女性が少し離れたビルの軒下に座りこんでスマホをいじっている。お母さんの周りにはスーパーの袋や空のコンビニドリンクの容器が。その光景から、ギャン泣きを始めた子どもに何とか対応しようと、励ましたり、ご褒美を用意したり叱ったり、色々頑張ってみたけれど手がつけられなくなり、お母さん自身がスマホを通してクールダウンしているように見えた。
普段ならそのまま通り過ぎるところだが、この日はギャン泣き中の女の子とすれ違うときに、どういうわけかばっちりと目が合ってしまった。
3歳くらいだろうか。
とてもかわいい女の子だ。
これも何かのご縁か。
急ぎの用事があるわけではないし、OFFの日で時間もあった(関わる限りは、時間と覚悟が必要)。
私は「どうしたの?」と話しかけてみた。
すると、女の子はギャン泣きしながら
「あいじゅーー・・・でぅーーーー」と答えてくれた。
ん?
「あいしてる」?
お母さんと仲直りしたくて「あいしてる」と言ってるのか?
「愛してる」が仲直りの言葉なんて素敵な親子だなぁ、なんてことを考えていたら、女の子は私に伝わっていないことがわかったのか、ギャン泣きしながら
「あいずぅーーー」「あいじゅぅーーー」「あいじゅだべだい゛ーーー!」
と懸命に思いを伝えてきてくれた。
「あー!アイス食べたいの!」
女の子は泣きながらも深く頷く。
「ママに聞いてみようか。ママはどこにいるの?」
と言うと「ま゛ま゛ぁーー!」と、さっき私が母親らしいと思った女性の方を見た。私が軽く会釈をすると、女性は申し訳なさそうにしながら会釈を返してくれた。
女の子と一緒にママのそばに行くと、
「歩くって約束したからアイス買ってあげたのに、全然歩かないからじゃない!」
歩くって、お約束したから🍦買ってあげたのに、歩かなかった。
そりゃー取り上げたくもなるよね、お母さん。
取り上げられ、袋に入れられたアイスは中ですっかり溶けてしまった。
もう30分以上、この状態。
いつも歩いてくれない。今日もここまで15分くらい抱っこで移動してきた。
スマホでおばちゃんに電話して、なだめてもらったけど、ダメ。
家で下の子を見ているお父さんにも、助けを求められない、下の子のためにも少しでも早く家に帰らなければならないのに。
という大変な状況であることがわかった。
お母さんは、ただスマホをいじってたわけじゃなかった。
この状況を何とかしようとスマホで身内に助けを求めていたんだね。
きっとお母さんも泣きたいくらいの気持ちだったはず。
相変わらずギャン泣きを続ける女の子に私は「ママ、歩くってお約束したから、アイス買ってくれたんだって。でも歩かなかったから、袋にいれちゃったんだって。アイス、もう溶けちゃったって。」と話しかける。
知らないおばちゃんから、改めて現実を聞かされてさらにギャン泣きする女の子。
「歩くの、嫌い?」
と訊いてみたが返事はなく、
「ま゛ま゛に、ごめんなさ゛い゛ってい゛うーーー!」
よし、私が説明した文脈(状況)はしっかり理解できていて、どうしたらいいのかも知っているな(認知面の発達、良好)。
「そっか、ママにごめんなさいって言いたいんだね。じゃぁ、一緒に『ごめんなさい』って言いに行こうか!」
無事、ママにごめんなさいが言えたのはいいけど、泣き止むことなく「あいじゅーーーー」「あいじゅだべだい゛ーーー!」を繰り返している。
私はゆっくりした口調で「そうだねー」「アイス食べたいねー」「でも我慢してえらいねー」
と女の子の背中をさすったり、ポンポンしたり、頭をなぜたりしながらクールダウンできるように関わってみる。
触られるのが、イヤじゃない子でよかった。
(触れられるのがイヤな子には、この方法は通じない)
女の子のギャン泣きが徐々に普通の泣き声になったので、私が壁を歩くアリを指さして「あ!何かいる!これ、何か知ってる?」
「・・・ありさん」
「そう!良く知ってるね、ありさんだね!」
みたいなやりとりができるようになった。
お母さん「なんでそんなに上手に子どもに関われるんですか?幼稚園の先生とかですか?」
いや、私が特段素晴らしい対応をしているわけではなく、そろそろ泣き疲れる頃だったかも、と思いながらも予測していなかった職業を問われる状況に戸惑った。でも、ここは「専門家」と言った方が、お母さんを傷つけないんじゃないだろうか。(普通のおばさんができる対応を、母親である自分はできないって落ち込まれたりするのは不本意。)
私は、
「子ども専門のカウンセラーをしているんですよ^^」
とだけ答えた。
お母さんは疲れた果てた様子で
「いつもこうなんです。約束しても全然歩いてくれないんです。」
改めて女の子を見てみたが、歩く体力がなさそうには見えない。
どうやら、泣きわめいたら大好きなアイスを買ってもらえるという誤った”学習”をしてしまっているようだ。
まったく、子どもというのは親の痛いところをついてくるものである。
私はお母さんに
「今回は、お約束を守る前に、先にご褒美(アイス)をあげちゃったのがまずかったかもですね。」
「ご褒美は、お約束を守れた後に、あげるようにしたらいいですよ。」
お母さんもそういった子育ての知識は持っておられるようで
「そうですよねーーーー(やっぱり、というニュアンス)。」
でも、小さな子を抱えての現実生活はそんなにうまく行かない。子育ての本に書いてあることって、どれもごもっとも!なことばかりだけど、それが実生活で普通にできたら苦労しないよね、親も先生も。
私は、女の子をなだめながらも頭の中でこの”誤学習”を”消去”する方法を考えていた。そして、お母さんに「今日、この後ちゃんと歩いたらアイス買ってあげることはできますか?」と尋ねてみた。
お母さんは、家の近くのコンビニでなら買えると言ってくれたので、私は女の子に「今から駅に行ってね、電車に乗ってお家に帰るんだって(見通しを伝える)。それでね、ちゃんと歩いたら、お家の近くのコンビニでアイス買ってくれるって(して欲しいことを伝える)。歩ける?」
しかし、女の子は返事をしてくれない。すぐにアイスがもらえないのが不満のようだ。
よしよし。これも心(自我)が、しっかり育っている証拠。
続いて「歩くの嫌い?」と話しかけるが、これにも返事はない。
次に、女の子が履いている靴を指さして「かわいい靴はいてるねー。この靴で、ママと手をつないでがんばって歩いてみようか」
すると、女の子は再びギャン泣きモードに戻り、
「ママにごめんなさいするぅーーー!」
ごめんなさいして今すぐアイスを買ってもらう、の意思表示と思われたが、敢えてここはスルー。背中をさすりながら、「そうだね、さっきママにごめんなさいって言えたね。偉かったね。」「頑張って歩けるかな。ちゃんと歩いたら、お家の近くのコンビニでもう一回アイス買ってってお母さんにお願いしてみよう」
ここまでくると根くらべの要素も入ってくるので、私も腹を決め、しっかりしゃがんで目の高さを合わせながら関わる。
女の子「アイス食べたいーーー!」
私「そうだね、アイス食べたいね」
女の子「ママにごめんなさいするぅーー!」
私「ママにごめんなさいできて、えらかったね」
女の子「あいすぅー!」
私「アイス、たべたいねぇー」
少しでもカウンセリングに関心がある方ならお気づきだろう。
子どもが相手でも、ベースはあくまで受容と共感だ。
そして、なだめながら以下のフレーズを繰り返す。
「駅まで行って電車にのって、お家の近くのコンビニで買ってもらえるよ」
「でもね、歩かないとだめんだって」
「さっきは、歩かないからもらえなかったんだよ」
「ちゃんと歩いたら、アイス、もう一回買ってもらえるよ」
「泣くの止めて、がんばって歩けるかなー?(答えを求めるのではなく、ひとり呟くように)」
(以下、間合いを見ながらリフレイン)
途中、何度か「うん」と頷くものの、いざママと手をつなぐと「アイス食べたいー!」と再び泣きモードに戻る。
そう、”誤学習”の”消去”はそう簡単にはいかない。
ここで根負けして(または世間の目を気にして)買い与えてしまうと「ギャン泣きしたらアイス買ってもらえる」をさらに”強化”してしまうことになる。
これまでのやりとりから、認知面はしっかり育っていることがわかったので、私はリフレインの合間に
「このまま泣いててもアイスは買ってもらえないよー」
「がんばって歩いたら、お家の近くのコンビニで買ってもらえるよー」
という「もし~したら」の言葉かけを増やしてみる(これも言い聞かせるのではなく、呟くように)。
やがて女の子は『このおばさん、同じことしか言わへん。あかんわ。ママも怒ったままやし。このまま泣いてても、いいことないわ』と思ったのか、思わなかったのか、疲れたのか、根負けしたのか、納得したのか、どれかは分からないが、最後は私が繰り返すフレーズに「うん」「がんばってあるく」と小さな声だけどしっかりした口調で答えてくれた。
すれ違いざまに目が合ってから、15分以上経っていたように思う。
私は女の子の頭をごしごし撫でながら「ほんと?!」「あるける?!」「すごい!」「えらいぞーー!」「アイス食べたいのに、我慢できてすごいなぁ!」と褒めまくり(ただ誉め言葉を並べるのではなく、こちらが心から感心しているのを伝えるのがコツ)、泣き止んだのを確認し「じゃぁママと手をつないで歩いて帰ろうね」と言うと、素直に手をつないで駅に向かって歩き始めた。
お母さんは頭を深く下げてお礼を言って下さった。
私は「お母さん、よく頑張ってるよ。私も自分の子どもだったら、こんなに丁寧には関われないですもん(他人だからできる)。」と言ってお別れした。
私の行き先とは反対方向だったので、ときどき振り返っては二人の後姿を見守っていたけど、もう大丈夫そうだった。
よく気持ちを切り替えられたね。
偉いぞ!!
幼稚園や小学校への入学シーズン、いつもと違う日常が始まっている家庭も少なくないと思う。
子どもは緊張しているし、親だって例外ではない。
子どもはいつも以上に手をかけてやらなければならない状況。一方で親もやることがいっぱいで、いつも以上に余裕がないかもしれない。
時間的にも、心にも。
親も子どもも、慣れるまで緊張の日々だけれど、なんとか乗り切ってくれたらいいな。
今回は、女の子に「褒められたら嬉しい!」という気持ち、「褒められるためにがんばる」心が、しっかり育っていたからできた関りだ。
例えばこの心が育っていない子の場合は、関り方が全く変わってくるので、まずは、ここをきちんと見分ける(アセスメントする)ことが重要。
そして、いつもこれを書きたくなるんだけど、子育てに困ったり疲れたりしたら、地域の子育て相談室(自治体がやっているので無料)、それでも解決しなければ、臨床心理士などの心理学を専門に修めたカウンセラー(子育てに関する相談の場合は、子どもの発達にも詳しい人がいい)に相談してみてね。前者は自治体がやっているので無料。でも自治体の相談は、必ずしも心理や発達の専門家が相談を担当しているとは限らないのがネック(自治体によって違う)。日によって相談員が違うことや、正直、当たり外れもある。後者はお金はかかるけど(逆に「無料」を全面に出しているようなところは怪しいから行かないで!)、しっかりと、あなたや子どもの立場を理解しながら相談にのってくれる。そして、前者よりは当たり外れが少ない(相性もあるので、ないとは言えないのが辛いところ)。
あなたの子育てを応援できる専門家、力になれる人、味方はいるところにはいる、ってことを忘れないでね。
最後に、ここまで関心を持って読んで下さった方へ。
今日の記事で ” ” で囲ってる言葉は、学習心理学の用語なので、関心があったら調べてみてね。
心理学って、文系と思われがちだけど、実は科学なんです!
それを知らない人が多すぎて、もったいないと思う今日この頃。
ちゃんとしたカウンセラーは科学的な手続きによって裏付けがされている”基礎心理学”をしっかり学んでいる。
一般的に知られている臨床心理学は、様々な領域の基礎心理学の知見を応用した”応用心理学”の中の一つ。私が今回の対応で使ったのは、”基礎心理学”の中の”学習心理学"の知見を、臨床に応用した”行動療法”と呼ばれる技法。
心理学って本当に奥が深い学問なんです。
あら。
また最後、話が逸れちゃった。
書き出したらあれもこれも伝えたくなる、私の悪い癖が…。
それでは、また。
↓ 参考記事 ↓
↓ せんでん ↓
私は
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