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読書感想文『ここじゃない世界に行きたかった』

『ここじゃない世界に行きたかった』(塩谷舞 氏 著)という本を読んだ。


とても心に残る本だったので、読んで考えたことをまとめておきたい。

本書の中にある言葉だが「感じて、試して、試行錯誤して」

著者は「つかみどころのない自分の状態を」文章を通して確かめ直していく。

著者が丁寧に言葉を紡いでいる事が伝わってくる。言葉を大切にしていることが伝わってくる文章なのだ。これはもう、読んで感じてもらうしかない。本を読んで感じていたのは、「ちゃんと大切に丁寧に書かれていることって文章から伝わるんだ…」ということだった。


選択で出来ている私達

文章を書く事も決断なのかもしれない。どんな言葉を選ぶか、ここは言い換えた方が良いか、これは残すか削るか?この事についてはもっと掘るか?これ以上考えられないのか。ここで止めておくか。

考えてみれば、私たちは、毎日何度もの決断・選択をする。

決断と言えば大げさだが、朝何から始めるかということも一つの選択だろう。

果物ジュースを飲むことから始める人もいれば、メールチェックから始める人もいれば、瞑想や祈りから始める人もいる。(どれが良いというわけではない)

悩んでいる友達にどのように声をかけるかなんてことも選択だろう。

もう少し大きな決断や選択が迫られるときもある。どんな進路を選ぶか、どこに住むか。誰と一緒に居るのか。

そうした一つ一つの決断がその人がどんな人に成るかを構成していく。私たちは決断や選択で出来ているいうこともできるかもしれない。

消費ということも決断や選択の一つである。

そして、私たちは小さな選択で迷う事はそうないかもしれないが、決断が大きく成ればなるほど迷い・悩む。

この本には、著者の塩谷さんが出会って来た日々の、あるいは人生の迷いや戸惑いが書かれていると思った。

塩谷さんはニューヨーク在住のライターである。すごくクリエイティブな響きで、住む場所と肩書だけ聞くと「成功者」って感じだけど、この本に出てくる話はどれも、私の人生の中にもあり得そうな事なのだ。いや場所や時代は違ってもどこか似ているのだ。人間の体験なのだから当たり前かもしれないが。そして、人生の中で塩谷さんが出会った戸惑いや選択が書かれている本だと感じた。

私がこの場面に遭遇したらどうするかな…と思うような出来事。

例えば、彼氏がニューヨークへ行く。

引越したけど、友達もいなくて、部屋からは変なにおいがする…。掃除ばかりする毎日。

ニューヨークで自分を失いそうになる。

就職した会社で働きすぎて身体を壊す。

その一つ一つに著者はしっかり足をとどめ、考える。

今まで自動的にしてきた選択をちょっと考えてみる習慣を持つまでにいたり、それによって、ちょっと世界の見え方が変ったぞ…ということが解像度高く書いてある。

塩谷さんがやっている習慣で真似したいなと思ったのが、

感じる⇒考える  知る⇒考える

という事。

たったこれだけのことなのだけれども、ここに塩谷さんの

人柄が出ているような気がして、自分の生き方が照らされる。

私たちは何か難しい事に出会ったときに、

感じる⇒考える⇒以上

だったり、 知る⇒考える

だけだったり、知るだけで終わったり

何も知らずに考えるという選択もできるはずだ。

しかし、塩谷さんは自分の感覚で感じそして考え

さらにそこで終わらずに、知って⇒考えようとするそうだ

この氏の姿勢は、氏の書く文章、あるいは、氏がこれはいい文章だったと紹介してくれるものにも表れていると思う。


個人的に心に残った文章が、アメリカの選挙を通して、なぜ分断が生まれるのか著者が考察したものだ。(「大統領選、その青と赤のあわいにある、さまざまな色たち」)

アメリカの選挙を通してアメリカの分断が明らかになった。それだって、私は、例えば「トランプはおかしいよ」とか、「リベラル側があんまり選挙行かないから悪い」とか「福音派がトランプを支える基盤になっているから」とか…自分の知っている知識内で分かったつもりになって、その出来事を押さえていく。

しかし、少し興味を持って歴史を調べていくと、1980年代以降の白人労働者の現状など、私が何となく抱いていたのとは違う事情が見えてくる。

私自身もトランプの政策や言動に辟易しているし、「トランプを支持するなんて信じられない」としか思って来なかった。しかし、背景を知ると、「これは個人を責めたりしても何も変わらない問題なんだ…もし自分が貧しい場所に生まれた白人だったらやっぱりトランプを支持していた可能性だってある」と初めて見えてきた。そこも含めて考えて行かないといけない問題なんだと思えた。

議論が荒くなかったか

私たちは、すべてを知ることは出来ないから、どこか一部を知ってそこから敷衍して考えていくしかないのだけれど、手持ちの知識や感覚で全体を分かったつもりになりがちである。議論が荒いのだ…。そして、この議論の荒さは、いつの間にか私たちの思考を形作り、下手すると社会をも形作っている。議論が荒い人が作る社会は、繊細な社会の複雑さや、荒い議論では押さえられない個別性を見落とす社会・問題にしない社会につながるだろう。そう考えると、繊細さを欠いた社会の形成に自分もまた寄与していたのではないかと思えてきた。

この文章で、著者は自分の目でニューヨークで起こっていることを感じそして考え、さらに調べることによって、客観的になり、考える。さらにそこから考え続けようとする。

そうすると、全く違う見方が広がる。著者の文章を通して読んだ人にも全く違う世界が広がる。そしてこれを読むことでいかに自分の議論が荒かったかがわかる。自分の選択・思考・態度が照らされるのだ。

この本を読んで塩谷さんのnoteのタイトルがなぜ「視点」なのかが分かった気がする。(私が勝手に思っただけだが…)

私達の今の視点が著者の視点によって照らされる。


私たちは著者の言葉を通して、自分の普段の選び、選択がとても荒かったのではないか、そして、自分がどういう選択をしたいか考えさせられるのだ。この本は鏡のような本だと思う。自分の今の視点がどうなっているか、他者の視点から照らされるのだ。

ちゃんと自分とつながっている、社会とつながっている文章。


では、その根底にあるのは何なのか。どうして著者はかくも大切に物事を選び悩み抜くのか?つまりは、私たちはそんな深く考えなくても生きて行けるはずだ。アメリカの分断だって、「はいはい○○でしょ」って分かったつもりにもできるはずだ。

そこには、かつては他者への痛みや自分を大事にしてこれなかった事への痛みの眼差しがあるように思ったのだ。

フェミニズムの問題にも氏は触れていて、上野千鶴子さんの東大での祝辞は話題になったが氏の本にも引用されている。読んでハッとした

女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。(本書に引用された上野千鶴子さんの言葉)

塩谷さん自身自分は「能力が低い」と自分を卑下することがあったという。しかし、それは構造的な問題でもあったのだ。女性の意見を聞かずに出来上がってしまった仕組みの中で、自分が上手く能力を発揮できなかったとしても、それは自分を否定していい理由にはならないだろう。既存の社会の仕組みのほうに、アップデートする余地があるのだから。

私はもう、背伸びをし、強者のふりをして働くのはやめた。自分の弱さを、ちゃんと許容した上で働く事に決めたのだ。弱くても強く生きられる。

自己を大事にしたいという祈りにも似た気持ち、誰かがしいたげられることがないようなという祈りにも似た気持ちをここに感じた。

塩谷さんはこの本の中で何か特定の主張を繰り広げたりはしていない。しかし、根底にそうした誰かへの祈り、未来の社会への希望、自他を尊重したいという願いのようなものがある本だと思った。そうした優しさが通底しているから、読んだ後自分も自分に優しくなれる、他の人に優しくしようと思える、そんな本なのではないか。自分ももう少し大切に自分の視点を磨いていってみたい、そう思った。


(終)

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