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なぜいじめが起きるのか

中日新聞を読んでいたら、気になる記事があった。

「戦争といじめ」という記事だった。

その中になぜいじめるのか?なぜいじめが起きるのかという質問を小・中学生にした調査結果が出ていた。

このアンケートは2011年に中学2年生がいじめを苦に自殺した大津市で2019年に行われたものだ。


一位は、「気に食わない所がある」であった。

次が、「からかうことが楽しいから」、「友達関係がうまくいっていないから」、「一緒にいじめないといじめられるから」…が続いた。

私はこの「気に食わないところがある」相手をいじめると、小中学生が答えていることに何だか人間の暗い問題性を感じさせられる。

何だか分からないけど気に食わない相手をいたぶりたいと思う気持ちとは何なのか…。

正当な落ち度や、悪態を働くなどの問題があり相手を嫌うのはまだ分る、理性で追いつくのだ。しかし、「気に食わない」からいじめるという心は一体何なのだろう。そして、これは大人に成ってもあるし、私の中にも厳然とある。その事が悲しいし、すごく愚かだなと思う。

大人に成っても、例えば、友人たちのグループで話していても、あいつは何だか気に食わないから蔑む、貶めるという話題が出ることがある。「何だか気に食わない」あいつを嫌う。そこに、確固とした理由はない。何だか気に食わないのである。本当に悲しい話である。本当に、小さい。

「その人を気に食わないと思っている、自分は何なのだ」と考えることもなく、気に食わないという理由で痛めつけたり、嫌ったりいじめたり無視したりする人間とは一体何か。そこに、そこはかとない人間の暗さと空虚さを感じる。その「気に食わない」とは一体何か?気に食わないと思っている自分は何か?徹底的に考えるべきなのだと思う。

気に食わないなどと言うことからいじめや戦争が起こっているとしたらこんなに愚かなことはないのではないか?「気に食わない」という感情の正体は何か?見たくなくてもそこを見ることからしか、自分が変わる道はないのではないか?

この記事の終わりにいじめ問題に詳しい立命館大の春日井敏之先生のコメントが載っていた

「いじめも戦争も、暴力を肯定する事。自分達が気に食わない人たちを暴力で排除することから始まり、周りの人は居場所を失いたくないから合わせて行動することになる」「いじめを止めるために自分に何ができるか考えることは暴力に対するブレーキを強くする」。

(終)


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