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本当に学問が好きなのか?

まず、人文書をまったく読んだことがなさそうなガクチョ―先生問題だけではなく、執行部と言うのは、どの大学も権力志向の教養亡き人たちのたまり場であるのはだいたいわかっている。もちろん良心的で素晴らしい人も執行部の内側に入って、日々抵抗を重ねているのも承知しているが、私はあくまで一介の窓際教員。校内全面禁煙を唱えているガクチョ―に対して、スッパスッパとタバコを吸いまくる抵抗を重ねてはおるものの、私とて、正直タバコは止めたい。もう最近、ストレスでぜんそくがひどくて、タバコなど知っている場合ではないのだ。(『もう革命しかないもんね』森元斎著 p.254)

森元斎さんの『もう革命しかないもんね』が素晴らしい本だった。

森さんはアナキズムや宗教を研究されている哲学者だが、とても面白い人で生活の中で哲学を実践している。アナキストとしていろいろな実践をしているのだ。本の内容についてもあらためて感想を書きたいと考えているのだけれど、上に挙げた文章が心に刺さった。というのは「どの大学も権力志向の教養なき人たちのたまり場であるのはだいたいわかっている。」という部分が自分の事を言われているような気がしたからだ。


最近立て続けに何人か、仏教を本当に大事にしている人に会った。その中で、自分は仏教を本当に大事にしてきたのだろうかと問われることがあった。自分は、森さんの文章にあるように、とても「権力志向」的で本当は権力にしか興味がないのではないか?と思えてきた。

宗教・仏教を大事にすることと、宗教を使って自己確立したり、権力を手に入れようとすることは違う。しかし、宗教というのはなまじ人の心を引き付けるものであるから、私たちは間違えると宗教を使ってそれを自己確立の道具に使ったり、人気取りのために利用する愚に陥りやすいのではないか?

きっと、宗教心は誰の中にもあるので、私自身の中にも人間の根本課題を知りたいという純粋な願いは萌(きざ)していると思う。しかし、その原点を見失うと、いつの間にか、仏教や宗教に付随する力を世間での日常的欲求を満足させるために転用してしまうという事は起こり得るように思う。そして、それを注意してくれる人がいなければ、私たちはいとも簡単にそういう事をしてしまう。(そこに師が大事な理由があるのだろう)

自分は、本当に仏教や宗教を大事にしてきたのだろうか?むしろ、仏教や宗教を使って世の中を上手くわたっていこうとしていたのではないだろうか?そのように宗教を扱えば、本当に宗教に出会えなくなってしまうのではないだろうか。なぜなら、人間を超えた教えを、自分の道具化してしまうときには自分が問われることがない。それは宗教を矮小化し、自我を肥大させていく事になる。人間を超えた教えを道具にすることによって、本当の教えに出会えなくなってしまうのだ。

親鸞は、

(また教えを受けたといっても、読んで理解することもできずに人に説くのであれば、何のためにもならない。それは、完全な聞ではない。また、この六部の教えを受けて、議論のために、他の人よりもすぐれたいために、利益のために、世俗的な目的のためにそれを読んで人に説くのは、完全な聞ではない。(『教行信証』(化身土巻)現代語訳)

と言っている。

親鸞が戒めている愚を私はそのままやっていないか…。他の人よりもすぐれたいために、利益のために、世俗的な目的のために教えを人に説くのは全く救済とは無関係なものである。これは冒頭で森さんの指摘している問題と同じなのではないか。学問を愛するのではなく、権力のために学問を利用する。

本当に体当たりで宗教に向かい、教えに出会っていかなければいけないのではないか。

何度も原点を確かめ、何度でも原点に戻らなければならない。他人と話して自分の教えのいただきや、思いを語り合わなければならない。

自分を投げ出して求めていく所にしか本当に教えに出会う道はないのだろう。そういう人の説く教えしか伝わるとは思えない。

(終)


[註釈]

①の原文の書き下し

経を受持すといへども、読誦にあたわずして他のために解説するは、利益するところなけん。このゆえに名づけて聞不具足とす。またこの六部の経を受けをはりて、論議のためのゆえに、勝他のためのゆえに、利養のためのゆえに、諸有のためのゆえに、持読誦説せん。このゆえに名づけて聞不具足とす。

他にも、化身土巻に次のような説示がある。

邪見を増長し驕慢を生ずるがゆえに。この故に、われ経のなかにおいて偈を説かく、「もし衆生ありて、諸有を楽んで、有のために善悪の業を造作する。この人は涅槃道を迷失するなり。…(現代語訳)どうしてまた沈むのかというと、よこしまな考えが増し、おごり高ぶる心が生じるからである。このようなわけで、わたしは経に次のような偈を説く。「もし迷いの世界に生まれることを願い求めて、そのために善い行いや悪い行いをするなら、この人はさとりへの道を失う。

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