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デジタル言語学を立ち上げる

  イェルネやノイマンも、ヒトの言語進化をデジタルと結びつけて考えている。これは心強い。僕は、彼らのやりかけた仕事を引き継ぐつもりで、自分の研究を「デジタル言語学」となづけた。

 相変わらず仕事は干されたままだったが、ふと気がつくと天井に監視カメラが設置されて僕の机に向けられていた。おとなしく机に座っているしかない。幸いなことに通信理論の勉強は業務とみなされる。

 無料でダウンロードできたノイマンの講演録(英文)に目を通したが、一度読んだだけではさっぱり理解できない。そこで、時間があったので英語原文をタイプしなおしてみた。すると、字面を目で読むのと違って、少しだが著者の息吹を感じとることができた。
 続いて、翻訳をしようと思ったのだが、中央公論社の「世界の名著」に全く別のタイトルで翻訳が入っていることに気が付いた。それを読んでみたが、日本語なのに何一つ頭に残らない。何回か読むうちに、記憶に残る箇所が少しずつ増えてきて、著者の気持ちをわずかながら共感した気になってきた。「読書百遍」とはよく言ったものだ。ぜいたくな読書を楽しんだ。

図書館通いの日々

 職場が都営三田線の春日駅にあり、東大・本郷キャンパスまで徒歩10分だった。卒業生入館証をつくって、各学部の図書館にも出入り自由となった。総合図書館、情報学環、教育学部、文学部(2号館、3号館)、理学部(物理、人類学、地球科学、コンピュータサイエンス)、工学部(2号館、6号館)、農学部、医学部、薬学部などの図書館に、出社前と退社後に足繁く通った。トップ画像に示したように利用した学部図書館の多様さから、デジタル言語の学際性がみてとれる。

 ノイマンが実際に講演した1948年のヒクソン・シンポジウムについて調べていたら、その講演録「行動における脳のメカニズム(Cerebral Mechanisms in Behavior: The Hixon Symposium)」が医学部図書館の時實文庫にあった。著名な脳生理学者である時實利彦博士の蔵書が、博士の亡くなった後、図書館に引っ越してきたのだった。しかも、貴重なものを選りすぐって。僕は本の中に、鉛筆でうっすらと引かれた線をみつけ、あぁ、先生もこれを読んだんだなと親近感を覚えた。

東大・医学部図書館 時實文庫

 図書館をめぐり歩いて、独自の研究成果を残している先人たちがたくさんいたことを知り、敬意をいだくとともに、それまでの自分の無知に驚き、恥じた。

情報処理学会に入会

 大変だったのは、「言語がデジタルである」という話をする相手がいないことだった。手当たり次第に友人たちに話してみたが、誰も話についてこれなかった。ある年長のエンジニアが、「もう一般人はこれ以上つきあえないから、情報処理学会に入会しなさい」と助言をくれた。
 2008年12月、情報処理学会に入会して、まずは翌年3月に立命館大学で開かれた全国大会に「デジタルに話すサル:デジタル言語の獲得が人類を生み出した」という演目でエントリーした。
 はるばる滋賀県の草津キャンパスまで足を運んだにもかかわらず、僕が発表したセッションの参加者は10名ほどしかおらず(そのほとんどが発表者であって聴くために参加したわけでない)、大きな学会組織なのに、聴衆はいないのかとがっかりした。
 
 一方で、言語はデジタルであるということを論文にまとめて提出したところ、D判定(書き直しの余地がない拒絶)を受けて返ってきた。仕方がないから、別のアプローチで再提出したが、やはりD判定で、「デジタルの定義が違う」と書かれていた。そこでデジタルの正しい定義は何だろうと、東大・総合図書館で調べたが、みつからなかった。これでは打つ手がないと落ち込んだ。
 また、EVOLANGという国際学会をみつけて、「遺伝子と言語の決定的な類似性 - デジタル符号によるアナログな意味の変換」というものを出したが、これも却下された。さらに、日本認知科学会の学会誌が概念特集をするというので、「デジタル符号化システムにおけるアナログ=デジタル変換装置としての概念」という論文を書いて送ったが、やはり却下された。
 
 せっかく言語はデジタルだという発見をして、学会に報告するための論文を送ったのに、どこもかしこも門前払いで、話も聴いてくれない。デジタルの専門家はどこにもいないのか。八方ふさがりで、どうしたらいいのかわからなかった。


トップ画像は、東大本郷キャンパス地図(東大ホームページからダウンロード)上に、僕が利用した図書館を書き入れたもの。数字は、2010年7月の電子情報通信学会情報理論研究会に提出した予稿論文の文献番号。

 


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