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ITエンジニアの年収と責務の関係について体験交えて解説していくか

Photo by Giorgio Trovato on Unsplash

年収800万は普通のエンジニアか否か。火種はいつものTwitterでしたが、いろんな意見が飛び交う興味深い話に各所でなっていたようですね。うーん、様式美。

ちなみに私の感覚だとこんな感じで、年収800万といえば、一般的なWEB開発においては複数プロジェクトの技術設計を行うアーキテクト級で、SIerではおそらく課長-部長級の給与になると思っております。年収800万はそういうラインです。

年収の構成要素

一般的にもらえる年収が高いほど、会社から課せられる責務が重くなります。個人で集中して仕事するだけの範囲から、他の社員を率いて成果を出さないといけなかったり、重要プロジェクトの成功を導くキーマンとして期待されたり、ですね。会社は払っている金額以上の成果を出してくれる見込みを元に皆様の給与を決定しているのです。なので当然デカい利益を叩き出してくれる人ほど、高い年収を提示されるわけですね。

あと、これ皆さん忘れがちかもしれないんですが、年収はその人が持ってるスキルだけでは決まりません。会社がちゃんと儲かっているか?の要素のほうが大きく影響することがあります。利益カツカツのところは当然無い袖は振れないわけです。利益ガッポガッポな会社の方が高くなりやすい
儲けていても社員に還元しないクソ会社は世の中たくさんあるので、必ずしもそうなることはないんですが、傾向として高くなりやすい、ということを押さえておきましょう。

年収と期待される責務の関係

みなさま、各年収帯ごとにどういう仕事を要求されるのか気になりませんか?この記事のメインコンテンツとなるのですが、私のこれまでの年収と、実際にどういう仕事をしていたか、について書いていこうかなと思います。

例の如くソースは業界20年近くいる私の体験談のみです。ちなみに私の属性で年収に影響がありそうなものを列挙すると、東京の会社高卒妻子あり、ですね。サンプル1という偏った内容ではあるので、その辺差し引いて読んで頂ければと思います。

独立系中小SIer / 210万 / テスター

私は2005年くらいにこの業界入ったんですが、最初に入社した会社の、その当時18歳の頃の年収です。手取りで言えば14万くらいになります。これ東京での年収ですよ?今思えばよくコレで生きてたなって思いますね。月15kの社員寮に助けられてました

このときの私がやっていた仕事は、大型の複合機のQAテスターです。配属部署の当時の新人のうち、私だけ高卒だったので、他の人は本社でプログラミング研修受けてる中、テスターで埼玉の奥地に派遣されることになりました。毎日片道2時間半の電車移動。学歴の差は本当にあるんだって逆に感動した、ほろ苦い記憶があります。

仕事内容は、印刷会社にあるオンデマンド印刷用の大きなプリンターのテスター業務ですね。試験仕様書を更新して、ポチポチ試験することでした。いわゆる単純作業員です。やはりこのくらいの年収だとアルバイトとあまり変わらない仕事内容になりますね。

独立系中小SIer / 250万 / コーダー

詳細設計書はこれ、はい期限までに実装しといて。そういう仕事でした。コーダー時代。このときの手取りが18万くらい。業界2年めの年収です。

上司や先輩が設計したタスクを期限までに実装するだけの仕事です。詳細設計を見てその仕様通りに動く関数を実装する。テストコードとバグ対応までが与えられた責務でした。言われたことをやるだけだと、やはり給与は低い。そういうものですね(´・ω・`)

独立系中小SIer / 280万~320万 / プログラマ

この辺から詳細設計を任せてもらえるようになりました。業界2年目。コードを書いて一年とちょっとしたくらいです。

こんな感じで実装します。って内容を書いて先輩に事前レビューしてもらい、OKが出たら実装して残りの工程やる。みたいな感じですね。会社の雰囲気にもよると思うんですが、先輩や上司が忙しく働いていて、気軽に分からないことを聞くのが難しくなってきました。「え?わかんないの?」とか言われる時期です。つらい(´・ω・`)

業界3年目、4年目の、私が22歳のころになると、なんかバリバリコード書いていて、ユニットテストを率先してプロジェクトにブチ込んでいた時期でした。その印象も合ってか、他の部署のプロジェクトにヘルプ人員として貸し出されたり、1プロジェクトの運用任されながら、刺さってるプロジェクトのコード書くなどしてました。
ER図とかシーケンス図とかステートマシン図とか、その手の設計書とかドキュメントを書かされ始めたのがこの時期ですかね。

できることたくさん増えたのにあんまり給料変わらなかったです(´・ω・`)

独立系中小SIer / 340万 / 小規模チームリーダー

入社して5年も立つと、後輩も入ってきてそれなりの立場で働くことを期待されるようになり、業界5年めで4人程度プロジェクトのチームリーダーを任されることに。

とはいえ、当時23歳の若造。ピープルマネジメントなんて出来ないわけですね。人にタスクうまくアサインできず、簡単なものばかり任せてしまってた(´・ω・`)ごめん
初めてWBSを管理するようになったのがこの時期です。あとRedMineでチケット管理とか導入してた時期ですね。部署内NASのメンテナンス作業とかも担当してましたね…FreeBSD懐かしいなぁ。

独立系中小SIer / 380万 / PjM補佐

人の管理できないから開発寄りの仕事がしたいです!って伝えてたら、初期開発で色々動く責務が回ってきました。6年目、7年目の頃。

この時期くらいからPjMの指導の元、要件定義の資料と基本設計書を作る仕事してましたね。実際に手を動かして実現可能性を調査したり、当時Android2.2とかの時代だったんですが、偶然受注できたAndroidアプリの開発担当やったりしてました。複合機でNFC使えるようにするSDKの開発もやらせてもらったりしたので、PjM補佐と言いつつもしっかり実装担当していましたね。

顧客とメールをやり取りしたり、定例ミーティングにPjMと一緒に参加したりといったこともやってました。会社としては次期PjMとして育てようとしてたんじゃないかな?と思うのですが、あまりに仕事慣れすぎてつまらなく感じてしまったので退職。次の新天地を探して旅立っていきました。

ソシャゲ会社 / 360万 / WEBエンジニア

前の会社ではtoBの仕事が殆どで、WEB開発は素人同然でしたが、なんとか潜り込めました。エンジニア8年目。25歳。給与は前職より減ってしまいましたが、この会社アホみたいに残業だったり泊まり込みが多くて、常に毎月150時間以上残業してました。毎日深夜、土日どっちかフル出勤。そんな雰囲気の会社です。ちなみにこれだけ働いても残業代は0。やべー会社でした。

ただ、オフィス環境ものすごく良くって、いわゆるおしゃれオフィスでした。一時期毎日のようにランチに叙々苑弁当が支給されたり(これは入社してすぐなくなったけど)、レッドブルが格安で買えたりしました。当時のソシャゲバブルに乗りまくってる会社だったので、福利厚生にはそれなりにお金かけてたみたいです。給与面も売れてるゲーム担当しているチームはすごかった。月5、6億出してるチームの責任者は毎月100万以上、臨時ボーナスが出るみたいな雰囲気で、年収2000万超える人とか何人かいましたね。
なお、売れてないチームには全く還元はありませんでしたが。

この時期は小規模ソシャゲの運用と開発をしてました。月売上5000万規模のゲームですね。各ゲームタイトルにメインプログラマって人がいるんですけど、その人の下で働いてました。仕事自体はかなりの単純作業。稀に障害発生することもありましたが、そのへんはメインエンジニアが頑張ってましたね。

自分の責務はデータや画像の差し替え対応や、問い合わせの調査、Tableタグで画面作ったりすることくらい。ガラケーCSS動かないからね。設計書なんて当然ない。コードはスパゲッティ。当然内容理解するのにものすごく時間がかかり、常に深夜勤務でした。せっかくWEB開発に来たのに現実こんなもんかーって思ってました。

あと、これ多分知ってる方多いと思うんですけど、入社して1ヶ月くらいに、通称コンプガチャショックという事件がありましてですね、2、3日徹夜して既存のガチャを取り下げ、変わりになるガチャを実装するみたいなことをさせられた記憶があります。つらかったなー

ソシャゲ会社 / 480万 (1000万) / 新規立ち上げメインエンジニア

入社して一年くらい経つと、仕事ぶりを評価されたのか、新規タイトル立ち上げのメインエンジニアをさせてもらえることになりました。合計4本くらいの立ち上げに絡みました。半分くらいリリース出来ずにプロジェクト潰れましたけども(´・ω・`)

給与は上がったものの、売上貢献してないから他のメインエンジニアの人とくらべてもかなり低かったです。成果主義評価はこういう辛さある。。。

相変わらず残業は150時間を切ることはなかったし、むしろ酷くなりました月残業最大280時間までいった。週3会社に泊まって、土日なし。48連勤とかやったな。この時に睡眠障害患ってしまい、その後数年不眠気味になりました。つらい。

辛いながらも面白かったこともありまして、この時期に、残業代未払いが労基にタレ込まれたらしく、これまで払ってなかった残業代が全額返還されました。自分は200万くらい返ってきたんじゃなかったっけ?
ちなみに給与の()の部分は残業代とこの返還したものを合わせた金額です。結構なお金もらっていたにも関わらず、長時間勤務で溜まったストレスの捌け口に他社ゲームのガチャに金を突っ込んだり、昼からホテルランチをキメるみたいな使い方をしたので貯金なしでした(´・ω・`)

さて、肝心の責務のところなんですが、新規ゲームのメインエンジニアということで、ゲームの根幹部分の実装や、チームマネジメントをやることになります。あと、予想外だったのが、あるディレクターがあまりバックログの管理が得意じゃない方で、プロダクトだかスプリントだかどっちのバックログなんだい!ってことがありましてですね…このままじゃ確実に炎上するってことで、急遽、似非スクラムマスターぽいことをやる羽目にもなりました。

このときはバックエンド、フロントエンドのコードの下地を作りつつ、他のメンバーにタスクを渡してレビューし、チーム全体のバックログを管理して進捗を追う、みたいなことが私のお仕事でしたね。リリース前の環境構築とかほんとに大変でした。結局リリース中止になったけどね。。。

マザーズ上場企業 / 500万 ~ 620万 / WEBエンジニア

WEBソシャゲが斜陽になりかけたタイミングで転職を決意し、今度はモバイルゲーム事業に本腰入れ始めるという会社に転職しました。ちょうど新しく新規のゲームを開発しようとしていて、その開発エンジニアとしてJoin。当時業界12年目、29歳の頃ですね。4年ほど務めました。

年収、最初は500万で入りましたが、やめるときは620万まで上がったかな?基本的にやってる事自体は変わってないんですけど、利益が出るとそれなりに昇給するんですね。120万は結構な上昇。

さて、ここでの責務は、ゲームをリリースして、売上を維持して安定運用させること、です。仕事はそれに関わること全部。Railsでバックエンド書いてたし、Unityでゲーム側の実装やったり、ビルドしてストアへの申請作業やったりしていました。苦手なインフラもちょっとだけ触ってた。障害対応もやってて、家族で出かけるときもPC常に持ち歩いてました。休日でもサービス止まれば即仕事。そういう責務がわたされてました。

新規機能実装をゴリゴリやりつつ、データ基盤のメンテナンスしつつ、BIツールでデータ可視化したり、チームの生産性上げるツール開発も担当するっていう、なんか色々やりましたね。ユーザーアンケート手伝ったり、NPS計測したり。一時期ゲームプランナーで企画考えたりもしてました。エンジニアとは一体….
フルスタックエンジニアとしてのスキルは間違いなくこの会社で培われたのは間違いない。

運良く開発したゲーム自体は当たり、ある年では月に一度ほどIOSのセールス1桁に出てくるようなゲームになり、会社を大きく支えたんじゃないでしょうか。今も運用続いているらしく、まだインストールできたりします。懐かしいですね。

大企業 子会社ECサービス/ 860万 / アーキテクト

当時、モバイルゲームの潮目が変わり、主なサービス提供者が海外企業に主軸が移ろうとしている中、大企業子会社のECサービスを提供している会社に転職しました。

これまでSIerに任せていたものを内製化して、スピード改善していこうという雰囲気に会社全体がなっており、高給でエンジニアをかき集めてましたねまあ、結局内製化は立ち消えて、3桁近くいたエンジニアは、一年も立たずに1桁になるっていう凄まじい状況だったんですけど。

とある決済に関わるサービスの、Railsリプレースを担当してくれ、ってことで転職決めました。給与もかなり上がったし、大企業の文化ってものに興味があったので、喜んでJoin。

しかし結論、私には大企業文化はマジで向いていない、ってことがわかった。本社巻き込んだ承認スタンプラリーと毎回呼ばれて説明させられることの無為さだったりとか、部長同士の縄張り争いで連携取れねーとか、本社の方針に意を唱えてたCTO飛ばされて内製化が空中分解したりね。色々悟ったりしましたね。結局一年しか我慢できなかったな。この会社。

この会社のシステム、蓋を開けてみるとかなり複雑怪奇なもので、裏側のシステム連携がめちゃくちゃ多い上に、昔からあるデッドコードが全体の7割を占めるという、かなり悲惨な状態からのスタートだったみたいです。ユニットテストもなく、リリースのたびに深夜に手作業でチェックするという運用でした。つら。

私が担当したところはそのごく一部ではあったんですが、これまで担当してきたSIerも仕様の全容を把握しておらず、リプレースあともいくつかトラブルに見舞われたりしました。が、無事にリプレースを終えることができたんですね。

さて、ここでの責務なんですが、担当サービスの全体高速化と、現行サービスからの安全なデータ移行、DMPとの連携機能とそれを用いた新たなサービスのリリース、でした。後はリリースワークフローの整理とかやってました。そのうち、記憶に残っている仕事がいくつかあるんですが、

協力会社のエンジニアが書いた、遅いデータ移行バッチのロジックを3日で書き直したことが特に印象に残ってます。商品カテゴリが1つのテーブルにブチ込まれており、それを各レコードにparent_idみたいなやつがいる構成のやつをパンくずで引ける形式でDBに保存し直すみたいな仕様でしたね。
おい、そういう階層構造持つデータを、parent_idにぶち当たるたびにDBへSELECTしてループするのはやめるんだ。商品カテゴリの全レコード引っ張ってきて、グラフ構造作って探査して、末端カテゴリがないものだけストアしていけ、とかそういう話をしてました。

他のシステムから飛んでくる謎のECU-JPのリクエストを、うまくUTF-8で処理するような変換レイヤーつくってみたり、みたいなこともやってました。サロゲートペア…0x7E…いえなんでもないです。

大量リクエストに耐えられるようにJSONパーサーを入れ替えたりもしましたね。当時のjbuilderは遅かった。連携先の他システム側を開発しているSIerのエンジニアが、データの形式変わるかもしれないし速度が遅くなったらどうするんだって変更嫌がったんですけど、ちゃんとベンチマークとって、どれだけ速度やメモリ効率に差が出るかを「丁寧に」説明して押し切ったり、など、実装から調整ごとまで全部やる、みたいなことをしてました。

リプレースが無事終わってしばらくしてなんですが、内製化中止してのSIer回帰の指令がでまして、エンジニアがガンガン辞めていきました。結局自分もエンジニアから転籍して、給与変わらないまま、広告事業のPjM兼PdMをやることに。。。とうとうエンジニアですらなくなったか。

広告事業は広告事業で、なぜか社内で集積しているデータへのアクセスがいつまで立っても許可されず、BigQuery使わせてくれって申請しても、その分の予算渡してないし社内権限でアクセス許可できないから無理と突き返さえたり….仕方なく購買データのバックアップ側DBからデータ抽出して、Pandasで分析してデイリーレポート出す。みたいなことをしてました。つらい。

真っ当にデータを見ることができないPdMとは?
何するにしてもデータでの分析が足りなく、biz側への説得をしきれず、なかなか施策が実行できないってことが続きました。広告って他の部署の協力ないとできることって少ないんですよね。営業プレゼン、針の筵感あって大変つらかった。

独立系小規模受託開発会社 / 800万 / エンジニアマネージャー

大企業文化を這々の体で逃げたした後は、受託開発の会社でエンジニアマネージャーとしてJoinしました。前職で開発メンバーとして参画していた協力会社の役員からオファーがあり、エンジニア強化をやりたいという話で承諾。前職給与維持ってことで高めに出してもらってましたが、会社の規模的に結構きつかったんじゃないのかな?って、今は思います。

忙しいながらもそれなりに楽しんで働いていたんですが、社長、CTOと馬が合わず、喧嘩して辞めることになりました。なんだ?この一年作ってきた組織の成果をバカにしてんのか?ああん?って自分がブチ切れたんですがね…俺をバカにするにはいいが、一緒に頑張ってくれた社員をバカにするのは許せねぇ。

さて、当時与えられていた責務ですが、1億規模プロジェクトのPjMを担当しつつ、オファーしてきた役員の下で、社内文化の再定義や、ドキュメント文化の定着、評価制度刷新、採用組織立ち上げ、新規事業の立ち上げ(すぐ中止になったけど)、会社広報でWantedly書きまくるみたいな、そういうこともやってました。自分が言い出して始めたアドベントカレンダー、まだ継続してくれているらしく、その点はすごく嬉しいですね。

担当プロジェクトPjMとして、顧客との要件定義やプロジェクト管理しつつ、インフラ構築したり、バックエンドのパフォーマンス改善したり、フロントのビルド環境高速化したり、ライブラリ選定したり、みたいなプロダクトコードは直接書かないけど、なにかしらコード書くこともやってました。もはや何者かわからなくなってきた。

働いている中できつかったことは、プロジェクトの途中でデザイナーが全員退職することになり、自分が代わりに製品のUIデザインする羽目になったことですね。。。ちょっと社が主催してくれたXD対面講座は本当に役にたった。
あとは、プロジェクトの取引先が東証一部の大企業だったこともあり、品質要件がめちゃくちゃ厳しいのもきつかった。セキュリティチェックシートという、何ページにも渡るExcelに全部記入して返信するとかね。メジャーバージョン上げるたびに何度も同じこと書かされるんですよね。つらたん。

会社の中のこともやりつつ、プロジェクト管理して手を動かすってことをやってたこともあり、常にキャパオーバーでして…結果、プロジェクトで発生していた問題にちゃんと向き合えず、暫定対応に追われる日々。

例えば、UIデザイン。本来であれば自分が担当しているのはおかしな話なんですが、表面上それで回っていたことや、会社があまり専属のデザイナーを雇うことに難色を示していたこともあるんですが、デザイナーの採用や業務委託の活用ができませんでいた。会社説得して押し切るべきだったのに。

開発面では、品質の課題を解決するために、リグレッションテスト整備や自動デプロイの構築を優先すべきだったんですが、顧客から積まれていく機能開発優先にして着手しなかったりなど、プロジェクトの問題の優先度を誤ることをやってました。常に仕事に追われていると短期的な視点でしかプロジェクト見れなくなるのでホントだめです。

最終的には度々の品質問題もあり、一年程度担当した後に、他の会社へプロジェクトを持って行かれてしまったんですが、なぜか安堵してしまうという精神状態になってました。きっと燃え尽きてたんだろうな…

終わりに

思いの他、めちゃくちゃ長い記事になりました。すまん(´・ω・`)

これは私の人生で働いてきて実際に体験したリアル。この年収ではこういうことが期待されるんだよ、ってことを説明したかったんですが、「コレ特殊ルート過ぎて全く参考にならんよな…」って書いてる途中で思いました。

世の中のITエンジニアの年収は上昇傾向にあります。高い金額を出してもそれ以上の待遇を出せる会社に、優秀なエンジニアを持っていかれるという話も当たり前に聞きます。スキル以上にその会社がいくら出せるのか?その分の売上や投資があるか?が給与決定に大きな影響を及ぼす時代なんですよね。今は。

自分の経験の上でも、やはり上場してお金稼げてる企業や大企業はしっかり給与を出してくれますし、小さいながらも会社を変革してくれそうな人材には投資の意味合いで高めに給与だしてくれる会社もあります。

そういう働き方ができるのがITエンジニアの面白いところでもあり、大変なところでもあります。キャリアの組み立て方次第では詰んでしまうこともありうる現代ですが、それでも他の仕事よりは夢があり希望があると思います。

自分のなりたいと思っているもの。今一度見つめ直してもらって、本当にそこに向かって進んで行けているのか。この機会に一度考えてみるといいかもしれませんね。

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