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Darjeeling Tea Lovers Only(A01)

(A01)ダージリンの歴史

ダージリンタウン

 インド西ベンガル州の西北部、ネパールとブータンに挟まれたダージリンの地はかつてシッキム王国の一部でした。

 神聖なヒマラヤの麓に最初に足を踏み入れたヨーロッパ人ヒマラヤ探検家J.W.グラントと英国陸軍中佐G.W.ロイドによってタージリンの歴史は始まりました。

 1829年、ロイドはシッキム国王に土地譲渡の交渉を行い、1838年からインドに住む英国人、主に東インド会社の職員のための避暑地として開発され、1839年シリグリからダージリンへの道路が完成、1840年にはドクターキャンベル(1805~1874)がダージリン開発の最高責任者としてネパールカトマンズから赴任します。

 そして、ダージリンにおける茶栽培が、1842年、ダージリン初代長官ドクターキャンベルが海抜2134mの庭に中国種の茶樹を植えたことから始まります。

 茶を育てるのに適さないと思われていた寒冷なダージリンの地に中国種の茶樹は根付き、1860年代、70年代に次々に茶園が開かれ、1890年代には茶畑面積はほぼ現在とかわらないくらいの規模となったのです。

<年表>
1829年:
英国の陸軍中佐G.W.A.ロイドがダージリンを訪れ、シッキム国王にこの地方を獲得する交渉を行なう。

1835年:
シッキム国王がこの地域を譲渡する証書を書き、この証書によってダージリンが英国統治下にはいる。

1839年:
シリグリーダージリン間の道路が完成する。

1840年:
外科医A.D.キャンベル博士が、ダージリン開発の最高責任者として、ネパールから赴任する。

1842年:
ダージリン初代長官Dr.キャンベルが、自宅の庭(海抜2134m)に中国種の茶の木を植える。

1852年:
ロバートフォーチュンが武夷山から上海、コルカタ経由で運んだ茶の木が根付く。

1856年:
Dr.キャンベルがアルバリに茶園を開く。キャンベルに続いてバーンズ兄弟、ストーク伝道師によって茶園が開かれる。

1864年:
ダージリンカンパニーによって4茶園が開かれる。

1860~70年代:
7バレーに次々と茶園が開かれる。

1881年:
ダージリン・ヒマラヤ鉄道(トイトレイン)開通。
ニュージャルパイグリ駅からダージリンまで全長約90㎞高低差約2000mを8時間以上かけて走る。
ニュージャルパイグリ→シリグリ→カルシオン→グーム→ダージリン

1890年代:
茶園面積が現在とほぼ変わらない面積となる。

1999年
ダージリン・ヒマラヤ鉄道が世界遺産に登録される。

上の記事は「Darjeeling Tea Lovers Only」中の記事です。
他茶園の物語も読んでいただけたら、幸いです🍀

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ダージリンティーを愛する人へ捧げる一冊です^^

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