とある視点(槌屋編) 2020/08: ジェンダーと起業、イノベーション拠点、都市からの逃亡
こんにちは、Impact HUB Tokyo共同創業者の槌屋です。
先月(2020年8月)からNewspicksのプロピッカーに就任しました。これを機会にニュースを追っていきます。
せっかくピックアップした内容も単にNewspicksだけで呟いていてもちょっとつまらないので、毎月プロピックした内容とその後、その延長線で、どんなことを考えたかをまとめたいと思います。
https://newspicks.com/news/5113919
日本のスタートアップシーンにおける「女性」の立場はいまだにお飾り
ジェンダー平等における問題は毎月なにかしらの炎上や議論が起こっていますが、8月にはIVSのイベントのプロモーションに利用された女子アナ騒動から、「女性」の扱いに関する批判が相次ぎ、スタートアップシーンで少々炎上気味になりました。様々なまとめが出ていると思いますが、ANRIの投資家の方がCotree櫻本さん等と共にIVSで追加セッションを実施されたり、ANRIで働く女性がその問題を取り沙汰するなど、投資家側にいる女性たちからの突き上げもあったと思います。
さらに、その後、女性起業家が男性投資家に投資をお願いする行為を「パパ活」と呼ぶ男性が登場し、複数の女性起業家たちが憤慨し、話題にもなりました。他にも、「女性登壇者」がいないイベントに登壇するのを拒否するムーブメントもできつつあります。
ですが、もう少し盛り上がってもいいのにと思いつつ、意外とあっさり消火されたのは、思った以上に議論のレベルが上がらなかったからかもしれません。この議論をきちんと深く掘り下げて語れるほど、まだ土壌が整っていない印象でした。特にIVSの女子アナ起用やパパ活発言への擁護する側に的確かつ冷静な論者がおらず、非常に攻撃的で感情的なやりとりに終始したことが残念な事態でした。そのため女性起業家たちは「相手をしていても時間の無駄」と去っていったような気がします。
また、シリコンバレーでもまたPinterestでセクハラ問題が発覚するなど、尽きることはなく、まだまだ続く感が強い、根の深い問題です。
土壌が整っていないと言えば、日本のスタートアップシーンで大御所と言われる人も「海外のスタートアッププロセス」に関する学術研究や他者の著作を剽窃する行為も見受けられ、日本のスタートアップシーンはまだまだワイルドウェストで無法地帯であることには変わりない印象です。
このエコシステムを成熟させて、「グラビティ(重力)」をもつ業界にしていくにはどうしたらいいのでしょうか?私も一人の起業家として日々の思い悩んでいる課題の一つです。NewsPicksでもとくに注力してこのイシューを追っていくつもりですので、もし他にも興味のある方や一緒に議論したい方などがいれば、連絡いただければうれしいです。
イノベーション拠点の乱立時代に突入
上記とも関連しますが、この界隈で「グラビティ(重力)」がない理由の一つが、猛烈な勢いで、起業家や創業というもののコモディティ(商品)化が進んでいる点です。それが、全体的な日本のスタートアップシーンの「浮わつき」を加速させています。
この「グラビティ(重力)」という単語は、実はImpact HUB San Franciscoに集うファウンダーと投資家たちと2012年から13年にかけて話をした時に、女性のファウンダーの1人が「浮ついたシリコンバレーのスタートアップエコシステム に、どうやって『グラビティ』をもたらす存在になれるか、がImpact HUBのミッションだと思っている」と話していたこととリンクしています。私たちも2013年以降ずっと上記のミッションと同じものを東京のエコシステムで模索してきていますが、7年も8年も前に、サンフランシスコも同じ状況だったのだなあ、と感慨深いです。
現在、2014年から2016年ごろから雨後の筍のように発生した日本の大企業のCVCが、今度は投資だけでなく、自分たちのソーシングに都合のよい起業家が集まってくるようなデザインを必要とし始めています。そうでもしないと、投資がいのある起業家を見つけるコストが高すぎるんですね。その最たるものが「オープンイノベーション」という号令であり、国をあげての大号令でした。
その潮流の中で、「起業家支援のため」という名目を持ちながら、最終的には「起業家のためになっていない」ものが、有象無象に輩出されてるのが現実です。その中でも、最近よく見かけるのが「スペース」という場を提供する拠点系のものであり、これが私たちのビジネスとも密接に関係しています。「スタートアップ拠点」「起業家支援拠点」「創業支援拠点」「イノベーション拠点」などの単語で表象されます。特に、現在開業を迎える拠点はコロナ禍よりも前に企画されたものが殆どであるため、2年から3年の構想を経て作られています。そのため、コロナ禍の価値観変容についていけない可能性のものが多いですし、明らかに旧態依然とした仕組みのまま、「変容」できずに硬直しています。
こういう拠点が死に体になるのも時間の問題で、初期投資や通常の建築のようにプロジェクトを進めるのではなく、価値変容・人材変容・ソフトコンテンツ変容に合わせて、アメーバのように変わる建築や設計の拠点が必要となって来ているのです。
何に投資をしなければならないかというと「運営」です。ですが、運営という「人的資源」よりも、ついつい箱物の「施設」にお金をかけて、それで完結した気になっているプロジェクトがほとんど。おそらく、そうやって「運営」まで考え抜かれずに拠点経営されたものは、どんどん死に体のエネルギーレベルの低い「○○センター」的な形骸化されたものに変わっていくだけでしょう。
次の時代のビジネスや思想を育む人たちは都市から逃れている
現代の思想家的な存在の方々のライフスタイルを見ていると、ビジネスというものの深淵を思考するにあたって、「自然」や「都会の喧騒から隔離して思索する時間を作る」という行為は、非常に重要なファクターであることに気づかされます。
「トレンド」などの賞味期限が短いものではなく、「次の時代とは何か」のような長期的な俯瞰が必要になるものは、都市の中で考えにくいものになって来ているのかもしれません。
さらに、今回のパンデミックで変容した生活様式は、人々は「人と人が出会うとなんらかの価値を伝達しあっている」という事実をあらためて示しました。
「遠方の地域で起きたことは、自分と全く無関係ではない」ということを恐怖を持って実感しましたし、「世界の経済、価値観、文化や言説は、こうやって循環しているのだ」という事実を認めざるを得なくなりました。
そのため、「システム」として世界を捉え直す感覚は、より一層、一般的になったと思われます。
私も共同創業者のポチエも、数年前に長野の飯綱高原に引越しをしましたが、システムを考える時にこの「自然」の存在が非常にいい写し鏡になっていると感じています。システム思考を実感したり、深化させたり、そして、深掘りした思想を自分たちの経営やビジネスの次の一手と重ね合わせる時に、「自然」が見せてくれる生態系の営みは参考になります。自然は時に厳しく残酷で、因果応報が必ずあり、その因果はかなり遠いところから発生して、ある日突然降ってくることもあります。「風が吹けば桶屋が儲かる」ではないですが、それを日々感じながら生きる、という思考訓練は、自然とシステムの循環を常に意識した生活に身を置くことになるからです。
こうした「深淵」を一緒に思索したい方がいたら、是非、お声がけください。飯綱高原に来ていただいて、この生活体験をしていただきながら議論を交わしたいなと思っています。