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ショック

大したことではない。思わぬことが起きただけだ。心に受けたダメージは大きかったが。いや、ダメージというよりかは焦燥感だろうか、とにかくショックだ。

何があったかというと、書いていた記事の内容を意図せず消してしまった。つまりはそういうことだ。noteにはやり直し機能がないらしい。同様に人生にもやり直し機能はないようだ。

私は自身が怠惰であることを自覚しているのだが、今回の”事件”は私の、怠惰な性質に起因するようである。怠惰な私はどんなオンラインの記入フォームでもワードやメモに下書きせずに直接書き込む。完全に自業自得である。俗にいう現場猫事案である。

もう焦燥感を通り越して呆れてしまった。下書き、草稿を作らないことに対しての忠告、警告はたくさんあった。それを全て無視してきた自分をもはやかわいそうな奴だという段階は過ぎている。以前にも近いことは起きてきた。人の性質というものはそう簡単には変わらないのだ。だからと言って放置するつもりはない。あの何日にも渡って何時間もかけて書いた記事を手放すことにしたのだから、せめて供養として、今後はメモ機能かWordかに草稿を作ってからnoteにコピペするようにしたい。同じ過ちを犯すのを見過ごせるほど私は自分の人生に無責任ではない。だから、もしこれを読んでいる私が草稿を作らずに投稿文を書いているのならすぐにそれをコピペしてどこかに貼り付けくること。この瞬間にもその文章が消えてしまうかもしれないのだから。Twitterの呟きぐらいならいいとかそういうことではなくて、時間を掛けて書くもの、重要なことは草稿を作る必要があるということだ。特に時間をかけて書いたものは書き直すにも時間がかかる。その上、熟考して書かれた可能性が高いため、特異な言い回しなどが含まれていることがある。そうなると、概要を覚えていても再現は非常に難しくなる。消えてしまったもの、失われしものは、もう帰ってこないのだから。

消えてしまったものを思うと非常に虚しくなる。喪失感というものだろうか。今後幾度となくこの感情を味わうことになるとは思うが、こんな些細なことで味わうのは御免である。くどいとは思うが、これを見た私がまだ草稿を作らずに書き物をしているなら、直ちに草稿を作ること。と言いつつ、この記事も草稿を作っていないが。

私という人間は本当にどうしようもない人間のようだ。今これを書きながら、書いている忠告を無視しているのだから。私は天邪鬼なのかもしれない。

たまたまこの記事を見かけた方、ここまで読んでくれてありがとう。何らかの暇つぶしになったのであれば幸いである。またいつか、どこかで私を見かけたらどうしようもない人間の記事だと敬遠せずに読んでいってくれると嬉しい。

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