見出し画像

夢と希望と絶望と コロナに揺れたダイヤモンド・プリンセス号の舞台裏 後編

前編からの続き)
このお話は、プリンセス・クルーズ号での勤務を夢見て見事に叶え、そして未知の恐怖と戦った不屈のフィリピン人女性の物語の続編です。

5.戦いの始まり

その悪魔は、瞬く間に船内を駆け巡り、生活環境を一変させました。昨日まで大広間で陽気な音楽に合わせて踊り明かしていたグループも、レストランで世界各国の料理に舌鼓を売っていた家族も、ショッピングを楽しむ熟年カップルも、一夜にして消え失せました。

みな、自室に軟禁状態。食事はスタッフが部屋の前の床に置いていったものを隙を見て引き取ります。

廊下に置かれた食事

感染状況に合わせて船内はゾーニングされ、物々しい姿の医療関係者や専門家、自衛隊が慌ただしく駆け回ります。

当時の船内の緊迫した様子(撮影:Kim)

日を追うごとに船内の様子が茶の間に報道され、それに釘付けになるボクたち。安倍政権による未曾有の事態への対応は世界の批判や称賛を交互に浴び、海外のニュースでは各国の乗客たちのストレスと疲労に満ちた生の声が届けられ…

その頃、Kimは。

途方もない恐怖に日々にさいなまれていました。当初、「I'm so scared(怖いよ、とっても怖いよ)」というメッセージが何度届いたでしょうか。彼女の夢はその時、1日も早くこの「嵐」が去ってくれることに変わっていました。

それでも、1週間も経たないうちに、気丈にも自分に今できることをやるんだと奮起して、医療関係者への食事の配膳を買ってでた彼女。どこまでもポジティブであることを忘れない彼女が届けたのは、きっと食事だけではなかったはず。精一杯の笑顔と労い、きっと良くなりますよという希望の言葉だったと信じて疑いません。

その証拠に、見てください、このポスト。

レストランからBack to normalを信じて笑顔を発信するKim


6.そして嵐は去った

危険で過酷な状況に長期間置かれたKimですが、2月25日、幸いにして感染することなく切り抜けることができた、とチャーター便で帰ったフィリピンの検疫施設から連絡をくれました。

彼女の日本での悲劇は終わったわけですが、その後はマニラ付近がロックダウンされ不遇は続きました。何より心残りだったのは、せっかく手にした大好きな夢の職場「日本」を離れざるを得なかったこと、そしてしばらくはクルーズ船のクルーという夢の仕事もできないということではないかと思います。

しかし、ある日、彼女が「大切にしている」という写真を送ってくれました。

それは、いかに彼女たちクルーが乗客や仲間に愛され、励まされていたかを証明するものでした。何枚も、何枚も、何枚も、キリがないほどの温かい手書きの声援が各個室のドアに張り出され、日々彼女たちの献身が讃えられていたのです。

キャプテンから贈られたKimの誕生日プレゼント

地獄のような状況にあって、オアシスのような光景がそこには確かにあったのです。人を生かすのは、人の気持ちです。この写真を見せられて、ボクは不覚にも少し目に汗をかきました。ここに人間の一番きれいなところが濃縮されているような気がして。。。

このことがあって、Kimはこの仕事が天職だという思いをなお一層強くしたのではないかと、ボクは思います。

7.挑戦は終わらない

今、Kimは、次なるステージに立とうとしています。

日本が海外からの旅行客の受け入れを制限している中、先日、イタリアでの勤務オファーがあり、再びパスポートと少ない荷物を握りしめ立ち上がったのです。

ただ、残念ながら、今回は出国前のPCR検査で陽性反応が出てしまい、約2週間ホテルに缶詰にされた後、今は自宅で家族と過ごしています。幸い症状がないまま済んだようです。

まだまだ世界は不安定、不確実な状況が続きそうです。が、Kimは夢を諦めず、再び大勢の観客とクルーをのせた「温かい」クルーズ船で働けると信じています。彼女を止めることができるものなど何もないかのようです。

数ヶ月後、いや数年後かもしれない。けれど、きっとKimが再びやってくる。その日を待ちわびながら、毎日しっかりやっていこうと、ボクは思うのでした。

検疫中でも「いつもの笑顔」


おわり

長い話を最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。
いいなとか、Kim頑張れとか、私も頑張ろうと少しでも思っていただけたらこれ以上の喜びはありません。

ではまた、次のストーリーでお会いしましょう。

この記事が参加している募集

#スキしてみて

528,964件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?