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長文感想『東京万華鏡』川本三郎

昭和の風景をリスペクトした評論家・川本三郎氏が綴る、昭和の東京の現実とフィクションを魅力的に映し出す、「万華鏡」のようなエッセイ本です。

著者の視点だけでなく、様々な作家の目に映った「東京」の、一種文学散歩のような味わいがある一冊。

この本が刊行されて四半世紀経ちますが、私も知る東京の「少し前の雰囲気」がとても心地よく、こころ穏やかに読了した次第。


その切り口は、昭和の頃の東京の「自然」・「道や橋」・「崖」(東京は意外と坂が多い)・そして庶民の「娯楽」と、とても幅広いです。

特に「崖」は、東京の山の手と下町の境界線であり、住人の「文化」もここで大きく変わる象徴的な場所。

平坦な下町しか知らない私には、ここまで実感はありませんでしたね。

著者は、少年の頃に通っていた学校がある麻布の街を取り上げた、水上滝太郎作『山の手の子』という明治期の小説を引用します。

主人公の男の子は崖の上にあるお屋敷の子。
屋敷から見下ろす下町には、子どもたちが夢中になる雑貨屋や玩具屋があり、地元の子どもたちが道端で遊んでいる。

親から下町の子との交流を禁じられていたものの、自宅の庭の奥に行くと「下町」がすぐ目の前に見え、そこから下町の子どもたちの交流が始まる。

やがて、魚屋の娘・年上のお鶴に恋心が芽生え、お鶴も年下の彼を可愛がってくれる。

しかし、お鶴は隅田川の向こうへ芸者の子として養子へ出されることになり、彼の恋心も、下町の交流も終わる。

当時の東京の住人の日常の魅力、そして切なさもまた伝わる筆致は、我々世代の東京人のこころにグッと迫るものがあります。

崖にも、そして下町の橋にも、人々を隔てる「壁」のようなものがかつてはあった…そんな過去の東京の姿。
少しだけ若輩の私にはとても重く、かつ情緒も感じられるように思いました。


その反面、昭和の東京を元気づけた様々な「文化」にも触れています。

著者の若い頃、東京中を沸かせた小岩出身の横綱「栃錦」(小岩駅構内に銅像あり)。
著者の地元・阿佐ヶ谷に当時あった花籠部屋(はなかご) の「初代若乃花」
そして私の地元のヒーローだった、江戸川区春江町の九重部屋(ここのえ)・「千代の富士」

東京を代表する「文化」のひとつだった相撲。

街のあちこちの居酒屋で、実況に熱中する庶民の姿も記す著者の相撲への思いは、私自身の記憶もリンクしてより印象深いものとなりました。

その他、東京のプロ野球チームのスタジアム観戦記録、東京を舞台にした名作映画の中に描かれる東京の風景など、著者の東京への共感は媒体を超えて色濃く綴られています。


今は個人的な事情で、遠出して散策することが難しい状況。
その中で経験した、本を通じての時代を超えた東京散策。

絶妙なタイミングでこの本に巡り合えたのは嬉しい出来事でした(´ー`)

【以下、余談】


本書の後半は、東京に「夢」を抱いてやって来た、当時の若者たちの姿が中心。

特に意外だったのは、あの藤子不二雄先生のおふたりが、最初に東京へ下宿したのが私の職場のある「江東区森下町」だったこと。

その顛末は、藤子不二雄先生の『まんが道』に詳しいのですが、当時、森下町の時計屋の2階の2畳間(!) での生活。なんと、ひとり1畳…。

余談ですが、私の母が若い頃、江東区砂町で下宿していた際は3畳間だったと聞きました。

そんな生活の中でも、本作でも登場する、永井荷風の小説『濹東綺譚』(ぼくとうきたん) の舞台を見て感慨に耽り、街を闊歩する力士に興奮を隠せず、暇があれば映画館をめぐる日々を謳歌していたようです。
(ここだけの話、大雨が降ると道の側溝から雨水があふれ、街中が水浸しになり驚いたそうな。同じ話は私の母からも聞きましたね)

半年ほどで、あの伝説のアパート「トキワ荘」へ転居されるのですが、深川の街をおふたりがこれだけ楽しまれていたというのは、私もとても嬉しく思った次第。

とは言え、著者の川本氏もよく散歩に訪れたというこの江東界隈も、昔ながらの風情を伝える建物が次第に減り、代わり映えの無いマンションに次々と変貌しています。

私の職場も、そんなマンションの管理室なのですが😅

【おわり】


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