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光と闇が融け合う──田部京子 ピアノ・リサイタル(「Tiaa Style」連載「耳を澄ます言葉」より第2回

 6月27日に、師である田部京子先生のピアノ・リサイタルを聴いた(佐倉市民音楽ホール)。曲目は、シューベルトのソナタ第4番、ショパンのソナタ第2番「葬送」、そしてシューマンの《クライスレリアーナ》。
 シューマンの演奏前のトークで、先生は、《クライスレリアーナ》のロマンティシズムが「感傷的でない」ことを強調されていたが、その「感傷的でないロマンティシズム」は、先生の演奏自体にも言えることであろう。静謐な空気が染み透るほどに純粋な音に象徴される、感情に溺れない高潔な精神に貫かれていながら、特にその音間や和声の繋ぎ目から聴き取れるように、そこには濃やかな情愛の流れがある。それは、構成の美感を決して打ち破らず、あくまでもその内側で迸るがゆえに、音楽の深まりと共に濃度を増してゆく。
 一曲目のシューベルトのソナタ第4番の冒頭の符点のリズムも明快で決然としているが、音はやはり円みを失わない。直後に対比される上昇音型は、激情が内から湧き起こるような濃密さで描かれ、その豊潤な響きの中で、想いが砕け散ったかのように一六分音符がはらはらと舞う。
 自らの内に渦巻く愛に全てを巻き込んでゆくような圧倒的な吸引力を持ったシューマンの和声を汲み尽くし、立ち昇るエネルギーを受け止めた後半の《クライスレリアーナ》も無論魅力的だったが、この日、最も強い印象を残したのは、ショパンのソナタ第2番「葬送」の演奏である。
 全編に絶望と焦燥が響き渡る作品で、その闇に徹底的に打ちのめされる、叫びを前面に押し出した演奏もある。しかし田部先生の演奏は、不安に付きまとわれ、絶望にひた走るショパンの叫びを、大きな愛で包み込むようなものだった。旋律線がゆったりと縫われてゆく第2楽章の中間部などの場面では、安らぎの表情さえ感じさせた。
 先生の手に包まれると、このソナタ第2番の闇の中から、透き通った、しかし柔らかな光を放つ芯が浮かび上がる。光と闇との交替が生み出すその煌きは、「銀色の闇」とでも言ったらいいだろうか。終楽章でも、この楽章を語る際によく使われる「墓場に吹く風」の比喩を借りるならば、魂の蠢きのように響きがうねり、混ざり合いながらも、その風の砂塵の一粒一粒までもが見えるような明晰さが損なわれない。銀色の闇の中で、ショパンの叫びが静かにこだましている。
 透明と濃密、光と闇。相反するはずのもの同士が、田部先生の演奏の中で、融け合ってゆく。

(東京国際芸術協会会報「Tiaa Style」9月号)

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