【「演奏家の仕事」とは何か】山縣郁音×篠村友輝哉 「音楽人のことば」第10回 前編
「音楽人のことば」シリーズも10回目となりました。振り返ってみても、同世代の音楽家たちがこれほど自分の考えを語る場はあまりなかったのではと自負できるほど、充実した企画になっていると感じています。ゲストの方々、読者の皆様にはこの場を借りて改めて御礼申し上げます。
節目となる今回は、ヴァイオリニストの山縣郁音さんをお迎えしました。端正な演奏ながら、華のある音色をお持ちの山縣さんですが、室内楽やオーケストラから、コンテンポラリー、アウトリーチと演奏活動は多岐にわたり、様々な角度から音楽を探求されていらっしゃいます。また、哲学や現代美術などにも関心をお持ちで、そんな山縣さんとのお話でしたので、演奏家という仕事には、どういう精神が必要なのか、という大きなテーマを据えてみました。
私にとって、第7回の五十嵐さん、第8回の山本さんに続くはじめましての方との対談でした。山縣さんが私の批評やエッセイをよく読んでくださっていたことも、今回お願いがしやすかった理由の一つでしたが、こちらの予想以上に、溢れ出すように感じ考えてこられたことを、明るい語り口で話してくださいました。
©️Reiko Hayakawa
山縣郁音(やまがた いくね)
鎌倉市出身。桐朋女子高等学校音楽科、同大学卒業。同研究科、オーケストラアカデミー修了。
恵藤久美子氏、堀正文氏、漆原啓子氏に師事。
2018年よりTalent Music Master(イタリア)にてPr,Mark Gothoni のもとで学びディプロマを取得。第7回ベーテン音楽コンクール大学生の部第1位、ザルツブルク=モーツァルト国際室内楽コンクールにて第3位等受賞。新曲にも取り組みPoint de vueやNCM主催の演奏会にて初演等行う。現在サントリーホール室内楽アカデミー第6期フェロー。
ーー作曲家と意見を交わすことで見えてきたこと
篠村 山縣さんはソロ、室内楽、オーケストラ、コンテンポラリーの初演、アウトリーチと、多岐にわたる演奏活動をされていらっしゃいます。専門性に特化した活動をする演奏家も少なくない中で、素晴らしいことだと思うのですが、様々な世界に携わっていることで、例えば、初演のリハーサルなどで作曲家の方と直接対話する経験が、他の場に生かされたりといったことがあるのではと思います。いかがですか?
山縣 現代曲の話で言うと、もともとは現代曲をやりたいという思いがすごくあって始めたわけではなくて、自分のソルフェージュ能力の向上になればとか、そういう理由だったのだけど、やっぱり作曲家の人と話していくうちに、現代曲の演奏を楽しめるきっかけになった。高校のときの担任の先生が、作曲家の森山智宏先生だったのだけど、それもきっかけとして大きくて。特に高校時代って、いろいろな感情が入り乱れているし、未成熟だし…、わかりますか(笑)?
篠村 わかります(笑)。
山縣 しかも周りも音楽科の友人ばかりで、いろいろなことに一喜一憂したり、なんでこんなに音楽で葛藤しなきゃいけないんだろうとか、不安定な日々を送っていたのだけど、そのときに森山先生が、私の相談に対していろいろな言葉をしっかり返してくださって。音楽家と真剣な対話をしたのはそれが初めてだったと思う。やっぱり、実技のレッスンではなかなかそこまでの話は先生に言い辛い(笑)。そんな中で森山先生が話を聴いてくださったというのは大きかった。
そのうちに、先生の曲を弾かせていただいたりするようになったのだけど、そのなかで演奏の側からも質問していいんだということがわかって。逆に、作曲者本人から「ここって弾きにくいですか?」と訊かれたりして、作曲家って、結構演奏家のことを気にしてくれるんだな、と思ったり。エチュードとかコンチェルトとか、作曲家の書いたものを、できるだけ正確に弾くことばかりをやってきたから、そういうことが新鮮だった。そういう経験が積み重なって、古典の作品でも同じ人間が書いた曲なんだと思えるようになった。もちろん、作曲家は自分の表現したいことを強く書いていると思うんだけど、考えてみれば、ブラームスとかだってヨアヒムの助言を受けて書き直したりしていたわけで。同じ人間として共同作業しているという風に思えるようになった。それが、現代曲とクラシックを並行して演奏していることでよかったことの一つかなと思います。
篠村 僕は親しくしている作曲家の友人が何人かいるんですが、彼ら彼女らと話すようになって、僕の演奏家観というものが変わってきた部分があります。それがまさに今山縣さんのおっしゃったようなことなんです。僕たちは、諸先生やいろいろな演奏家の「楽譜に忠実に」という言葉を嫌と言うほど聞かされてきているので(笑)、どうしても、演奏家は作曲家より下に属していないといけないんじゃないかみたいな考え方になってしまいがちですが、作曲家の方の話を聴いていると、すごく演奏家へのリスペクトを持ってくれている。「演奏がなされないと作品として完成形に至らない」というようなことも言っていて、やっぱり作品にいのちを与えていくのは演奏家ですから。その存在は、作曲家と同じくらい音楽を作り上げていくうえで重要だと考えるべきだと思いますね。
あと、自分の意図したことといいうのは作曲家それぞれにもちろんあるんですが、作曲家の方って、演奏家から返ってきたものが必ずしもそれとぴったり一致しなくても、説得力さえあれば、作品に新しい光を当ててくれた、自分が想定していなかったことまでが演奏家の手によって起こった、というように捉えてるんですよね。そういうことを知れば、演奏家ももう少し自由に作品にアプローチできるのかなと思いますね。
山縣 そうそう。もっと作曲家と演奏家が直接話すプログラムみたいなものが音楽学校にあればいいのにと思う。分析なんかでも、作曲家の方に尋ねてみるとか。そういう協調関係のようなものが生まれるだろうし。単純に、自分の曲を弾いてもらえることを彼ら彼女らは喜んでくれている。そういう顔を見ると、私たちの存在意義を感じられる。「弾いてくれてありがとう」という反応をいただけると、素直に染みる。
ーー演奏家から作品へ返すもの
山縣 私はミラノに勉強のために滞在していたことがあって、その期間とその前の期間で、自分とゆっくり向き合う時間が結構取れたのだけど、その時に、自分の方から提示していくっていう方向もありなのかなと思うようになった。それまでは受け取ったものをどうするか、という感じだったのだけど、私の方から「この部分はこういう弾き方でどうでしょう?」みたいな(笑)、そういう方向の可能性もなくはないんだなと、一人で練習しながら思うようになりました。日本人の演奏は、技術的に優れていると思うことも多かったのですが、ミラノでヨーロッパの人の演奏をたくさん聴いていると、彼ら彼女らの演奏は、技術的には日本人に及ばない部分があったとしても、それ以前に惹き込まれるというか、やっぱり何かを提示している。楽譜に書いてあることを再現するというより、再構築しているというか、「僕のバッハの解釈をどう思いますか?」というような。楽譜を正確に読むことを踏まえたうえで、そういうものをもって演奏した方が、いろんなものが見えてくるんじゃないかと思います。
篠村 演奏において、演奏家の主張とか演奏家の個性は必要ない、というような極論を言う音楽家の方もいらっしゃいますよね。でも僕は、言わんとしているところはわかるんですが、そういう極論にはやっぱり違和感を持っていて、それはなぜかというと、さっきの話の言い換えになってしまいますが、演奏って、楽譜を見て、そこからまだ音になっていない音を聴くというところから始まって、それを実現する、ということですよね。で、そのときに、ある作品の音を想像して、なにがしかの感情や心理を呼び起こされる。それは確かに、演奏家の側から自発的に生まれたものではなくて、受け取るもの、喚起されたものではある。だけど、その感じたことっていうのを、今度は演奏家が作品に返していくっていうことも大事だと思うんですね。
山縣 わかります。
篠村 アンサンブルで演奏者同士が反応し合うのと同じで、演奏者と作品の間にも反応がある。やっぱり僕自身、演奏家の顔が見えない演奏って面白くないと思うんです。アプローチの仕方にその人の人間が滲み出てくる、そこが面白い。
山縣 弾いている人から提示がない、そこに演奏家自身の「人間性」があるのとないのとってかなり違う。曲と奏者が反応し合って生まれるものもあるし、聴いている人からも目に見えない反応がある。そういうものに満たされるのがいい演奏会だと思います。
篠村 たった一人を前にするだけでも、家で独りで練習しているときとは違う何かがある。独りで弾いているときには生まれない、緊張感のなかの交感というか。
山縣 決してこちらの感情の発露に作品を利用してはいけないと思うんだけど、主客のバランスみたいなものというか。演奏家の一方的な感情が押し付けられた演奏と、作曲家の意図は尊重したうえで奏者のキャラクターが見えてくる演奏の違いは何なのかというと、その主客のバランスがうまくとれていることなんだろうなと。自粛期間中に、自己表現をしているのかを窺いながら、シューベルトのピアノ・トリオの変ロ長調の方をゆっくりさらっていたのですが、そのときに、目指すべき音と弾き方を模索することに、作者の意図か自分の感情か、そのどちらかを優先させるということはなく、うまく機能すれば結果としてどちらもそこにあるということ、主客を深く結びつけるために鍛錬しているんだということを理解しました。そういうところを常に目指していきたい。室内楽では、そのバランスを作っていく過程が、3人になったり4人になったりして変わっていくのが面白いところで、そこにさらにお客さんの反応も加わってくる。万華鏡のようになっていくのが面白いと思う。
篠村 本当にそうですね。指揮者の大野和士さんの理想とする指揮者の在り方が素晴らしいと思っていて、曰く「指揮者の理想は、あそこにいきますよ、ということだけを示してあとは解散させること」だと。つまり、こちらの出してくださいという合図に合わせて出された音は本当にいい音ではなくて、あくまでも奏者それぞれの出したいタイミングで出る音が本当にいい音で、それを束ねていくのが指揮者だとおっしゃっていたんですね。今のお話とこの大野さんの話には重なるところがあると感じました。
哲学者の國分功一郎さんの『中動態の世界』という本のこともちょっと思い出しました。私たちはどうしても、言語に思考が規定されてしまうので、特に英文法を習って以降、人間の行動を受動と能動のみで考えてしまいがちですが、かつてはその中動態という態があって、古典ギリシャ語などに使われているそうなんです。それで、あまり話してると長くなってしまうので(笑)、簡単に言うと、自分の意志がないとは言い切れないが、純粋な自分の意志のみでもない行為とか、周囲からの影響も受けつつ、周囲に影響を与えてもいるような、受動と能動の単純な対立に分けられないことって、実は私たちの世界の中にたくさんあるじゃないですか。そういうものを「中動態」と言うんですが、音楽によって生まれるコミュニケーションもそういうイメージに近いところがあるのかなと。
山縣 それはしっくりくるものがありますね。
篠村 自分の好みも込みで言うと、僕はやっぱり、効果を狙った演奏って好きじゃないんですね。「こうすれば聴き手はこう思うはずだ」とか「感動させたい」みたいなものは、作品の内容とは無関係なものです。その反面、学生の頃はよく「聴き手を意識して」というような注意をされることが多かったんですが(笑)、でも、その作品と自分の関係、内側へ入っていく意識を、本当に極めれば、自ずと外にいる人たちもこちらの世界に入っていける、そういう入り口が生まれるんじゃないかと思っているんですよ。
山縣 そうそう、そうだよね。イタリアで聴いたプレトニョフ(*ピアニスト)がそういう感じだったし、篠村さんも以前記事に書いていたポゴレリッチ(*ピアニスト)とかも。ポゴレリッチが昨年シューマンの協奏曲を日本で弾いたときにオケに乗っていたんですけど、それこそ本当に、彼がオーケストラを巻き込んでいる感じもありつつ、彼の世界の中でシューマンと向き合っている、というような感じだった。あと彼って、開場してもステージで弾いているじゃない(笑)?
篠村 そうですね(笑)。
山縣 「作曲家と自分」ということに加えて、「楽器と自分」の交流もありますよね。あれは別に、その姿を見てもらいたくてやっているわけではないし。その関係性を、聴いている人も感じ取る。特に、ブルックナーの交響曲のような1時間くらいかかる曲を聴くとなると、やっぱり聴き手の方からも曲に自分から入っていく意識がないと難しい。
篠村 やっぱり、音楽を真剣に聴くと、いい意味で疲れますよね(笑)。
山縣 そうそう(笑)。
後編に続く(こちら)
(構成・文:篠村友輝哉)
山縣郁音(やまがた いくね)
鎌倉市出身。3歳よりヴァイオリンを始める。
桐朋女子高等学校音楽科、同大学卒業。同研究科、オーケストラアカデミー修了。
のもとで学びディプロマを取得。
全日本学生音楽コンクール東京大会入選、第1回横浜国際音楽コンクール高校の部第3位、第7回ベーテン音楽コンクール大学生の部第1位、等受賞。またイエナ交響楽団、N響団友オーケストラ等と共演。室内楽ではアルネアカルテット(弦楽四重奏)としてサントリー室内楽アカデミー第4期を修了。同グループにてザルツブルク=モーツァルト国際室内楽コンクールにて第3位を受賞。
新曲にも取り組みPoint de vueやサントリーサマーフェスタ、NCM主催の演奏会にて初演等行う。
近年は東京都交響楽団、読売日本交響楽団、新日本フィルハーモニー等にエキストラで出演するなど活動をし、また「藤沢にゆかりのある音楽家特別オーケストラ」のアシスタントコーチを務めるなど後進の指導も行う。
現在「京トリオ」として第6期サントリーホール室内楽アカデミーフェローとして活動する。
篠村友輝哉(しのむら ゆきや)
1994年千葉県生まれ。桐朋学園大学卒業、同大学大学院修士課程修了。
在学中、桐朋学園表参道サロンコンサートシリーズ、大学ピアノ専攻卒業演奏会、大学院Fresh Concertなどの演奏会に出演。また、桐朋ピアノコンペティション第3位、ショパン国際ピアノコンクールinASIA(大学生部門)銅賞、熊谷ひばりピアノコンクール金賞及び埼玉県知事賞、東京ピアノコンクール優秀伴奏者賞など受賞。かさま国際音楽アカデミー2014、2015に参加、連続してかさま音楽賞受賞。
専門のピアノ音楽から室内楽、弦楽器、歌曲、コンテンポラリーに至るまで幅広いジャンルで音楽・演奏批評を執筆。東京国際芸術協会会報「Tiaa Style」では2019年の1年間エッセイと演奏批評の連載を担当した(1月号~6月号「ピアニストの音の向こう」、7月号~12月号「音楽と人生が出会うとき」。うち6篇はnoteでも公開)。曲目解説の執筆、演奏会のプロデュースも手掛ける。エッセイや講座、メディアでは文学、映画、美術、社会問題など音楽以外の分野にも積極的に言及している。修士論文はシューベルト。
演奏、執筆と並んで、後進の指導にも意欲的に取り組んでいる。
ピアノを寿明義和、岡本美智子、田部京子の各氏に、室内楽を川村文雄氏に師事。
https://yukiya-shinomura.amebaownd.com
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