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「死者の声」は聴けるか?──三善晃の音楽

 作曲家の故三善晃氏の音楽を最初に聴いたのは、大学一年のときだったと思う。ある授業で、その年に逝去された氏への追悼として、一度、内容を変更して氏についての講義になり、童声合唱とオーケストラのための『響紋』がかけられたのだった。作品については後述するが、そのときに私が受けた衝撃は大変なものだった。「現代音楽」を含めて、それまで聴いてきたどのような音楽にもない表現、「音楽」という枠には収まらない、しかし音楽以外には不可能なその表現は、私の実存を激しく揺るがすものだった。
 翌年にはこんなこともあった。なぜかピアノ専攻の男子学生も必ず二回歌い手として出演しなければならないことになっていた「合唱の夕べ」で、やはり追悼として三善氏の作品を特集することになり、最初に、合唱とオーケストラのための『レクィエム』のピアノリダクション版が候補に挙げられていた。初回の授業で、第1楽章がかけられたあとの学生たちの反応は、苦笑まじりの困惑だった。これも作品について詳しくは後述するが、あの作品の放つ尋常でないエネルギーの放射を、何の心構えもなく突然聞かされて、まともに受け止められず目を背けるしかなかったのだろうと思う。
 結局、三善氏の関係者の反対もあり、曲目は『レクィエム』ではなく交聲詩『海』になったのだが、『レクィエム』を取り上げるというのは、本来、非常な覚悟を必要とすることのはずで、誰か知らないが、一時でも候補に挙げた人物の見識は甚だ浅はかだったと言わざるを得ない。
 以来、『響紋』などを時折聴き返すなどずっと関心を抱きつつ、本格的にその関心を深めることはしていなかったのだが、最近になってなぜか、俄かに「三善を聴くべきだ」という思いに駆られ始めた。そして、集中的に聴いているなかで、氏の作品を聴いて受けた感銘や考えたことを、少しまとめて書きたいと思うようになり、こうして筆を執り始めた。ピアノ弾きでもあるのだから、そんなことより演奏してみたらどうかという声が聞こえてきそうだが、「弾きたい」という思いと、「聴きたい」「書きたい」という思いは、必ずしも一致しないようである。
 とはいえ、私はまだ三善氏の膨大な創作のごく一部にしか触れておらず、また、作品を「コンポジション」としてどうかという観点から捉える才覚に乏しい。だから、氏の作品について本格的に論じることはできないし、そのつもりもなく、ここに書くことは拙い鑑賞ノートのようなものにすぎない。しかし作曲家は、鑑賞者の分析能力や知識の有無に関わらず、純粋にそれぞれの作品から立ち昇るもの自体に何かを感じ取ってもらうことをこそ望んでいるのではないかと想像する。作品から何かを受け取ったという実感を確かに得た者ならば、誰でもそれについて語り継ぐ資格はあるはずだ。

 今回は、いま私の手許にある氏の作品の録音の唯一のもの、三枚組のアルバム『三善晃の音楽』(沼尻竜典指揮東京フィルハーモニー交響楽団ほか、カメラータ)に収められている交響作品のいくつかについて記すことにする。
 少年期に第二次世界大戦を経験した三善氏にとって、この巨大な出来事と向き合うことは、創作において避けられないことだった。特にそこで中核となっていた精神は、「死者の声を聴く」というものだった。三善氏の創作、とりわけ大規模作品の多くがそれを主題としており、本稿で取り上げる作品も、ほとんどそれに含まれるものである。三善氏は、音楽によって死者の声を聴こうとした、あるいは、それに音楽という「かたち」を与えようとした人物だった。
 ところで、実を言うと私自身は、「死者の声を聴く」という言葉には、違和感や抵抗感を抱いている。それは、平野啓一郎氏の小説『決壊』の終盤で、弟を殺された主人公の沢野崇が語る次の台詞と、ほとんど同じような反感である。

死者の声を聴く・・・・・・・っていうのは、どんなに切実な思いを込めて語ったとしても、どこか、どうしようもなく滑稽に響く言葉だね。……それは俺が、この数ヶ月の間に、ヒシヒシと感じてきたことだよ。どんなに耳を澄ましてみたところで、聞こえてくるのは結局、俺自身の声でしかない。絶対にね」
(平野啓一郎著『決壊(下)』、新潮文庫、453頁)

 私には崇のような凄絶な経験はない。けれども、知人の通夜などで「〇〇さんもきっと喜んでるよ」という言葉を聞いたり、墓地や教会に行った人が「死者と対話したような」と言うのに接したりする度に、私に(狭義の)信仰がないこともあるのかもしれないが、強い違和感を抱かずにはいられなかった。それらは所詮、生者の自己満足であり、欺瞞ではないか。死者という、絶対に声を持たない者──平野氏が別のところで用いていた言葉を借りれば「絶対に(生者に対して)反論不可能な存在」に対する敬意を払うならば、「死者の声」を安易に語ることなど、できないのではないか。
 しかし、三善氏の作品を聴いていて、そのような疑念や反感は沸き起こってこない。私には聴き取れなくとも、三善氏の耳には聴き取れていたのかもしれないと思う瞬間さえある。なぜだろうか?
 一つには、三善氏の死者の声への耳の澄まし方が、抽象的ではなく具体的だったからだろう。三善氏は、死者の声を主題にする際、戦争を体験した詩人などが遺したテキストを読み込んだり、史実の詳細などの具体的なものと徹底的に向き合うことで、着想を得ている。
 合唱とオーケストラの『レクィエム』では、特攻隊員の手紙や宗左近の詩などの断片の数々をテキストとしている。そこで三善氏は、戦争に巻き込まれた者の怒りや嘆きばかりではなく、彼らの加害性や、その責任を負わされてしまった面に触れるテキストをも選んでいる。「戦死者」という一語に回収できない複雑さを、氏が掬い取ろうとしていたことがわかる。
 合唱によって歌われる、いや、語られ叫ばれるそれらは、オーケストラの圧倒的な音響と渾然となって、聴いていて単語や言葉を正確に判別することはほぼできない。しかしだからこそ、テキストはその「意味」を失い、そこに宿った怨念や憤怒、魂そのものが顕現する。これは、音楽によってでなければ不可能な表現である。すべての音、音塊がほのおとなって、この人類の罪を糾弾しているように感じられる。
 その糾弾の対象には、三善氏自身をも含めた生者も含まれるだろう。「彼らが死に、なぜ私が生き続けているのか」という、「生き残った者の罪」の意識は、彼が「死者の声」を主題にする作品全体に、一貫して浸透している。そして、その罪の意識には、自らの営みは死者に対して何の力も持ち得ないではないか、ほんとうに自分は死者の声を聴けているのだろうかという苛烈な自己批判と慚愧ざんきも含まれるであろう。三善氏は、「死者の声を聴く」という言葉に潜む生者の欺瞞を深く理解している。自作について語るときの、「その「葬い」は、私のなかでは、生者のあいだに限られます」(『レクィエム』についてのプログラムノート)や、「せめて彼らの声を、谷間の花のように手にいとおしみ摘むことができないだろうか」(『焉歌・波摘み』についてのプログラムノート)といった、ためらいが滲む慎重な言葉遣いからも、それはわかる。三善氏の「死者の声を聴く」営みに実質が感じられる、もう一つの理由である。
 その罪の意識が、私には『レクィエム』以上に強く感じられるのが、『響紋』である。
『響紋』で三善氏が耳を傾けたのは、子供の死者の声である。童謡の「かごめかごめ」がテキストに用いられ、冒頭から、児童合唱が最弱音で、あたかも空の彼方から聞こえてくるかのようにそれを歌う。しかしそれは間もなくオーケストラによって引き裂かれ、掻き消されてしまう。「かごめかごめ」は歌われ続けるが、オーケストラの狂乱の隙間から辛うじて聞こえるというような場面も少なくない。特に前半は、童声とオーケストラは混ざり合わずに、ある意味ほとんど無関係に進行していくと言っていい。
 これは、私には死者と生者の対話の不可能性のように感じられる。歌われるはずだった、声を持たずに彷徨っている子供たちの声を、ただ忘却していくばかりの現世の人間たちの狂騒が掻き消している。曲の中盤、「かごめかごめ」が音程を高くしながら輪唱で重ねられていく場面は、無数の歌われるはずだった「かごめかごめ」が、三善氏の頭のなかに「響紋」を広げて離れず、深甚な罪の意識を無尽蔵に増幅させていくようである。
 最後に歌われる詩句は「うしろのしょうめん だあれ」だが、これについて三善氏は「『今度死ぬのは誰?』ということです」と述べている。これはつまり、生や日常のすぐ隣に死や非日常が偏在していること、生や日常ではなく死や非日常こそがこの世界の実相であるということであろう。
 この認識は、『響紋』より前の『レオス』の段階で氏が得たものと近い。『レオス』は、「死者の声」を直接的に主題としている作品ではないが、三善氏が、氏の母を荼毘に付す煙が高原の空へ消えてゆくのを見上げている時に得られた感覚から発想された作品である。煙を見上げながら、「ある種の安らぎ──慈悲の優しさの中にたゆたう、安心を与えられてい」るように感じ、「死は、生の末端で小さな輝きを放つ出来事のように私には思われていた。だが果たしてそうだろうか。(中略)永遠の流れ(レオス)の中にまず死があり、生はその上に、干潮になれば現れる貝がらのように、途切れ途切れに浮き現れているに過ぎないのではないか」(三善)という認識に至ったという。その「安らぎ」を、「永遠へ回帰という死の安らぎ」とも言っている。
 私たちは通常、生の時間を、誕生という始点と死という終点を結ぶ直線を、24や365といった周期で円環を描きながら進んでいるイメージで捉えている。しかし、これは生の主観的な感覚である。宇宙の誕生から現在、そして死後にも永遠に続く時間という、最も巨視的な視点に立つならば、一人一人の生の時間は、確かに三善氏の言うように、その「無」(=死)の巨大な時間の流れの中の点にしか見えないだろう。それは、直視するほどに虚無感の淵に引き寄せられてしまうような怖ろしい事実でもあり、その流れの中に点としてでも生を享けることの奇跡を思わせる事実でもある。
『レオス』は、そのようなあまりにも巨大な時間の流れ(の一端?)を描こうとしたためだろうか、ある意味茫漠とした印象を強く受ける。無論、三善らしい厳しい精神に貫かれており、音量的にクライマックスを築く場面もあるが、全体の感触は穏やかで、「流れ」を想起させる繊細な音の動態に身を委ねていくうちに、ある静かな感覚が得られる。それが三善氏の言う「永遠へ回帰という死の安らぎ」なのだろうか。比類のない作品だが、今の私には距離が感じられる作品でもある。
 三善氏にとって「死者の声を聴く」ことは、生者の時間に留まってしまった「死者の声」に、音という「かたち」を与えることで、それを死=永遠の時間に帰し、死者に「安らぎ」を与えようとすることだったのかもしれない。

 三善氏の音楽は、人間の心の深部から吹き上がる叫喚や絶望を美化せずに描き出すものだが、どれほど錯乱する場面であっても、一音たりとも感覚頼りに音が置かれていると感じる瞬間が存在しない。私の力量では、聴くだけではその正体を事細かに指摘し分析することはできないのだが、ひとつひとつの音は精確に選び抜かれ、音色は洗煉され、音同士の関係には常に秩序がある。その集積から、秩序には還元不可能な混沌が生まれているのである。
 それは、発想が、音や音型、音響に確実に定着することで、実体を得ていると言い換えられるだろう。チェロ協奏曲第2番『こだまつり星』では、チェロの最高音の嬰へが、「宙に漂う死者の谺を抱こうとする」と、三善氏は言う。
 その嬰へ音は、開始早々、独奏チェロのハーモニクスによって奏でられる。ここではまだ、嬰へは幻影として浮かび上がっている。やがて嬰へは形を得るが、その音に限らず、この作品の独奏チェロは、全体的に高音を奏でる場面が多い。当然だが、チェロで高音を奏でるためには、身体を曲げて手を伸ばす必要がある。嬰へを中心とする高音を掴もうとするチェリストの身体の動きを反転させれば、そのまま「宙に漂う死者の谺を抱こうとする」動作と重なり合う。
 精神と身を削るようにして奏でられる独奏チェロの音は、声にならない肉声が絞り出されているようである。チェロの高音を中心に、作品全体は連打音に貫かれているが、それは、顫動せんどうする「谺」や「声」だろう。曲の最後では、無数の「谺」が共鳴して、響きが炸裂している。
 最後に、『谺つり星』と同じ交響四部作の最終曲で、その嬰への音から始まり、それを中心音として書かれている『焉歌・波摘み』について考えてみたい。
 この作品で三善氏が聴き取ろうとしたのは、1944年8月に鹿児島の沖合に沈められた対馬丸に乗った沖縄の疎開児童や、南西海域に沈められた二十数隻の疎開船に乗った人々、人間魚雷に閉じ込められた少年兵たちの声である。曲は、「死者たちの耳が最期に聴きとったはずの子守唄」(三善)をモチーフとし、その嬰への音から、日本人のほとんどが知っているであろうあの子守唄の動機が様々に紡ぎ出されることで展開している。
 音楽は、次第に子守唄の完全な形を描き始めてゆくが、それは悲痛な響きに満ちている。しかしこの作品全体の根底には、あたたかい息づかいや、大きな懐のようなものがあるように感じる。それは、「海は母、波は魂」とプログラムノートにあるように、海という母が死者たちの魂を抱いているイメージが音に定着されているからであろうが、その人間的なぬくもりは、死者への、そしていのちそのものへの三善氏の限りない慈愛でもあるのではないだろうか。曲の最後に子守唄が歌われるとき、私はそこに、三善氏の「祈り」を感じる。
 しかしその「祈り」は、(狭義の)宗教的なものではないように思われる。『レクィエム』で、三善氏が、あの音楽を「レクィエム」と題したのは、ある意味、宗教に対する抗議だったとは言えないだろうか。指揮者の山田和樹氏は、三善氏の『レクィエム』に関するインタビューで、「作曲家が宗教曲をつくるときに、何らかのアンチテーゼがあったのではないか」と指摘している(参照:https://www.tmso.or.jp/j/archives/special_contents/2020/20200508/)。三善氏自身も、「地上のどのような希いも祈りも慟哭も届きようがないことをさとるためにしか、私は『レクィエム』の音を書き綴らなかったのだ」と述べている。
 では、この「祈り」は、どこに向かっているのだろうか。
 1945年8月9日に長崎で被爆した作家、故林京子氏の連作短篇集『ギヤマン ビードロ』の最終篇「野に」の最後の部分を、少し長いが、ここで引用してみたい。

「浦上の焼け跡に立った一人の宗教家が、草も木も、人も家も焼けてしまった浦上の地を見て、なんと美しい眺めだろう、と言ったという。友人からこの話を聞いて以後、私の心には、美しいとは何が美しいのだろう、と疑問がひっかかっている。見渡す限り、一木一草、あらゆる生命が死滅した浦上を、その宗教家は、天地創造の瞬時の無垢むくなる大地、とみなしたのだろうか。無垢とは、何だろう。無原罪だの、ノアの大洪水だのと、私には無縁な、浅薄な私には理解のできない、そのことなのだろうか。非凡な宗教家には、浦上の焼け跡が、美しい、理想の地に見えるのだろうが、しかし、浦上には人間が住んでいた。人間の臭みが満ち満ちた、人間らしい街だった。そして十万人に近い人間があの土地で死んだ。そこにいあわせた私たちが、どんなに悪い罪を犯したというのだろう。
 人さまの持ち物を盗んだ罪だろうか。それとも、配給になる食糧だけでは生きてゆけないから、交番の前を走り抜けるようにして買いあさった、闇物資やみぶっし購入の罪だろうか。そんな枝葉の罪なのだろうか。頬ずりをしたいほどの、可愛らしい罪ではないか。杉野や山本(引用者注:「私」の同級生)たちの死によって、罪があがなわれた大地だから美しい、というのならば、死によって贖わなければならないほどの大罪は、誰も犯してはいない。
 私は、この話に対比した、八月九日の風景を思い出す。それは浦上方面に住んでいた信徒たちの、敬虔けいけんな姿である。浦上には、一万四千人の信徒が住んでいた、といわれている。そのうちの八千数百人の信徒が死亡し、これらの信徒をようしていた浦上天主堂は一、二片の壁面を残して崩壊してしまった。焼け野原を逃げながら私は、生き残った信徒たちに出逢った。
 傷をうけた人たちは二、三人ずつ焼け跡にうずくまって、両手を胸に組み合わせて、身を折るようにして祈っていた。頭を垂れて、己の胸に向かって、無心に祈っていた。
 私は、この人たちの姿を見たとき、はじめて、祈る、意味を知ったように思った。ひたすら自分の内に向かって、何ごとかを念じ、問い質しているように思えた。天を仰ぐでもない、地に伏すでもない。人間が己に向かって、いちずに問う姿に、私は心うたれた。
 もしも八月九日に救いを求めるのであるならば、理解ができない美しさ、にではなく、あの姿にしかない。人間が人間に問う、それしかない。過去にも未来にも。
 私は西田(引用者注:「私」の友人)に、救いは人間にしかないのではないか、と言った。西田は、苦しすぎる、と言った。」
(林京子著『祭りの場・ギヤマン ビードロ』、講談社文芸文庫、366~367頁)

 三善氏の「祈り」には、林氏がここに書いた「祈り」と、近い精神が流れているように、私には思える。三善氏の音が、常に人間の匂いや呼吸に充溢し、時に「苦しすぎる」と感じられるのも、それが作曲家自身も含めた「人間に問う」ているからではないだろうか。三善氏の音楽を聴くということは、人間とは何か、人間が生まれ、生き、死ぬとは何かという、人間にとって最も根源的な問いに向き合うことに他ならない。

 比喩としてではなく、私たちは、三善氏の音楽を聴くことで「死者の声を聴く」ことができると言えるのか。三善氏の創作に畏怖と敬意を抱くからこそ、私には、少なくとも今の私には、それはわからないとしか答えられない。
 しかし、その作品が、三善晃という死者の声であることは確かだ。そしてそれは、「死者の声」を、自らの存在のすべてを以て聴こうとした者の声である。
 音楽を聴き、演奏していると、私と他者、光と闇、聖と俗、永遠と一瞬、そうした絶対的に対立しているもの同士が、その間にある境界線や深淵を超えて、融和する瞬間を感じることがある。「音楽の力」とは、そのようなものであると、私は考えている。そうであるならば、その究極的な次元として、生と死が、此岸と彼岸が融和し、死者との対話が可能な地平が存在するのかもしれない。三善氏は、『焉歌・波摘み』について、「生者と死者の分け隔てなく」と書いているが、三善晃は、まさにその地平に立てた人物だったのかもしれない。

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