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【音楽を教える、演奏を教えるとはどういうことか】比嘉洸太×篠村友輝哉「音楽人のことば」第12回 後編

(前編はこちら

ーー伝統を更新しながら伝えていく

篠村 教育やレッスンというのは、伝統を伝えていくということでもありますが、ただ、伝統と言っても、それをそのまま繋いでいくっていうことでいいのかと思う部分もあるんですね。どこかで更新しながら伝えていくべきものなんじゃないかなと思うところがあって。

比嘉 それは、例えば自分たちが今生きている時代にとっての古典、というような捉え方かな?

篠村 そうですね。

比嘉 一昔前だったらフランスならフランス、ロシアならロシア、ドイツならドイツに、それぞれいろいろな伝統が息づいていたけれど、今はグローバル化の影響で全部が平均されている。そのなかでの古典の捉え方とかは、当時とは違ってくるものがあるよね。

篠村 そういうこともあるし、いいことばかり伝わっているとは限らないじゃないですか。ずっとそう弾かれてきたけど本当にそれでいいのかな?とか、この解釈が慣習になっているけどそのままでいいのかな?ということは実は少なからずあると思うんです。それは装飾音の弾き方といった非常にわかりやすい例からもっと精神的な面に至るまで、いろいろとあるような気がしています。演奏史を振り返ってみても、ある時期から全体の傾向として弾き方が少し変わってきた例はたくさんありますが、それはやはり常に先人たちが伝統を更新しながら受け継いでいるからだと思うんです。
 今、おそらくポリーニの登場以降、楽譜の「再現」の精度と言う意味ではかつてないほどレベルが上がっていると思いますが、ポリーニより昔の、ホロヴィッツやコルトーといった人たちのような精神性が失われていると言われています。でも他方で、我々の世代にもその歴史的な演奏家の精神を見直し、自分たちの血肉にしていこうとしているような演奏も出てきているようにも思います。常に「主流になっているもの」、「当たり前になっているもの」を見つめ直すということが大事ですね。

比嘉 ポリーニの登場はあれはあれで大きな衝撃だったんだろうね。コルトーのような昔の人たちって、自分の世界観というか、もうその(自分の)世界に「いた」んだと思う。今は、何か曲を勉強しようと思ったら、その曲についての情報も簡単に手に入るし、演奏もネットで聴けて、しかもレッスンのようなことですら、学ぼうと思えば簡単にそういった技術的な情報とかも手に入る。その時代の演奏家の演奏を聴くと、独自の空気感だったり、そういう非常に強いエネルギーを感じるんだけど、多分今の人たちもそういうエネルギーを持ってはいるんだと思う。でも、インターネットで完結してしまうような世界だから、それが分散してしまう。そういう時代だからこそ、自分で考える力を伝えていく、本当に大切な自分のオリジナリティとか、表面的なところを盗むんじゃなくて楽譜に向き合うというところ、そういうものを伝えていかないといけないし、僕自身も追求していきたい。ちょっと間違えると表面的な感じになってしまう。
 リモートレッスンとか、この状況でいろいろ変わったけれども、やっぱり対面レッスンには絶対敵わない。対面、同じ場を共有するという営みはいつの時代にも無くならないんじゃないかと思います。演奏会にしても。

篠村 少し別の角度から言うと、一見表面的に思えることに本質って詰まっているような気がします。やっぱり、演奏会に「行って帰る」プロセスとか、そこでたくさんの人と空間を共有するとか、演奏そのものがメインではあるんだけれど、そういう環境的なものって、音楽を体感するということに深く関わっているんじゃないかと最近思います。CDや配信でも深く心動かされることはたくさんあって、録音にはまたライヴとは違った尊い価値がありますが、「生でしか得られないもの」というのは必ずあります。そこには、やはり「場を共有している」ということが深く関わっているんだと思います。

ーー対話のプロセスを共有する

篠村 教えるって、自分の弾き方を教えるっていうことでもないじゃないですか。あくまでもその生徒の中に鳴っている音楽をどう演奏上に実現させられるかという観点でレッスンするべきです。演奏家としてはそうは弾かないけれども、その生徒がやりたいことをどうすれば実現できるのかと考えなければいけないわけですが、一方で生徒の方からすると、先生の趣味を盗みたい思いもあったりして、難しい(笑)。

比嘉 自分がこう弾きたいから、生徒にもそう弾くように言ってしまうということは、僕も最初の頃はそうだった(笑)。非常に恥ずかしいし、申し訳ないけれど…。ちょっと遠回りさせてしまったというか。でも自分の弱点みたいなものを常に認めるというか、謙虚でもないといけないよね。それを受け入れるというか。

篠村 僕みたいな凡庸な人だと、お恥ずかしい話ですが、客観的に問題を指摘することはできるけれど、自分は演奏者としてそれがすぐにできない場合もあって(笑)。指摘はできるけどできるかというと難しいというか(笑)。

比嘉 「じゃあ言っている自分はできてるのか」っていうね(笑)。つくづく、「人間関係は鏡」って言うけど、生徒との関係もそうで、生徒に言っていることは自分に言っていることでもあると思っています(笑)。

篠村 でも、それは確かにそうなんですが、一方でこういう風にも思っているんです、僕は、演奏会のレビューを中心に書いていますが、批評や評論は何のために存在するのかと考えた時に、それは聴衆と演奏家を繋ぐためだと思っているんです。それで、その時に重要なのが、当事者じゃないから気づけることや指摘できることなんじゃないかなと思うんですね。つまり、音楽好きの一聴衆と舞台で演奏している人が気づけないものみたいなものを掬い取る存在が必要で、その役割を物書きが担っていると思うんです。確かに僕の書く文章には、意識的にせよ無意識的にせよ、自分もピアノを弾けるということが反映されているとは思うんですが、表現物には第三者からの視点だから気づける領域が必ずあって、それを指摘できる力とそれを実際に表現者としてできる力は別のものなんです。話を戻すと、「名演奏家が必ずしも名教師とは限らない」と言いますが、教師にもそういう部分があるというか、仮に言っていることが今現在演奏者としてできないとしても、事実としてそれをある意味ドライに伝えるということは、自信をもってやっていいことなんじゃないかとも思っています。審査員とかもそういう腹のくくり方が必要なんじゃないかと思います。

比嘉 聴き手と演奏家を繋げる、篠村くんはそういう文章を書くというか、読んだ人が、聴いていなかったとしてもこの人はどういう演奏家なのかなって想像できるような、そんな感じなのかなと思います。田部京子先生とか、寿明義和先生の演奏について書かれたものなどを読んだけれど、「この演奏家聴きたいな」と思えるような文章だよね。

篠村 まさにそれを願って書いているので、感動しました(笑)。読んだ人がその演奏家や作品を聴きたいと思ってくれたら、それに勝るものはありません。

比嘉 でもそれは演奏でもそうで、これを書いた人がどういう人なのかと想像する、カッコよく言えば(笑)、対話をしているというか。できているかどうかわからないけど、想像するということが大事だよね。

篠村 いや、結局音楽に向き合うって、その作品や作曲家と、時空を超えて対話しているんだと思いますよ。その対話のプロセスを共有するというのが、レッスンなのかもしれないですね。

比嘉 ああ、対話のプロセス…。僕の中でもしっくりきました。対話のプロセスを助けている、そう捉えるとまた違った感覚が僕の中で生まれてきそうな気がします。

篠村 よかったです(笑)。
 せっかくなので、最後に演奏家としての比嘉さんについても少しだけお話したいのですが、比嘉さんの演奏は耽美的というか、すごく夢に溢れた、そんな印象を受けます。何か比嘉さんの中に、美しいものに対する強い憧れのようなものや、そういう美の世界を創造したいという思いが強くあるように感じました。

比嘉 ああ…、それはそうかもしれない。それは自分の中で大事にしている部分ではあるんだけど、その思いが強すぎて、汚いものを見たくないみたいなものもあってしまって…。それは性格なのかわらないけど、例えばよくホロヴィッツとかについて「毒がある」みたいなことが言われるけれど、やっぱり作曲家の中にそういう要素っていうのはたくさん見受けられる。和声の進行にしても、音の配置にしても、そこから立ち昇ってくる音響にしても。結局演奏って、自分を通して出ていくわけだから、僕はそれを全部美化してしまうところがあるのかもしれない。自分の求める美みたいなものから少しでもずれてしまうと、すごく自己嫌悪に陥ってしまうことがある。許容範囲を広げるというか、いろんなものをもっと許せるようにならないといけないんじゃないのかなと思っていて…。今、耽美的と言ってくれたのは嬉しかったんだけれど、今後はもっともっと探っていきたいと思っています。

篠村 それは楽しみですね。
 今日はいろいろと改めてお話しできて、個人的にも嬉しかったです。ありがとうございました。

比嘉 充実した時間をありがとうございました。

(構成・文:篠村友輝哉)

比嘉洸太(ひが こうた)
桐朋学園大学音楽学部を経て、同大学大学院音楽研究科修士課程修了。
第12回ルーマニア国際音楽コンクールピアノ部門第2位。第23回おきでんシュガーホール新人演奏会オーディションにて沖縄賞受賞。
ディーナ・ヨッフェ、マキシム・モギレフスキーのマスタークラスを受講。
ピアノを川村文雄・大野眞嗣の各氏に、室内楽を沼沢淑音・藤井一興の各氏に師事。
関東を拠点にピアノソロ・室内楽の演奏活動に加え、マスタークラスを行うなど、後進の育成も積極的に行なっている。
大野ピアノメソッド講師。関西国際学園さくらインターナショナルスクールピアノ講師。

篠村友輝哉(しのむら ゆきや)
桐朋学園大学音楽学部卒業、同大学大学院音楽研究科修士課程修了。
在学中、桐朋学園表参道サロンコンサートシリーズ、大学ピアノ専攻卒業演奏会、大学院Fresh Concertなどの演奏会に出演。また、桐朋ピアノコンペティション第3位、ショパン国際ピアノコンクールinASIA(大学生部門)銅賞、熊谷ひばりピアノコンクール金賞及び埼玉県知事賞、東京ピアノコンクール優秀伴奏者賞など受賞。かさま国際音楽アカデミー2014、2015に参加、連続してかさま音楽賞受賞。
専門のピアノ音楽から室内楽、弦楽器、オーケストラ、歌曲、コンテンポラリーに至るまで幅広いジャンルで音楽・演奏批評を執筆。東京国際芸術協会会報「Tiaa Style」では2019年の1年間エッセイと演奏批評の連載を担当した(1月号~6月号「ピアニストの音の向こう」、7月号~12月号「音楽と人生が出会うとき」。うち6篇はnoteでも公開。2021年下半期には再び連載予定)。曲目解説の執筆、演奏会のプロデュースも手掛ける。エッセイや講座、メディアでは文学、映画、美術、社会問題など音楽以外の分野にも積極的に言及している。修士論文はシューベルト。
演奏、執筆と並んで、後進の指導にも意欲的に取り組んでいる。
ピアノを寿明義和、岡本美智子、田部京子の各氏に、室内楽を川村文雄氏に師事。
https://yukiya-shinomura.amebaownd.com

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