目指せ出版! 日本史のセンセイと行く全国制覇の旅9 安芸の宮島・厳島神社

 教科書に出てくる神社として二番目に取り上げたいのが厳島神社(広島県)。安芸国の一宮で、世界遺産にも指定されている。日本三景の一つ「安芸の宮島」にある有名な神社だ。この厳島は「神に斎く(いつく、心身を清めて神に仕える)島」として島全体が信仰の対象だった。だからその島を傷つけないように、土地の上ではなく海上に神殿が造られたとされています。この神社は推古天皇のころに創建されたと言われているんだけれど、現在とほぼ同じ規模に修築したのは平安時代の末期、平氏政権のころです。平清盛が大輪田泊(おおわだのとまり、現在の神戸港)を修築して日宋貿易を開始し、その安全を願って厳島神社を造営したのです。平家の一門はその栄華が長く続くことを祈り、厳島神社に「平家納経」というお経を奉納しています。実際に清盛が書いた文字が残っていて、国宝に指定されています。現在は宝物館でレプリカを見ることができますが、お経の巻物とは思えないほど豪華なものです。

 その後神社は一時衰えますが、戦国時代の大名・毛利元就がこれを保護したためにまた勢いを取り戻しました。豊臣秀吉も千畳閣(せんじょうかく)という建物を建立するなど、多くの歴史的人物とかかわりを持ってきたんだね。

 厳島神社といえばもちろん海上に建つ巨大な大鳥居。現在のものは清盛が建造してから9代目の鳥居だそう。よく海の中に埋まっていると勘違いしがちなんだけれど、あれ、約60tの重さで自立しているんです。タイミングが合って干潮になると、大鳥居の下まで歩いていくことができ、直接触ることもできます。ただ最近は鳥居に入った亀裂の間にコインをはさんでいく人が増え、劣化が進むとして神社ではやめるように訴えています。みなさんはマネしないようにしましょう。

 材質は腐りにくくて強いクスノキが使われていますが、日本中を探してもなかなかこれだけのクスノキを見つけてくるのは難しい状況です。そこで「宮島千年委員会」が作られ、クスノキの植林を行っています。目標は400年後に使える幹回り6m級のクスノキを育て上げることだとか。スケールの大きな話ですよね。

 社殿は寝殿造。社殿をつなぐ回廊の床の板は、隙間をわざと開けて敷かれています。もし床板を隙間なく敷いてしまうと、台風など海面が上がった時に床板に全圧力がかかって社殿を壊してしまいます。空間があればそこから海水が上がってきて、建物を壊さずにすむのです。今の規模になって800年以上維持・修築を重ねてきた中で、神社にとって最も大切な「内陣」という場所だけは、いままでに一度も浸水したことがないんだとか。当時の技術力の高さが分かりますね。

 ちなみに厳島神社のお土産といえばもみじ饅頭。広島県内にはもみじ饅頭の自動販売機があるくらい愛されているお菓子ですが、このお菓子の誕生に初代内閣総理大臣・伊藤博文がかかわっていることを知っていますか? 厳島神社の裏手に紅葉谷公園という公園があります。茶屋に立ち寄った伊藤は、お茶を差し出した女の子の手を見て、
「おう、かわいらしい手じゃのう。この紅葉のような手を食べてしまいたいものじゃ」
と冗談を言ったらしい。この話を聞いた和菓子職人が作ったのがいまのもみじ饅頭なんだそうです。昔だから冗談を言った、で済んだけれど、いまだったらセクハラで訴えられるんじゃないの? というエピソードです。みなさんも食べるときには伊藤博文を思い出して食べるように!

【広島県に行ったなら】
 もう一つの世界遺産、原爆ドームと、平和記念資料館を見に行かないわけにはいきませんね。いまでこそ核兵器の恐ろしさを伝える残すべき「負の遺産」としての評価が確立していますが、原爆投下の時の悲惨な体験を思い出させる建物として、取り壊してほしいという意見も多かったそうです。そのような賛否両論があるなかで、保存活動が本格化したのは、1960年に16歳で亡くなった楮山(かじやま)ヒロ子さんの
「あの、いたいたしい、産業奨れい館だけがいつまでもおそるげん爆を世にうったえてくれるだろうか(原文ママ)」
という日記に多くの人々が心を打たれたのがきっかけです。
 もう一人、原爆と少女という観点からみると、重要な人物に佐々木禎子(ささきさだこ)さんがいます。被爆して10年後に白血病の症状が現れた彼女は入院中、見舞いにもらった折鶴を気に入って自分でも折り始めます。結局病は回復することなく禎子さんは亡くなるのですが、それがきっかけとなって千羽鶴が平和の象徴としてとらえられるようになり、禎子さんの同級生たちが発起人となって結成した「広島平和をきずく児童・生徒の会」の活動により、「原爆の子の像」が造られることになったのです。2016年には現職のアメリカ大統領として初めて広島を訪問したバラク・オバマ大統領が自ら折って持参した折鶴が供えられました。この鶴は現在、平和記念資料館に展示してあります。戦争の悲惨さに目を向けることはつらいことですが、ぜひ訪れてほしい資料館です。

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