20160502_のコピー

恥ずかしさを越えていけ。俺もお前も。

言語ができないことで嫌な目に合うことはある。自分のことなら、「ソウいうつまらん奴は無視してオッケー」としているので、あまり気にならない。もちろん、最初からそうだったわけではないけど、いつのまにか面の皮が厚くなっていた。

2年前のある日の出来事。

知らない子どもが私の言ったことに対して「あの中国人の言ってることよくわかんない。」とか、からかい半分に言い出した。その子どもには、「あのね、まず私たちは日本人で。それに、あなたの言ってること、私は全部分かっているからね」と、ビシッと言ったら小さくなった。よっし、めんどくさい奴の芽はつんでやった。と思っていた。

でも、私の後ろでウチの子どもが小さくなっていた。この「母がイタリア語が下手でからかわれている」という状況は小さい娘にとっても、面白いものではない。

ここで、「イタリア語が上手くない母のことを恥ずかしく思う」とか「(みんなにいろいろ言われて)恥ずかしいから、外では日本語で話したくない」とかなると、いろいろとまずいな、と思ったので、帰り道に歩きながら話しをした。

「あのね、お母さんは30年日本に住んでて、イタリアに来てから8年なの。日本語も英語(怪しいけど、はったり付けのために言っておく)もできるけど、イタリア語は上手くないの。

お母さんは、知らない子どもに『あいつのイタリア語おかしーwww。なに言ってるか、マジわかんね〜笑』って、からかわれても全然平気。だって、実際、イタリア語うまくないから。
子どもって、自分の周りのことしか知らないから、別の場所で別の言葉を使っているっていうのがわかない場合が多いから。仕方ないよね。それに、お母さんはイタリア語ができないだけで、バカじゃあない。

でももし、大人で私のイタリア語の下手なことことをバカにする人がいたら、もちろん相手に対して怒るよ。そして、その人のことバカだな、ものを知らない可哀想な人だなと思うよ。」とか、こんな感じに話をした。

面倒な人はどこにでもいる。自分の面白いを押し付けて、人のできなさを笑うのは世界中のテレビの得意とする方法だ。嫌だと声をあげることはもちろん必要。だけど、全ての火を消すことはできない。それに反応しない鈍感さも、自分を守る上で結構大事だ。

あー、そんなことより。寝てる間にイタリア語うまくならないかな。睡眠学習的な・・・

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