フランスの肺

野球には代打の神様や大魔神、バントの神様など様々な神様がいる。それなのにサッカー選手は、黄金の右足に代表されるように体の一部分が光るだけだ。
同じくらい人気のあるスポーツなのに、選手につく愛称には明らかな格差がある。今日はサッカー選手の愛称について考えてみたい。

まずサッカーといえばペレ。彼はサッカーの神様と呼ばれており、サッカー界における唯一の神である。野球と比べてサッカー界に神様が少ないのは、彼の偉業のせいか、はたまた一神教の宗教が世界的に主流だからであろうか。
神道が根っこに染み付いた日本人にとっては、打撃にも、代打にも、クローザーにも神様がいて当然で、だからこそ神様が量産される。それならば日本人のサッカー選手にも神様がいて良いと思うのだが、中田英寿にも香川真司にも長友にも神様の称号はつかない。
宗教とは関係なく、きっと野球とサッカーには大きな違いがあるのかもしれない。

サッカーには神ならぬ紙でできた男と呼ばれる選手もいる。マティアス・シンデラーだ。
人間の構成要素は主に水分やタンパク質である。だから紙でできた男などいない。つまりこれはメタファーなのだ。

紙でできた男というとペラペラで薄い軽薄な男、をイメージしてしまうが、そうではない。何かを書き込める男でもない。文化祭で見かけるようなハリボテの人形でもない。
以下Wikipediaから引用。

179cm・63kgという細身の体型と、相手ディフェンダーの間をいつの間にかすり抜けてゴールを決めるプレースタイルから、紙の男(der Papierene, Man of Paper)と呼ばれた。

紙の男の由縁を知ると格好いい。紙の男。ペーパーマンというヒーローがいてもいいぐらい格好いい。


紙の男がいれば、カニ男だってサッカー選手には存在する。🦀男。クアウテモク・ブランコだ。
横歩きしかできない男ではない。よく泡を吹いて倒れる男でもない。ひっくり返したらびっしり卵がひっついてる男でもない。

ボールを蟹挟みするプレーが有名なのだ。

画像1

これはそこまで格好良くないが、真似したくなるトリッキーなプレースタイルである。


最後に紹介したいサッカー選手は、エンゴロ・カンテだ。彼はフランスの肺と呼ばれる。以下、ニュースから転用。

フランス代表のポール・ポグバは、チームメートのエンゴロ・カンテについて「彼には肺が15個ある」と称賛した。


肺など15個もあれば邪魔でしょうがないと思うのは凡人である。
彼のピッチ上での運動量は常人の域を超えており、試合中ずっと全力疾走をしているのだ。彼の運動量を裏付けるためには、肺が15個はないと説明できない。
その素晴らしさを讃え、彼はフランスの肺と呼ばれるようになった。

その経緯を知ってなお、あまり喜べない呼び名である。肺が15個もあれば重たい。


サッカー選手には他にも、空飛ぶオランダ人や森の放火魔、マラカナンの暗殺者、老貴婦人、大きな赤ちゃんなど様々な愛称がある。
選手の愛称だけを並べて、どんなジャンルのスポーツ選手についた愛称か当てるクイズにもできそうだ。
「以下の愛称に共通するスポーツは何?紙の男、蟹の男、フランスの肺、森の放火魔、老貴婦人」面白いクイズだが、難しすぎる。とてもサッカー選手の愛称とは思えない。

サッカー選手の愛称は、変なものもあるが、バリエーションが豊かだ。愛称には意味があり、選手の築いてきた歴史がある。
例えばフリーキックの上手さだけを取り上げて、FKの神と呼ぶのではなく、プレースタイルや生い立ち、幼い頃のあだ名などから愛称をつけようとするのがサッカーなのだ。この姿勢には選手への愛情を感じる。

神様はいなくとも、同じピッチ上で、紙男、蟹男、フランスの肺、空飛ぶオランダ人、森の放火魔、大きな赤ちゃん、老貴婦人らがサッカーボール目掛けて走るのだ。まるで妖怪大戦争である。こんな賑やかで楽しそうなスポーツは他にない。
五輪で見かける選手の呼び名が楽しみだ。

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