過言だ
過言という言葉は、「〜と言っても過言では無い」というように、主に否定形を伴って使用される。〜には何か大きな言葉を入れることが多い。
「私は大金持ちと言っても過言では無い」
自慢に「過言では無い」と付け足すことで、俺は大金持ちだ、と豪語するよりも、より客観的な評価の上で話しているとアピールできる。
「私は大金持ちだ」と言うと、いけ好かないやつだと反感を買うが、「私は大金持ちと言っても過言では無い」と言うと、ああ、この人は他人からも認められるほどの大金持ちなんだな、と感心につながる。大金持ちであるというただの自慢ではなく、他人と比較した上で、よりお金を持っている存在である、という主張になるのだ。
他人から嫌われることなく自慢ができ、とても使い勝手の良い言葉に思える。私も自慢をしたいので、過言という言葉を上手に使いたい。
「俺は、英検一級を持っていると言っても過言ではない」
「俺は、高校の時に甲子園に出たと言っても過言ではない」
「俺は、のど自慢大会で優勝したことがあると言っても過言ではない」
思いついた自慢を書いてみたが、なぜかどれも嘘くさい。
「私は英検一級を持っている」というとその言葉通りに受け取れるが、「英検一級と言っても過言ではない」というと、「英検一級と同等の力を持っている」ことと同義になってしまう。これはつまり、英検一級は持っていないが、それ相応の力があるという意味だ。
「英検一級を持っている」に「と言って過言ではない」を付け足すと、「英検一級は持っていないが」という逆の意味を持ってしまう。「私は大金持ちだ」の時には起きなかった不思議な逆転症状だ。
同じように「のど自慢大会で優勝したことがあると言っても過言ではない」と言うやつは、優勝していない。おそらく二回戦敗退ぐらいだと思う。二回戦で敗れた相手が優勝したので、実質優勝でもおかしくない実力を持っていると、負け惜しみのように話しているのだ。
実績に関しては、「過言ではない」を付け足すよりも、「俺は英検一級を持っている」のように言い切ったほうが良さそうだ。しかし、これではただの自慢になり、反感を買ってしまう。
実績を自慢するのはやめた方が良さそうだ。
自慢は難しいので、逆の立ち位置から考えてみたい。「〜というと過言だ」という新しい構文を考えてみる。
「『世界の中心で、愛を叫ぶ』の時の長澤まさみより綺麗だというと過言だ」
日本映画史の中で一番綺麗なのが、セカチューの長澤まさみだ、というのは全人類共通の認識だと思う。彼女を超えて綺麗なものはこの世にないので、過言で間違いない。涙そうそうの長澤まさみもとても綺麗だった。
「子供の頃に見た『火垂るの墓』より悲しいというと過言だ」
いまだに人生で一番悲しかった映画は火垂るの墓だ。子供でも理解できる悲しみで戦争を描いたのだから、やっぱりすごい映画だったのだと思う。明石家さんまが主演した『さとうきび畑の唄』も悲しかった。さんまの子供が米兵に向かって手榴弾を持って走るシーンを鮮明に覚えている。
「トランポリンより楽しいというと過言だ」
トランポリンより楽しいものはない。
どれも過言だ。過言だし、使い方がわからない。
例えばデートの帰りに、「今日はありがとう。君といる時間は、トランポリンよりも楽しいよ、って言うと過言だね」と言われて喜ぶ女性はいないだろう。それならデートをせずに、家でトランポリンをしておけばいいのだ。
例えば、「君は『セカチュー』の時の長澤まさみより綺麗だというと過言だね」と言われて喜ぶ女性はいない。日本映画史に残る美しさを体現した長澤まさみと外見を比べられるなんてたまったもんじゃないからだ。男だって菅田将暉と比べられたら発狂する。
「〜というと過言だ」は構文が新しすぎて、使い方がしっくりこない。
この記事は、書き出しは良かったのに、終盤失速している。トランポリンより面白かったというと過言だ。
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