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風呂なしアパートから始まる人生。
ツイートのまとめです。自分の実体験から思うこと。
20代前半に風呂なしボロアパートに住んでいたけど、それは単純に金がないというよりも、簡単にいうと「世間知らずだったから」としか言いようがない。どういうことかというと、→
— ニンパイ (@shinobuk) December 24, 2022
上京する前に家賃などを調べたとき、地方からしたらやはり総じて高く、「東京で一人暮らしを始めるのだから最初は風呂なしでもしょうがないだろう」といったおかしな観念が、自分を筆頭に実家の人間全員が持っていた。なので家賃を抑えて風呂なしにした記憶がある。だがそれは間違いで、→
— ニンパイ (@shinobuk) December 24, 2022
今ほど銭湯代が高くない昔でも(30年近く前だった)、毎日銭湯に通うお金で普通に風呂付きが借りられるのだった。だからお金は理由にならない。広い風呂は気持ちがよかったが、それがために残業時間も制限され(ある意味良かったのだが)会社からは渋い顔をされていた。
— ニンパイ (@shinobuk) December 24, 2022
しかも場所は二子玉から駅徒歩5分というアンバランスな場所であった。お金を云々するならそもそも住まないエリアだろう(実際、当初は西武池袋線あたりで探していた)。だがインスピレーションで二子玉を選び、風呂なしに住んだ。シンプルに言えば、やはり世間知らずだったのだ。
— ニンパイ (@shinobuk) December 24, 2022
じゃあそれで後悔しているかというと、これがそんなことはまったくなく、貧乏ながらもおかげでなかなか楽しい時期だったと言える。賢明な選択が善き人生を導くわけではない。このへんが何とも言えず面白いところだ。
— ニンパイ (@shinobuk) December 24, 2022
人生は不可逆なので、もちろん賢明な選択をしていたらもっと善い人生だったかもしれないという可能性はある。だからポイントは比較してどうこうではない。進んできてしまった道そのものについて、今の自分がどう思うかである。どこをどう歩いたって一本道に変わりはない。
— ニンパイ (@shinobuk) December 24, 2022
自分は間違った選択をしてばかりだなと思うし、結局上手くできない人間なのだなと打ちのめされるし、本当に大したことのない小人物だとうんざりすることもあるが、一本道は戻れない。自分の器や性質に見合った結果があるだけで、こうだと腹を括るしかないのだ。そして救いもそこにしかない。
— ニンパイ (@shinobuk) December 24, 2022
どんな運命であれ「受け容れる」という選択が最善かつ唯一。それ以外は基本、遠回りである。
— ニンパイ (@shinobuk) December 24, 2022
最終的に残したいのは、「自分はこういう人間ではありたくないな」ということをしない、ということかも。
— ニンパイ (@shinobuk) December 24, 2022
逆に、「こういう人間でいたい」ということをなるべくする。ささやかでも、それならできるかもしれない。
— ニンパイ (@shinobuk) December 24, 2022
それなら他人という不確定要素とは無関係に、できるかもしれない。自分次第で。
— ニンパイ (@shinobuk) December 24, 2022
やぶさかではありません!