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月の下で香るモクセイ 第1話【創作大賞2024参加作品】

あらすじ
阪東花澄は、両親の虐待から逃れるため、四人の幼い弟や妹を抱えて懸命に働く19歳。だが両親は花澄から金銭搾取をし、弟や妹に暴力をふるい続ける。花澄は、母親の浮気相手と肉体関係まで持ってしまった。ある日、何とか隠しておいた大金までも父親に奪われ、働く気力をなくした花澄は、弟や妹と心中しようとする。だが花澄だけは恐怖で死ねず、ただの殺人犯となってしまった。彼女が逃げ出した先の恵比寿で、宮崎万里という美容師の女性と出会い、そして二人は危険な恋に堕ちていく。

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 私の両腕に収まる、双子の小さな人間たち。
 聖也(せいや)と聖奈(せいな)が泣き続けるせいで、今日はあまり眠れなかった。仕事に響いたらどうしよう。でも行くしかない。この家に、小さな人間は四人もいるのだから。私が働かなくては、彼らは死んでしまう。
 窓を開けると、じめっとした風が飛び込んできた。そうか、今日から七月か。私はこの季節が嫌いだ。電気代が捻出できないから、エアコンなんてつけられるわけがない。なのに、夏は容赦なく私たちを苦しめにかかってくる。
 眠い目を無理やり開きながら立ち上がり、寝室へ。
「日向(ひゅうが)、夏美(なつみ)ー、起きなさーい」
 古びた布団で眠る女児を起こす。小学三年生になった夏美。だがその体は同年代の女児と比べても明らかに小さい。自分がしっかり食べさせてやれないからだ。夏美とその友達が歩いているのを見るたびに、私の心はきゅっと締め付けられる。
「お姉ちゃん、おはよう」
「ん、おはよう」
 眠そうな目をした夏美が寝室から出ていくのを見送っていると、ぼんやりとした男児の声が聞こえた。
「姉ちゃんおはよう。なんか手伝うことあるー?」
「じゃあ夏美の分も水筒用意してくれる?」
 寝室の隅っこのパーテーションから出てきた男児、日向。小学六年生の男子ということで、流石に妹と寝るのは嫌がる頃だろう。ということで、数か月前に私はパーテーションを作った。といっても、カーテンと物干し竿で作った簡易的なもの。
 私がもっと稼いで3LDKにでも引っ越せれば、日向と夏美の部屋が作れるのに。私は自分の不甲斐なさを恥じた。中卒ではやはり生活は厳しい。通っていた公立の通信制高校はやめないでおけばよかった。仕事がきつくてやめてしまったが、やめなければ今頃もっとお給料がもらえていたかもしれない。
 1DKの狭いアパートに五人。テレビも勉強机もエアコンもない。健康で文化的な生活などできるわけがなかった。
 安いコッペパンをかじる日向と夏美を横目に、双子に離乳食を食べさせる。といってもよくSNSで見るような手の込んだものではなく、ただのおかゆ。明らかに栄養失調気味な赤子。この二人は大人になれるのだろうか。
「姉ちゃん、代わるよ。準備あるでしょ?」
 朝食を食べ終えたらしい日向は、いつのまにか洗濯物まで畳んでくれていたようで、昨日取り込んだままにしてしまった洗濯物が綺麗に並べてあった。そして洗濯物を夏美が棚にしまってくれている。
「いいの? ありがとう」
 やっぱり日向と夏美はいい子だ。生活が苦しいということを理解してくれて、積極的に手伝いをしてくれている。だがそれと同時に、こんな環境を彼らに押し付けている両親に、私に怒りが湧いてくる。
 冷蔵庫の裏を確認する。そこには昨日隠した三万円。
 寝室に戻り、畳をずらす。どうやら貯金は無事のようだ。必死に貯めた三十万円を見て、頬が緩む。だけど、すぐ使えるお金が三十三万円しかないというのは考え物だ。日向が中学に上がったらもっとお金がかかる。やはり単発バイトを増やしたほうがいいのかもしれない。
 食器棚の下や本の間にお金を隠したこともあるが、すべて両親に搾取されてしまった。
 両親は私たちの住むアパートから歩いて二十分の一軒家で暮らしている。あそこで暮らしていたころは、毎晩のように両親に殴られていた。このままではいけないと思い、私が十八になったタイミングでこのアパートに子供たちで避難したものの、すぐに特定されてしまった。しかも、両親は定期的に押しかけては私たちを殴り、お金を奪っていく。
 畳の裏のお金だけはまだ見つかっていないから、貯金額が一番多い。それでもほかの場所にお金を隠すのは、両親にそれを握らせてさっさと帰ってもらうという囮の役割もあるからである。
 無論、銀行に貯金したほうが安全なのだが、やはり私に何かあったらすぐ使えるお金が欲しいだろう。仕事は運送業なので、事故の可能性も高い。もし私が帰ってこれなくなっても、お金があれば、日向たちがきっと何とかしてくれるはずだ。何しろ両親はあてにならない。
 両親は外面だけはいい。日向や夏美の洋服や教材は買い与えているし、家庭訪問も両親の家でやっているらしい。年収も悪くないし、授業参観や運動会にも来ている。だから児相に駆け込んでも相手にしてもらえないのだ。
 着替えを持って風呂場に入る。三点ユニットバスの難点として、誰かが洗面所を使っていると誰もトイレに行けない。やっぱり不便だ。
 着古したジャージを脱ぐ。もう五年は着ている下着。色気のないスポーツブラと、深履きの綿ショーツ。ふと鏡を見ると、そこには中学生くらいの少女……に見える、目の死んだ十九歳の女がいた。
 そう思いながらも、化粧品を買うお金もない。私は顔を水で洗い、ぼさぼさの髪の毛を適当に結ぶ。そして外出用のジャージを着る。やっぱり中学生にしか見えない。
 風呂場を出て、双子を抱き、カバンを背負う。今日も頑張らなくては。
「姉ちゃん仕事行ってくるね。遅れないようにね」
 日向と夏美にそう告げて、玄関の鍵を開ける。
「行ってらっしゃい!」
「気を付けて」
 かわいい二人に微笑み返し、外へと足を踏み出す。託児所に双子を預けて、徒歩三十分かけて職場に向かう。バスを使うのはお金がもったいない。
 私は夏めきつつある空を見つめ、深くため息を吐いた。






 重い段ボール箱を持ち上げ、トラックに積み上げる。今日はやけに多い。日ごろから鍛えられているからそこまで苦痛には感じないものの、ずっしりと腰にくる重みには慣れない。ワゴンに積もっていく段ボール。これら一つ一つに、生産者やお客様の思いがあるのだ。私は段ボールのうちの一つをそっと撫でて、扉を閉める。
 車庫から出て、営業所の廊下を歩く。色井(しきい)急便は、最大手には劣るものの日本有数の運送会社ということもあり、給料もそこそこいい。高校を中退してからすぐここで働いた。十八歳になってすぐに、上司に勧められて免許を取得し、ドライバーになった。今思うと、無理してでも免許を取ってよかったと思う。きつい仕事の割に給料が低いのは確かだが。
 今週の休みはどこのバイトに行こうか。ぼんやりと考えながら歩いていると、後ろから威勢よく肩を叩かれた。
「花澄(かすみ)おはよう」
「ん、おはよう」
 焼けた肌の、さわやかな青年。同僚の奥野雄一(おくのゆういち)だ。いかにも宅急便のお兄さんという職業が似合う。彼は高卒でここに就職した。大学に行く学力がないからここに来たとよく自虐しているが、高卒の時点で私なんかより優秀だし、お給料も高い。やっぱり落ち着いたら高認を取ることにしよう。
「では今日も頑張りましょう! よろしくお願いします!」
「よろしくお願いします!」
 朝礼が終わり、ドライバーたちが車庫に向かう。
 私も向かわなくては。廊下に出ると、後ろから│喜多川(きたがわ)課長が話しかけてきた。
「阪東(ばんどう)」
「はい!」
「今日はいつもより多いけど、頑張れよ。まあお前なら心配ないと思うが」
「はい、頑張ります! ありがとうございます!」
 こちらもよく焼けた肌に短髪。体育会系の四十代男性。初対面では怖かったものの、私の仕事ぶりを評価してくれるし、弟と妹を養っていることも理解を示してくれている優しい人だ。
 軽ワゴンを運転し、配達していく。一時間で三十件ほどを回れればいい方だ。時間指定のものを確認し、どんどん配達していく。
 最初は営業所から近くの一軒家だった。
「色井急便です! お荷物をお届けに参りました!」
 呼び鈴を押して名乗ると、出てきたのは八十歳くらいの、腰の曲がった老婦人だった。お届け物はペットボトルが一ダース入った段ボール。私が持っても重いくらいだ。
「中までお運びしましょうか?」
「助かるねえ、ありがとう」
 老婦人に微笑み返し、私は「失礼いたします」と言って台所まで段ボールを運ぶ。
「ここでよろしいでしょうか?」
「うん。ありがとう。お姉ちゃん、若いのに頑張って偉いねえ。暑いからこれでも持っていきんさい」
 そう言って老婦人は冷蔵庫からペットボトルのお茶を出し、私の手に握らせた。
 幼い見た目もあってか、私はご年配のお客様からの受けがいいのだ。
「ありがとうございます。いただきます!」
 私は一礼し、ワゴン車に乗ってまた次の配達先へと向かう。こういうことがあるから、私は仕事が大好きだ。弟や妹を養うために働いていることに変わりはないが、仕事をしていると社会的な存在意義も見出すことができる。あんなに両親に殴られ、死ねと言われ続けていた自分が肯定されていく感覚になるのだ。
 次の配達先に着き、インターホンを押す。だが、応答はない。じれったく待つ。五分ほど待ってみるが、まだ音沙汰なし。
「……はあ」
 心の中で舌打ちし、不在票を書いて入れる。この作業が地味に面倒だ。この時間があれば別の場所に配達できるというのに。宅配ボックスもないし、いったん持ち帰ろう。
 そこから何十件も配達し、昼になったので営業所に戻ってきた。
 更衣室のロッカーから昼食を持ってくる。突き当りにある休憩室から雄一が出てくるのが見えた。すれ違う瞬間、肘を合わせて「うっす」と挨拶する。彼のまぶしい笑みに対抗するように笑い、手を振って別れた。
 休憩室に入り、コッペパンを取り出してかじる。安くておいしいから、我が家では重宝しているものだ。でも、腹は満たされない。
「花澄、ダイエットでもしてんの?」
 わびしくパンをかじっていると、頭上から声が降ってきた。見ると、コンビニのレジ袋を持った雄一がいた。貧相な食事をとる私を、不思議そうに見つめる。でも不思議だ。さっき彼は休憩室から出て更衣室に向かっていた。もう休憩を取ったのではないのだろうか。
「しとらんわ。太ってないし。てか、もう食べたんじゃないの? さっき休憩室から出てきたし」
「ああ、昼メシをロッカーに忘れちゃって、また取りに行ってた」
「バカなの?」
「失礼な」
 雄一は肩をすくめる。彼は多々抜けているところがある。配達の仕事に支障は出ていないのだろうか。
 先ほどの老婦人にいただいたお茶を飲む。疲れた体に染みわたって、その深い甘さが優しい。
「なあ、花澄」
「ん?」
 雄一はレジ袋からおにぎりを取り出すと、私の目の前に置いた。紅鮭。
「何?」
「あげる」
「……なんで」
 そう尋ねると、雄一は太陽のように明るく笑う。
「もっと食わないとでかくならんよ」
「もうとっくに成長期終わってますけど。これ以上のびませーん」
「違う違う。背じゃない」
「じゃあ何? デブになれと?」
「胸だよ胸。まな板さん」
「は? きっしょ」
 私の頭の中にはてなマークが広がる。コイツは何を考えているのだ。彼は戦友のような存在だからいいものの、これを言ったのが喜多川課長だったらとんでもない嫌悪感を抱いたに違いない。尤も、課長はそんなセクハラをするような人ではないが。
「お詫びとしてそこの自販機のパンおごれ」
「やっぱり足りないんじゃん。おにぎり食えばいいのに」
「ん? おにぎりももらうけど?」
「食いしんぼ女」
「黙れ」
 休憩室のパンの自販機。お金がなくて一度も使ったことがなかった。まさかこんな形で使うことになるなんて。
「フライパンにしようかな」
「家電の自販機じゃないんですけど」
「白身魚フライのパンだっての」
 一番高い五五〇円のパンにしてやった。寒いギャグを聞き流し、喜々としながら席に着く。雄一から横領した紅鮭おにぎりとフライパン、そしてコッペパンをかじる。隣では雄一が、ツナマヨおにぎりを不服そうにかじっていた。私はツナマヨの方が好きだから、そっちをくれたらよかったのに。
 でも、今日はツイてるのかも。いつも家から持ってきた残り物の昼食ばかりで、ひもじい思いをしていたのは確かなのだから。心の中でありがとうと雄一につぶやき、せめてものお礼として、ポケットに入っていたガムを一包みだけ彼の前に投げておいた。
 昼の荷物を積み込み、また出発する。
 毎日のように同じエリアを巡回し、荷物を配達していく。狭いワゴン車で、生産者の心をお客様に届ける仕事。楽しいのだけれど、やっぱりもう少し刺激が欲しいのかもしれない。
 高速道路を走るような長距離ドライバーには、ずっと憧れてきた。でも、育児があるから家は空けられないので難しいと思う。
 五時になったのでまた営業所に戻り、残りの荷物を積み込む。また雄一に会った。
「どう?」
「終わりそうにないっす」
「しゃーないよ。運送業はずーっと人手不足なんだから」
 二人で肩をすくめた。色井急便は、しょっちゅう求人看板をそこらへんに出している。喜多川課長曰く、ドライバーがあまりにも足りないらしい。今後、オンラインショッピングなどで宅急便を利用する人が増えることが予測されるにも関わらずだ。この状況は色井急便だけではなく、最大手の運送会社でも同じらしい。
 ドライバーは思ったより給与もいいし、楽しいこともあるのにな。
 でもやはり体力勝負な面もあれば、古い体質なところもある。特に女性には厳しいのかもしれない。実際、私もいわゆるハラスメントなどひどい目にあったことは何回もあるし、腰用サポーターが手放せない。
 そして、世間のブルーカラーイコール底辺と決めつける風潮だってまだ拭えていない。ホワイトカラーのうちでも特に人気の事務職の求人倍率は0.2だと聞いたことがある。こっちにもっと人が来ればいいのに。ブルーカラーに怖い人や低学歴が多いのは否定しないが。
 そんなことを考えているうちに仕事が終わった。
「お先に失礼します! お疲れさまでした!」
 営業所を出て家路につく。早く帰ってご飯を作らなくては。買い物は日向がしてくれているから、ありがたい限りだ。
 託児所で双子を引き取り、小走りで家まで向かう。時刻はすで七時を回ろうとしていた。人気のない道を歩くのは怖い。疎らにある電灯を頼りに、舗装されていない道を走る。
 目の前に自宅が見えてきた。一階の端っこが私たちの部屋…と言っても、私たち以外に入居者はいない。築四十年の木造アパート。家賃二万五千円という安さはかなり需要があると思うのだが、なぜか私たち以外に入居者が来ないことを疑問に思って調べてみたところ、どうやら事故物件だからというのが理由らしい。
 でも、特に今まで幽霊も出たことがないし、特に困ってないからいいや。
「ただいま……って大丈夫?!」
 その時私は後悔した。もう少し早く帰っていればよかった。
 ダイニングに座り込んでいる夏美のほっぺは赤くなっているし、部屋は荒らされている。
 風呂場から出てきた日向は、痛むのか頬を抑えていた。
「またパパとママが来たの?」
「うん。夏美は結構殴られてた。姉ちゃん、聖也と聖奈のご飯は作っといたよ」 
 日向はそういって食卓代わりの段ボールを指さす。そこにはおかゆの入ったタッパーが置いてあった。私は自分の情けなさに涙腺が緩みそうになったが、ぐっとこらえて日向に微笑む。
「ありがとう。痛かったよね。もっと姉ちゃんが早く帰っていれば……」
「姉ちゃんは頑張って働いてくれているでしょ。俺が家は守らないと」
 なんていい子なのだろうか。そして心から両親が憎い。私は日向の頭をポンポンと撫でる。思春期男子にする行動ではなかったかもしれないが、彼は面白そうに笑い、私の腕から双子を取り上げてくれた。
 一応氷嚢を作り、日向と夏美に渡しておく。
 夕食を作る前に、私は冷蔵庫の裏を確認する。そこに存在していたのは埃とコードだけ。隠しておいた三万円は当然ながら奪われたようだ。まあ仕方がない。この三万円は囮になってくれたのだ。
 問題は、畳の裏の三十万円。それさえ奪われていなければ何とかなる。
 寝室に入り、祈るような気持ちで畳をめくる。そこには私の希望が存在していた。三十万円は無事だった。私はほっと安堵のため息を吐き、ダイニングへと戻る。
 そろそろ隠し場所がなくなってしまう。あの両親のことだ。そろそろ畳までひっくり返して金を探すかもしれない。今のところ畳の裏はアイツらの視野に入っていないようだからいいものの……。
 何より、日向や夏美が暴力を振るわれているという現状が許せない。
 児相には何度も駆け込んでいるものの、そのたび両親はしつけのためだと言い張るので相手にしてもらえない。しかも、私が弟や妹を誘拐しているという言いがかりを両親につけられそうになったこともある。
 炊いただけの米に、お徳用パックで売っていたふりかけ。手抜きにもほどがあるが、手の込んだ料理を作ろうとしたらお金も時間も食われる。
「夜ご飯できたから。適当に食べといて。姉ちゃんは聖也と聖奈とお風呂入るね」
「お姉ちゃん大丈夫? 二人のお風呂私が入れようか?」
 夏美が心配そうな面持ちで近づいてくる。私は彼女の頭をなでながら首を横に振った。
 最近、夏美は私の顔色を読んでいる気がする。私と話すときに怯えた目をすることも増えたし、やけに積極的に手伝ってくれる。もしかしたら、自覚がないだけで彼女たちに当たったりしていることもあるのだろうか。
 姉失格だ。
 ぷにぷにとした二人の赤子を洗いながら自己嫌悪する。
 それにしても、この二人は私たちに似ていない。当たり前か。
 だって父親が違うのだから。
 五か月ほど前のこと――。

「花澄―?! 開けんさーい!」
 母親が突然ここを訪ねてきた。
 どうせまたお金を取られるのだろう。そう思い、身震いしながらドアを開けた。すぐに開けないと蹴破られてしまうのだ。
「何? というかどうしたのその子たち?!」
 母親は生まれたての赤子を二人抱いていた。そっくりだったので、双子だとはすぐにわかった。
「私の子。生後三か月。というわけでよろしく」
「は、え?!」
 そういって母親は私の腕に双子を押し付けて去ろうとした。私はあわてて呼び止める。
「ちょっと待ってよお母さん!」
「何? 私はこれからジュンくんと約束あるんだけど」
 ジュンくん。母親の不倫相手だ。しょっちゅう家に来るので、顔はわかる。しかも、ダイニングでセックスを始めるので困っていた。日向と夏美に、あまりにも悪影響すぎる。
「一応聞くね。この子達は誰との子? お父さんとの子? それとも……」
 ジュンくんとの子? 
 私が聞くと、母親はおかしそうにケラケラと笑う。そして私の頬をいきなり平手打ちした。
「痛っ!」
 そして母親は私に顔をぐっと近づける。酒臭い。コイツ、昼から酔っているのだ。
「あんなクソ男と今更子供を作ると思う? じゃ、ジュンくんに会ってくるから。その子たち、死なせるんじゃないよ。死なせたら全部お前のせいだ。健診には私が連れていくし、服だって買う。でもそれ以外は全部お前が世話をしろ」
 母親は早口でそうまくし立てると去っていった。腕に残った赤子。服には「聖也」「聖奈」と書いてあった。私は絶望しながらも、ベビー用品を買いに行くことにした。

 ……ということがあったのだ。
 今でも母親はジュンという男と不倫している。父親に至っては娘である私より年下の女子高生と援助交際をしているし、職場の事務職の女性と関係を持っているらしい。夫婦そろってお似合いなこった。
 夫婦関係は冷え切っているようだが、離婚はしないみたいだ。
 母親は中卒で、十六歳で私を産んでからはパートとして働いている。父親に頼らないと生活ができないらしい。ジュンも中卒で、生活保護を受給している。といっても母親曰くパチンコに溶かしているとのこと。
 でも、この子達に罪はない。できれば、ちゃんとした大人に育ってほしいし、お金を貯めてせめて公立高校くらいには行かせてあげたい。日向や夏美もそうだ。本音を言えば、本人が望むのであれば私立の医学部や海外留学にでも行かせてあげたい。
 だけど、あまりにもお金がない。やっぱり早く高認を取って、通信制か定時制の、何か手に職をつけられる大学や専門に行こう。そして転職しよう。いや、大型免許を取る方がいいか? でも、今はこの仕事を一生懸命やった方がお金がたまるのは早いのかもしれない。とにかく、キャリアアップを目指さなくては。そうすれば、3LDKの部屋に住むことや、テレビや勉強机を買うことも夢じゃない。両親からも逃れられる。
 私は少しの希望に胸を膨らませた。
 そういえば、ここよりもさらに田舎だけど、3DKで広い物件をネットで見つけた。しかも、家賃は三万五千円と少し高くなるだけ。もし日向と夏美が転校に抵抗がないのなら、そっちに引っ越すのもありかもしれない。
 だが、私が未成年誘拐で訴えられる可能性も無きにしも非ずだ。そうすれば子供たちは両親のもとに戻されてしまう。大体、この国は親権が強すぎるのだ。
 綺麗になった双子。何も知らないその瞳を見つめ、私はうなずいた。
「日向―、夏美―?! どっちかよろしくー!」
 風呂場のドアを開けて、慌ててきてくれた夏美にタオルで包んだ双子を託す。
 七月になったので、三日に一回シャワーを浴びられる。これはマイルールで、子供たちは季節問わず毎日シャワーを浴びていいが、私は夏場は三日に一回、冬場は一週間に一回のみ。水道代だってぎりぎりまで切り詰めないといけない。幸い、営業所にシャワールームがあるので、私は毎日のようにお世話になっている。 
 同じ理由で、スマホの充電も一日一回、50パーセントまで。
 固くなった石鹸で髪を洗う。リンスインシャンプーとボディソープならあるが、それも子供たち専用だ。
 私が我慢すれば、みんなはちょっとだけ幸せになれる。
 そのちょっとだけの幸せを、子供たちにはもっと味わってほしい。


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