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悲しいメトロノーム 第6話

 こんなに広いお店、初めて見た。
 田舎のスーパーで価値観がストップしている私にとって、そこは謎の組織のアジトかと錯覚しそうになった。
「豊洲ってこんなところなんですね……」
 あれから私は紫苑さんにメイクを施され、綺麗な白いワンピースを着せられ、髪を巻かれた。魔法にかかったかのように心がわくわくする。
「うん。私は丸の内の方が好きだけどね。まああそこは千代田区だし」
 ガラス張りの天井から差し込む夕焼けに圧巻しながら、長い長いエスカレーターに乗る。辺りを歩く人はお洒落な人ばかりで、高級感のあふれた紙袋を持っている。皆楽しそうだ。
 エスカレーターを下りて、紫苑さんに連れられるまま、服屋さんに入った。白基調の、可愛らしくも気品も感じるお店だ。
「あっ! 月島様、お世話になっております」
 入店した途端に、若い女性の店員がこちらに駆け寄ってきた。ネームプレートには「店長」と金色の文字で記されている。
「いえいえ。突然来てしまってごめんなさい」
「あれ? そちらの方は? お子様いらっしゃいましたっけ?」
 茶髪のアップスタイルをした店長がこちらにほほ笑みかける。東京には綺麗な女の人しかいないのかもしれない。
「ああ、この子は親戚の子で、うちに遊びに来てるんです。夏休みですから」
 流石に「この子の親が心中したから引き取ったの」とは言えまい。紫苑さんの心遣いにほっとしながらも、私はまるで子犬のように彼女の後ろに縮こまる。
「そうなのですね! 月島様のご親戚だなんて羨ましいです。お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「は、速水有栖……です」
「では速水様にお似合いのお洋服をお探しします。何かお好みの系統はありますか?」
 ファストファッションしか選択肢のない田舎に生まれた私には系統と言われてもいまいちピンと来なかった。
 よくSNSで見る、甘々な格好をした量産型の服は似合うわけが無いし、きっと流行りの韓国系の服も似合わない。
「と、特にないです……」
「おすすめで!」
 私が言い終わる前に、紫苑さんが隣ではしゃぎながら言った。それに少し引きながらも、店長はにっこりとほほ笑んだ。
「ではこちらにご案内いたします」 
 
 あれからやたらと広い試着室に通され、まるで着せ替え人形のように服をとっかえひっかえされた。
 そのたびに店長は「お似合いですよ、速水様」と言い、紫苑さんは「かわいいじゃん! 似合ってる!」と言った。全く変わらない表情と声色で。店長がお世辞を言うのは当たり前だが、紫苑さんにはちょっとくらい気を使ってほしかった。
 結局買ってもらったのは白色のワンピース。これ、どう考えてもかわいい子しか着れないでしょ。紫苑さんのカードで決済してもらったのだが、その値段が4万円と、まあ田舎者の中学生にはびっくりな金額だった。そんな金額を顔色一つ変えずに支払う紫苑さんにもびっくりした。
 夜景の綺麗なレストラン。窓の外をぼーっと眺めていると、目の前の美女がにっこりとほほ笑む。
「どう、ここは?」
 慣れた手つきでナイフとフォークを使う紫苑さん。その顔は、夜景に照らされるとやけに色っぽく感じる。もともと色っぽいけれど。
「楽しいです……。けど」
「けど?」
 のどが渇いたので紅茶を口に流し込む。すると、紫苑さんの柔い指の腹が、私の唇をまるで愛おしむような手つきで、官能的に、煽情的に拭った。零れた紅茶の水滴をぬぐっただけだろう。だが私には少々刺激が強く、顔が赤くなっていくのが触らないでもわかった。白昼夢を見た気がした。
「……やっぱ、なんでもないです」
 紫苑さんの顔を見るのがなぜか恥ずかしく、私は照れ笑いをした。
 食べかけの白身魚のムニエルを、ぎこちない手つきで口に運ぶ。甘くておいしい。だけどさっきの紫苑さんの指のほうが甘かった。
 紫苑さんはただ黙って私を見つめているだけ。そのピンクゴールドの指輪を、夜の光に厭らしく光らせて。

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