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悲しいメトロノーム 第1話
首都高から見える東京の夜景は、どこか寂しげに見えた。隣県の郊外に住んでいた私にとってそこはまさしく都であったが、実際にこうして見てみるとこんなもんか、と落胆する。煌びやかな光からは、感情を感じることができない。
数少ない暖色の東京タワーでさえどこか冷たさを感じる。そう言えば、10年くらい前の地震のアニメであれが倒れていたっけ。今はあんなに、我こそが東京の象徴とでも言いたげに輝いて見えるのに。
私との対比のように思えてきて、闇に包まれた芝公園に目を落とす。すると運転席の名も知らぬ女……ヘビースモーカーがこちらに話しかけてきた。
「どうよ、東京は。有栖ちゃん」
名前を呼ばれたので彼女の方に顔を向ける。 金髪の巻き髪がネオンの光に反射して眩しい。
私とヘビースモーカーが出会ったのは数時間前。初対面である。流石に名前も知らない人について行くのは怖い。というか、この人の全てが怖い。
どこか行きたいところはあるかと訊かれ、東京の夜景を見てみたいと言った私。そんな私のわがままを、彼女は二つ返事で了解してくれた。
だが、期待はずれだった。
「……なんか、寂しいですね」
ダメだ。やっぱり怖い。私はシートベルトをすがるようにして握りしめる。このシチュエーションで、私が緊張しないはずがない。
そんな私を横目で見たヘビースモーカーは、左手を私の頭の上に置く。そして、私の染められていない黒髪を撫でた。まるで犬を撫でるかのように激しく、愛おしそうに私の頭を撫でるヘビースモーカーはどこか楽しそうだった。
「なっ……」
「やっぱ田舎者はそう思うんだ」
「田舎者とはなんですか」
私がヘビースモーカーを軽く睨みつけると、彼女はケラケラと面白そうに笑った。
「まあまあ。ところで君はなんで私なんかに着いてきたんだい? もっとまともな人に引き取られたかったんじゃない?」
ヘビースモーカーと目が合う。目鼻立ちのはっきりした、美しい造形の顔だ。美術館に飾られていそうなほどに。
「それは……」
だって私は見捨てられたんだもん。
渋滞で車が止まった。黙り込む私の顔をのぞき込むヘビースモーカー。至近距離で見た彼女の顔には、毛穴ひとつない。陶器のようにすべすべだ。やはり美術館に飾られるべきだ。
ヘビースモーカーは、いっぱいになった灰皿を見てため息をついた。ガラス製の、脆そうな灰皿。
「……携帯灰皿持ってない?」
何を言っているんだ。私は未成年だぞ。
その意志を、呆れの目線で表現すると、ヘビースモーカーは「ですよね」と呟いて前に向き直る。
「確かに私は君のお父さんと仲良かったけどさ」
ヘビースモーカーはまたハンドルを握った。彼女のようなつけ爪はどこに行けばやってもらえるのだろうか。ネイルサロンというものが都会にはあるらしいが、私にはまだ早い代物なのだろう。
「まあ、父も母も死んでしまいましたし。親戚はみんな、私を拒みましたし。……あなたが最後の砦だったんですよ」
ヘビースモーカーはどうやら、父の部下だったらしい。ほんの1か月前に心中した、私の父と母。親戚にタライ回しにされ、結局私を助けてくれたのは、血も繋がっていない、このヘビースモーカーだった。
孤児の身だし、どんな人に引き取られても文句は言わないつもりだったが、やっぱりこの人には恐怖心を感じる。「お父さんの部下だった人が君のことを引き取ってくれるよ」と叔母に知らされ、もう少し落ち着いた人が来るかと思ったら、このヘビースモーカーが数時間前に私を迎えに来た。
慣れ親しんだ地元の中学や、両親との思い出もある家から離れるのは胸が張り裂けそうなほどに悲しく、虚しかった。これも時間が解決してくれるのだろうか。
動き出したかと思った車の群れは、また止まる。東京は車が多すぎて嫌になりそうだ。
「そっか」
ヘビースモーカーは含み笑いで呟く。私はiPhoneを開く。時刻は深夜2時。もう3時間は走ってもらってしまっている。
「眠くないですか?」
私が聞くと、ヘビースモーカーはまたケラケラと笑った。よく笑う人だ。
「私をなんだと思ってるの? 一応こう見えて体力はあるよ」
ヘビースモーカーが煙草を咥えた。煙の臭いに、思わず顔をしかめる。
「ああ、ごめんごめん。未成年の前で吸うなんてダメだよね」
「別に、私がお願いしてここまで来てもらってるんだし、いいですよ」
夜景が流れていく。汚染された海に映る、綺麗なビルの輝き。
「……それに、これからお世話になっちゃうんですし」
途端、視界が真っ黒になった。多分、ヘビースモーカーのスーツの布地だ。彼女の腕は、私の頭に回されている。そこまで確認してようやく、今ヘビースモーカーに抱きしめられているということを理解した。
身体が小刻みに揺れる。しゃくり声が聞こえる。
「もしかして、泣いてます?」
「……それは有栖ちゃんでしょ?」
泣いていたのは、私だった。
ヘビースモーカーは、煙草の臭いが染みついたスーツで私の体を抱きしめる。そして、私の背中をさすりながら言った。
「何も気にしなくていい。君は何も、何も悪くない」
その時、心臓が明確に熱を帯びていくのを感じた。
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