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#しのログ「値するために」【#16】
難易度の高い本に久々に挑戦、鈴木しのです。
1週目は時代の違いに触れ、2週目は表現手法の違いに触れ、3週目の今週は考え方の違いに触れているようです。我ながら、いいテーマ設定ができているようで毎日新鮮な思いです。
今日の一冊は、梅棹忠夫の『情報の文明学』。
論文、ですね。どなたかの論文を読み込んだのは生まれて初めてになるので、とても楽しく読ませていただいています。という表現が現在進行形なのは、現在進行形だからです。読み進めています。
厚みはそこそこ、書いてある日本語も難儀ではなく比較的読みやすい部類に入るかと思います。ただ、考え始めてしまうとページをめくる手が止まる。
文章が難しいからどうこう、というのではなく、ある種の情報発信に携わる人として、どうあるべきかをじっくりと考察したくなる、という表現がもっとも近しいように感じます。
ということで、今回は異例ながらも1/3あたりでログを書き始めてしまいました。完読することよりも、理解することを大切にしたいという小さな思い入れと共に。
Webコンテンツって、どんな意味があるのだろうと、ふと考える瞬間があります。書籍のようにお金を払って買うわけでもなく、講演会のようにわざわざ足を運ぶわけでもなく。
それでも毎日ひいひい言いながら素敵なコンテンツを作ろうとしている人がいる。どんな意味があるのだろう……と、悲観的な意味を持つわけではなくとも考え込んでしまうのです。
情報を“モノ”と定義するかどうかは、わかりません。でも、誰かが頭を悩ませながら必死に生み出したコンテンツを安易に盗用してしまうことは褒められたことではありませんし、Webの世界でもそのあたりのマナーがよく問題になっています。
と、テレビやラジオを例に出して論じられている内容を読みながら、わたしの頭はWebの存在という論題でいっぱいになっています。
初版が刊行された1999年から18年。情報の在り方はみるみるうちに変化しています。情報だらけの世界の中で、わたしはどんな情報を届けるひとになりたいのか、今一度じっくりと考えてみるのも面白いかもしれません。
そして、この著作も深い理解が必要です。9月以降の宿題として、またすべて読み込んだのちに更新します。
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