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#しのログ「凛とする」【#13】

村上春樹生活2日目。箱根の山よりお届けします。鈴木しのです。

ひっそりと山奥で読む『ノルウェイの森』は、普段よりどことなく澄んでいて、それでいて少し切ないようなそんな雰囲気でした。と、いうことで今日は昨日からの引き続きで『ノルウェイの森(下)』です。作者は、言わずと知れた村上春樹。


いったい何が起きているのか……読み終えた今は、正直そのすべてを理解する必要はないのではないか、そんな風に思います。答えの出ない問いを考え続けることは苦手ではありませんが、多くの状況と情報がめくるめく現れてはフッと消え、たしかな感触を残さないまま、淡く目の前から消えていってしまいました。

目の前からは人が消えて、環境が変わり、それぞれの想いも変わる。想いや考えが変わることは悪いことではないはずなのに、軸が「恋愛」であると人は途端に悩み嘆き、どうしようもない想いの変化に戸惑いながら毎日を過ごしていくことになります。

もしもわたしが、「想いが変わってしまった」と相談を受けたら、「変化は悪いことではないよ」と答えるでしょう。でも、その逆を考えてみます。もしも「相手の想いが変わってしまって別れを告げられた」と相談されたら。「ずっと守るって言ったのに、裏切るなんてね」と批判の言葉を口に出すかもしれません。

そのくらい立場によっても感じ方が大きく異なってしまうもの、それが恋愛だと、わたしは『ノルウェイの森』からそう語られた感じがしたのです。


恋愛をはじめとして、多くの人間関係に触れているこの物語。登場人物が複雑なわけでは決してありませんが、ひとりひとりが強く温かく魅力的に描写されているため、どの人の気持ちにも寄り添うことのできる特異性も感じます。

いつもであれば一人称が「僕」である以上、主人公として語られているワタナベという存在への共感になるはずのものが、場面によっては恋人の直子に、直子の元恋人のキズキに、のちに主人公と恋仲になる緑に、と順々に巡るのです。

そして、そのズレは決して違和感があるものではなく、あくまでも「気がついたら」の範疇で行われるため、振り返ってみるとそうだった、というだけのなんとも不思議な読み方になります。そして、こんな読み方の方が深く物語りに入り込めるような、そんな気がしました。第三者としてでもなく、主人公としてでもなく、場面場面でいろいろな人を楽しむことができる、それが『ノルウェイの森』の楽しみ方のひとつでもあるのかもしれませんね。


なにが正解、なんてことはないけれど、答えを求めながら読み進める。それは、毎日答えを探しながら生きる私たちへ送られた、村上春樹という作家からの柔らかくて繊細なメッセージのようにも感じられました。

明日は、そんな村上春樹訳の名作、トルーマン・カポーティの『ティファニーで朝食を』です。



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