見出し画像

#しのログ「奥から、五感を揺さぶる」【#8】

そう遠くない青春時代を思い出すと、あまりに多すぎる複雑な感情の波が押し寄せて、いてもたっても居られない気持ちになる……鈴木しのです。

2週目に突入しました。綿矢りささんの作品が2日間にかけて続きます。今日は『蹴りたい背中』。


今日この本を読み終えたのは、午後9時。いつもと同じであれば、読了後そのままパソコンを開き、キーボードをひとつひとつ確かめるように叩くのがルーティーンです。今日もそうするはずでした。

先週読んだ7冊の本も、ひとつとしてつまらなかったものはありません。脳みそがフル回転してしまったために翌日の朝まで眠りにつけなかった日も、決して珍しくない1週間でした。静かに燃える炎のような感情が立ち込めていたのです。


一方で、今のわたしの中にある感情は、どうにもこうにも言葉にすることが難しく、何かを言いたいはずなのに口を噤んでしまいます。そして、読了後なにも書けないまま、今ここで2時間が経過しました。

なぜ、こんなに感情の波が押し寄せるのか。理由はたぶん、過去の自分と照らし合わせる場面が多いからでしょう。情景・性格・心境、それら全てに対して「わかる」と言いたくなるのです。よく聞く言葉を多用するとしたら、「エモい」という表現が相応なのかもしれません。感情のエンジンを吹かすために“綿矢りさ”が選んだ言葉の数々は、効果的過ぎました。

なにかの言葉に反応するとき、わたしは心の中に“タン”という響きを感じます。どの本を読んだとしてもその音は聞こえ、やがて静かに去る。はずなのですが、今日に限ってはどうも去ることがなく、積み重なる……そして、“タタタタッ”と小粒の雨のように次々と降り注ぐ。軽くて重たい言葉の数々は止まることがなく、本を閉じるまでの90分間、常にシトシトと降り注がれていました。言い回しは現代的で軽いノリを持ち得ているのに、持ち合わせている意味そのものは深く、そして重たい。

また、五感の表現がただでさえ高ぶる感情の満ち引きをより一層引き立てます。冒頭の「さびしさは鳴る。」から始まり、末尾の「はく息が震えた。」まで、活字のはずなのに五感を揺さぶる表現ばかり。純粋に、感情が追いついていかなくなりそうなほどの、心地よい苦しさを覚えました。


そして、登場人物の心の動きも気になります。

「クラスに溶け込むことのできない高校生の長谷川初美(ハツ)と、同じく“余り物”になっていた、にな川智の感情を描いた青春物語」という、少し雑な要約を踏まえた上で。

久しぶりに「恋愛」と「仲間意識」という、めんどうでもあり青春でもある、学生らしい感情を呼び起こされました。「好きだけどキライ」、「一人がいいけど、ひとりぼっちはイヤだ」。相反するふたつの感情の波が訪れるのも、思春期ならではと懐かしくなります。

物語で登場する、ハツがにな川の背中を「蹴りたい」という感情は、好きを気がついてもらいたいのかもしれませんし、好きと気がついた自分自身を蹴りたいのかもしれません。「素直」と「強情」の感情のハザマと、わたしには感じられました。

同年代の人とは一線を画す性格を持ち合わせたハツとにな川。学生時代のわたしと、今わたしが大切にしたいと思っている人に、どことなく似ている上……その上、“智”という名前まで同じくしていました。物語そのもの以外にも、響く要素が多すぎたあまり、感情の収集がつかなかったのかも、しれません。


19歳でこの作品を書いた綿矢りさという作家さんの魅力にグッと引き込まれつつ、引き込まれすぎつつ、明日の『勝手にふるえてろ』にそのまま感情の波をバトンタッチしたいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?