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#しのログ「懐石料理のたしかな旨味」【#5】
5日目にして、やっと知っているフレーズに出会うことができてホッとしています。川端康成の『雪国』です。
わたしの知っている「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」というフレーズは、冒頭だったのですね。てっきり、クライマックスのおいしい部分での登場と思っていたため、読み始めて1秒ほどで目的を達成してしまったような気分でした。
気づきがひとつ・ふたつ・みっつと湧いたので、感想としてここに記したいと思います。
まずひとつ。普段webの文章を書いていると、「〜ます。〜ます。〜ます。」と続く文章を避けがちになります。「〜です」や「〜った」も同様に、語尾が二度三度と重複することをできる限り避けて構成するように、気がついたらわたし自身は変化していました。
ところが、『雪国』。容赦ない語尾の連続です。「〜った。〜だった。〜った。〜った。〜だった。」まるで、ドラムでビートを刻んでいるかのように。
本来なら読み心地が悪く、テンポが安定せず、億劫と感じるのでしょう。少なくとも、わたしならそんな書き方を選択することはできません。この表記を選ぶことができたのは、感性なのでしょうか。そして、読みやすく、端的なのはなぜでしょうか。
間に含まれる会話が、その流れを切り裂いてくれるように感じました。語尾の重さが少し感じられたところで、上手に切り込んでくる会話が、一定のテンションと文章の繊細さを保っているのかな、と。
ふたつ。わたしだけでしょうか。
「国境の長いトンネルを抜けると“そこは”雪国であった。」となんとなく感覚的に“そこは”と入れたくなるような文章。でも、入れない。
うしろに続く二文のことを考えると、入れていない方が読みやすいのは、確かでした。それでも、原型の文章を書き上げることができるテンポ感、今のわたしには足りません。純粋に、羨ましくもあり、少し悔しくもあり。
みっつ。一冊通して繊細です。言葉の表現は、プレパラートのようでした。(顕微鏡でよく使っていた、薄くてすぐパリッとなる、あれ。)
ストーリーがどう、というよりも比喩表現や形容詞表現に魅せられる文章と感じます。終盤に出てくる火事のシーン、「炎の舌が見えかくれした」って……。“舌”という表現はもちろん、“隠れ”ではなく“かくれ”なんだなぁと、じっくりと味わいながら楽しませていただいてしまいました。
フレンチのフルコースではなく、懐石料理のような本。この表現が、今のわたしにはしっくりときます。
きっと、まだまだわたしの気がついていない旨味があるはずです。絶対に、また新しい発見ができる本。表現の勉強として、重宝します。
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