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#しのログ「読み言葉の美しさを知る」【#1】

日本史が、とてもとても苦手です。

年表が、困ったことに一切覚えられません。


恥ずかしながら、文豪の名前を出されても「いつの人なのか」「どこの人なのか」「何を書いたのか」、あんまり知りません。

ただ、今回読んだ樋口一葉の『たけくらべ』はさすがに聞いたことくらい、ありました。たしか、高校2年生のときの現代文の授業です。小テストの前にブツブツとつぶやきながら覚えました。「樋口……一葉……、五千円札、たけくらべ……に、に、にごりえ……」。一般教養があまりないのかもしれません。


一般教養がないと明確になったのは、今日の夕方に『たけくらべ』を1ページ開いたときでした。第一印象があまりにも古文だと感じました。

そして、ここから。古文といえば、清少納言。清少納言といえば、平安時代。なるほど、樋口一葉は平安時代の作家さんなんだ。そんなびっくりの結論にたどり着きました。一葉さん、本当にごめんなさい。明治生まれと知り、とても親近感が湧いて嬉しくなったことだけ補足させてください。


要約を書くには無理があるほど、筋の理解度が低いまま読み終えてしまいました。「筋がわからないままで読めるの?」と疑問が生じてしまいそうですが、案外読むこと自体には無理がなく。

たぶん、正太さんと美登利さんと信如さんが夏祭りをきっかけにほのかに恋愛をしていました。たぶん。


1〜2ページ読んだところで、さっそく「諦めようかな……」とつらくなったのですが、そこで巻末に掲載されていた俵万智さんの“鑑賞”(書評)の文字が目に入ったため、ペラペラとめくり読んでみることに。

来週、俵万智さんの本は読むことにはなりますが、ここで「鑑賞」を読むことができたことは『たけくらべ』を読み進める上で大きな助けになりました。

本来、本筋がわからなければ読み進めることすら難しい文学作品。恋愛模様を描いた作品ならなおのことです。それなのに、わたしは、読み進めることができました。


「なんにも、むずかしくない。一葉の文章は、すべてが語りの言葉なんだ、と思った。」-この俵万智さんの言葉に出会うことができたからです。

本筋を追うつもりで読み進めると、難しい。知らない言葉が多すぎて、調べているうちに話が飛んでしまうから。それなら、言葉を音にしてみよう、そう思うことができたのです。

実際、発音してみると驚くほどにすらすらと読むことができました。「音で楽しむ文学」であることを、たしかに実感した瞬間でした。


「物語を追うのはまた今度。また物語を追いに、ここへ帰って来ればいいじゃない」

筋が趣深いと感じる作品には、たくさん出会ってきましたが、帰ってこようと思うことができる作品には、なかなか出会うことができません。そんな意味で、出会うことができてしあわせな一冊でした。


この夏が終わったら、また読みに帰ってきます。

一葉さん、また、そのときまで。

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