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#しのログ「美とは、なにか」【#3】
名作は名作でも、難解は難解。鈴木しのです。
3日目の今日は、三島由紀夫作 『金閣寺』。
今回1週目は本当に多くの名著をピックアップして厳選したのですが、もっとも最初に予選通過をしたのが三島由紀夫でした。
深い理由はありませんが、ピンときたからです。「名作の予感がした」というと、格好が良すぎるのですが。昨日とは違い、注釈は20ページ(前日比、33.3%減)といささか安心する出で立ちであることは間違いがありませんでしたが、それはさておき難解なものは難解。そして、厄介。
本編は決して明るい内容ではありません。悲しい気持ちになります。とても。
そんな中、わたしは心に響いたふたつのフレーズを見つけました。
-私が人生で最初にぶつかった難問は、美ということだったと言っても過言ではない。
-美がたしかにそこに存在しているならば、私という存在は、美から疎外されたものなのだ。
このフレーズです。
哲学的な話をすることが好みのわたしにとって、「美とはなにか」だなんて十分すぎるほどの問いでした。
2014年に見た多摩美術大学のパンフレットが、そんなことに言及していたのを思い出します。
「美」とは、想像であり、創造であり、そして喜びだ。
当時はわからなかった、このフレーズの意味も、今ならなんとなくわかるような気もします。おそらく、「美」とは本質的には“芸術”や“アート”の括りだけではないのかもしれません。
言葉、音、香り、色……そんな日常に寄り添うものすべてが「美」の対象であり、今もなお私たちの想像力を掻き立てるのかもしれません。
と、『金閣寺』を読んで出てくる感想としては少し不思議な感じもしますが、恐怖の部分には、あまり触れなくてもいいでしょうか。
金閣寺の美しさと自分を対比し、嫉妬し、ついには金閣寺を燃やしてしまうまで感情が激しく高鳴る主人公・溝口。
囚われた呪縛のようなものから、早く抜け出せますように。
……今、もしも彼が目の前にいたら、「あなたは十分美しい」。そう、言ってあげたいです。
とはいえ、あまりにも美しいものが目の前にあると、目を背けたくなることってあるなと思います。わたしも、自分より優れた作品を見るのはつらくなりますし、自分の作品をクシャクシャに丸めてふさぎ込んだ経験もあります。
そんな経験のすべてが悪いことではないけれど、縛るのも自分。解き放つのも結局自分。
自分次第なのだな、ということだけは、なんとなく気がついてそれなりに大きくなったみたいです。
明日もまだまだヘビーに。森鴎外『舞姫』に続きます。
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