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#しのログ「背筋を、しゃんとする」【#12】

とうとう読む日が来たか……という高揚感を持って、2日間、厳密には3日間、村上春樹祭りが始まりました。今日から2日間は、上下の通しで『ノルウェイの森』の世界に浸っています。

読む前の先入観が苦手なので、読む前から多くの意見を求めないのがわたしの通常の読み方なのですが、今回ばかりは多くの方から事前に感想をいただいていました。「本が苦手なわたしでもスっと読めた」という人もいる一方で、「本当に意味がわからない」や「世界観に馴染めない」など、正反対の意見を耳にすることも。総評すると、好き嫌いがハッキリと分かれる作品なのだそう。


結論から端的に述べてしまうなら、わたしは「好き」側に入ります。ただし、「読みやすい」という理由はあまり入らないかな、という印象を持ちました。ひとつひとつの言葉が心にしっくりくるまでじっとしながら読む、そんな読み方が合っているような気がします。

言葉の持つ自然な力そのものに、気がついたら圧倒されているような、そんな感じ。響くというものではなく、言葉が「留まっていた」。さりげない忘れ物を後々風が教えてくれる、どことない表現が似合うのです……


「じゃあわたしのおねがいをふたつ聞いてくれる?」

「みっつ聞くよ」

ハッとしました。どう捉えるか、ということの違いはあれど、言葉ってこう使うからまっすぐ心に沁み入るのか、と。目を背けたくなるほどのまっすぐさ、いやらしさのない性的表現。アクのない、繊細でピンと張った文章なのです。

だからこそ、何が良かったかと問われても「世界観」や「読みやすさ」とは答えることができません。「なんだろうね……奥まで届く繊細さ、かな」と濁してしまいたくなる。でも、本当は濁したいわけではなく、このまっすぐで優しい言葉の数々を、どう受け止めていいのか、まだわからないのです。


ミーハーなことを感想としてひとつ述べてもいいのなら、わたしはワタナベ・トオル、あなたのような言葉の使い手になりたい。2日前に、『映画篇』の金城一紀のような綺麗で整った文章を書くことができるようになりたいと思ったばかりですが、ライターとしては金城一紀のように、わたし自身はワタナベ・トオルのような、「変っている人間」に憧れを抱いてしまったりも、します。

本編はどこへ向かうのか、いったい何が起きているのか、なぜ大きな出来事に対して淡々とことが進むのか、わからないことばかりですが、多くの疑問を抱きつつも明日の下巻への期待に思いを馳せることにします。

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