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#しのログ「好きだなんて」【#9】

綿矢りさ生活2日目です。「過去も未来も、毎日が綿矢りさ生活ならいいのに」と思うくらいには、好きになってしまいました。今日もまた読了後すぐには言葉にできない未来が見えたので、午前中に読み終えて約9時間の猶予を自分に与えています。心のほてりは、幾分か落ち着いてきました。


言葉が響く瞬間は、本のみならずいつでも“自分の体験との密着度”にあるような気がします。リアリティーがあればあるほど、私たちは共感という感情から親近感を呼び起こす。そんな風に(上手に)できているのかもしれません。

つまり、今日の作品も密着度合いが強く、確かなものだったということでしょう。


綿矢りさ『勝手にふるえてろ』です。

主人公のヨシカが心の中で想い続けるイチ彼の存在と、実際に交際をすることになるニ彼の存在。ふたりが現れたことによるヨシカの心の動きを表現した文学作品です。昨日読んだ『蹴りたい背中』を執筆した当時、綿矢りさは19歳(2003年)。それから時は流れて『勝手にふるえてろ』では26歳(2010年)。描写も高校のクラスから、会社の職場へと移ります。

ふたつの年齢の真ん中にいるわたしは、2日間かけて作品を読むことで上手に感情の移り変わりを感じ取ることができました。と、表現した時点で、ふたつの作品の主人公を同じ人物と捉えたわたしの解釈が見て取れます。


「女の子ってずるい。でも、そういう感情なんだから仕方がない」

ずるいけれど、わかるんだよなぁと過去に思いを馳せながら。ちょうど2年前、好きでもないニ彼と付き合いながら叶うことのないイチ彼への想いを押し殺して苦しんだ日々を、知らず知らずのうちに思い出します。

好きでもない相手と唇を重ねることへの抵抗感、体臭が遺伝子レベルで釣り合わなかったこと、その上自惚れ屋で心配性……そして、どことなく自分と似ているからなおさら苦痛に感じる……。

そんなこと、よくあること。

と今のわたしなら笑い話にできますが、当時のわたしにはできなかったんです。それに、わたしも処女だったし。あ、今もか……


処女の表現、おそらく全国の処女が一斉にうんうんと頷くことでしょう。

「そうそう、それそれ。そういう大切にする感情、男の人たち、わかる?」と、言いたくなってしまいます。もはや、ここまで処女だと“喪失”は相当なビッグイベント。だからこそ、一番大切な相手に任せたいと思うものなんです。わたしも声を大にして言います。「処女ダサい」とか言って揶揄している場合じゃないですよ男性のみなさん。


なんだか。……恋って、うまくできているのでしょうか。

わたしが追う人はわたしでない誰かを追っていて、わたしは好きでもない人から好かれてしまう。こんな奇跡のすれ違い、どんな確率を計算したところで見つかりそうにありません。切ないなんていう感情を通り越して、少し愛おしい気すらします。


なんだかなぁ、とやるせない気にもなりつつ、プシュッとタブを開けてから15分後のそこそこ冷えたビールをグッと飲み干して、終わらない仕事へと戻っていくのです。

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