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優秀になりたい。でも、舐められてもいたい

「若いのに優秀ですよね」と言ってもらうことが多い。すごく嬉しいけれど、正直なところ、違和感がある。わたしの何を見て、どこを見て、優秀と言ってくれるのか。これっぽっちも検討がつかないのだ。


学生時代、わたしはWebのコンテンツ制作やコンサルを行なっている小さなベンチャーでインターンをしていた。毎日、果てのない仕事の山と向き合い、眠い目をこすりながら夜中までPCとにらめっこした。

会社の性格が少し珍しかったこともあり、社員やインターンに関係なく、成果を求められた。どれだけ事業に貢献しているのか。それが、わたしが社内の居場所を作るために必要な、唯一の指標だった。

相当な落ちこぼれだったと思う。初のインターン生として採用してもらったし誰よりも長く勤めていたけれど、成果を出せたことはたぶん無かった(と記憶している)。

それでも、しがみつくしかなかった。どうしてそこまで無理ができたのかと聞かれても答えなんてわかりっこない。ただ、なんとか、わたしを拾ってくれた代表の役に立ちたい。そんな風に思っていたことだけ覚えている。


先日、友人に「周りを評価する能力が高すぎる」と言われた。「しのちゃんの才能かもしれないけれど、周囲を評価しすぎ」と、彼女は続けた。

例を出す。わたしが今多くの時間を過ごさせてもらっているPhotoliは、もう、引くほどにはみんなが優秀だ。デザイナーのさちさんまゆちゃんが作ってくれるデザインは、見ているだけでしあわせになる。あと、ふたりとも、人柄が大好き(主観)。

マーケターのえいじさんは、頭の回転が早すぎてなんかとにかくすごい。知らない世界の話を、見たことのない角度から描くことができる天才だ。あと、人柄も大好き。

書き始めるとキリがないからここで止めるけれど、代表始めフォトグラファーもデザイナーもマーケターもエンジニアも、どう考えても優秀なのだ。

誤解を恐れずにいうと、わたしは彼らと同じ土俵にいることが怖くてたまらない。だって、彼らのように優秀でいられる自信なんて、全然ないのだから。優秀になりたいけれど、到底及ばない。

(Photoliの名誉のために補足すると、編集者としてのプライドはある。Photoliとして発信するコンテンツがより多くの人の元に届くことと、それによって、写真を通して多くの人を幸せにすること。それらにコミットする覚悟もあるし、コミットしている自覚もある)

でも、根本的に、まだまだ優秀なんかじゃない。仕事をする上で必要な自覚と自信は持っているけれど、よくどこかに忘れてきてしまうし、いつもヒヤヒヤしている。


話を元に戻す。「若いのに優秀ですよね」と言ってくれるのは、もちろん年上の方が大半だ。どうしてなのかはわからないけれど、そう見えているのはすごくありがたい。おかげで、小さな背伸びを繰り返しながら仕事ができているのだ。

一方、年下の方、つまりは学生さんから「しのさんのようになれる気がしません」と言われることも、また多い。違和感は、相変わらず生まれる。わたしなんかを遠い存在の人だと思わないでほしいのに、と感じる。

わたしは、優秀になりたい。でも、同時に舐められたくもある。「しのさんにできるなら、自分にもできる」と、そう思ってほしいから。


会社員 の「カ」の字も知らずに、社会に出た。常識がないとよく言われる。きちんと気をつけていないと、すぐ人に失礼なことを言ってしまう。その上、子どもっぽくてわがままだ。決して、できた人間ではない。

数えたくなんてないほどの失敗をして、怒られまくって、信頼も失って、目の前が真っ暗になってゲームオーバーみたいな気持ちを味わって。それでも、なんとか、なんとかって思いながら走ってみたら、かけがえのない人たちに出会えて、助けてもらいながら生きていられている。

努力は必要だけど、特別な才能が必要なんてことはないと、わたしは思う。努力できることが才能だというのなら、そういう才能は必要だと思うけれど。


願って、想って、動いて、続ける。それで得られるものは、想像よりも大きい。優秀にはなれていないわたしの今は、こんな4ステップの連続で成り立っているから。

まだ優秀にはなれないから、地道すぎる形で自分の道を作る。そうして、誰よりも優秀なのに、舐められるくらいに身近な存在になりたいんだ。

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