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【教皇庁†禁書ジャンヌ・ダルク伝】上巻④ナンシーへの旅〜ヴォークルール〜聖カトリーヌ・ド・フィエルボワまでの旅

アナトール・フランス著「ジャンヌ・ダルクの生涯(Vie de Jeanne d'Arc)」全文翻訳を目指しています。原著は1908年発行。

1920年、ジャンヌ・ダルク列聖。
1921年、A・フランスはノーベル文学賞を受賞しますが、1922年にローマ教皇庁の禁書目録に登録。現在、禁書制度は廃止されていますが、教皇庁は「カトリック教義を脅かす恐れがある禁書だった本を推奨することはできない」という立場を表明しています。

目次一覧とリンク集↓↓


Chapter IV.
Journey to Nancy. Itinerary from Vaucouleurs. to Sainte-Catherine-de-Fierbois
(ナンシーへの旅〜ヴォークルールから聖カトリーヌ・ド・フィエルボワまでの旅)

字数が多いため、訳者の裁量で「小見出し」をつけています。


4.1 老ロレーヌ公と、娘婿ルネ・ダンジュー

 ロレーヌ公シャルル二世は、イングランドと同盟を結んでいた。
 いとこであり友人でもあるブルゴーニュ公に悪しき道を歩ませたばかりであった。

 ロレーヌ公の娘婿ルネ・ダンジューは、20歳になったばかりだった。
 騎士道と健全な学問を愛する教養人で、また親切で愛想がよく、気品のある青年だった。
 軍隊の遠征や槍の鍛錬をしていない時は、写本を整理して光を当てることを楽しんでいた。ルネは花咲く庭園やタペストリーに描かれた物語を愛し、詩人として名高いオルレアン公(シャルル・ドルレアン)のようにフランス語で詩を書いていた。

 大叔父で枢機卿のバル公からバル領を譲られ、さらに、義父ロレーヌ公(息子は夭折していた)の死後にロレーヌ領を相続することになっていた。この結婚は、ルネの母ヨランド・ダラゴンの巧みな政略とみなされた。

 しかし、君臨する者は戦わなければならない。

 ブルゴーニュ公は、ブルゴーニュとフランドルの間に、王太子(シャルル七世)の義弟(ルネ・ダンジューは王太子妃マリー・ダンジューの弟)であるアンジュー家の君主が誕生したことに危機感を覚えていた。
 ロレーヌ公の甥で、ルネ・ダンジュー夫妻の遺産相続に不満を持っていたヴォーデモン伯を焚きつけて、戦いを挑むように促した。

 ブルゴーニュ公とフランス王(シャルル七世)の和解は困難なものとなり、こうしてルネ・ダンジューはロレーヌ地方をめぐる争いに巻き込まれることになった。

 1429年、メッスを相手に「りんごバスケットの戦い」と呼ばれる戦争を仕掛けた。ロレーヌ公の管轄を通さずにリンゴ入りのバスケットがメッスの町に持ち込まれたことが戦争の引き金になったため、このように呼ばれた。

 一方、ルネの母親ヨランド・ダラゴンは、ブロワからイングランド軍に包囲されたオルレアンへ食料を輸送していた。

 当時、ルネ・ダンジューは義兄(シャルル七世)の側近たちと折り合いが悪かったが、フランス王国の敵を警戒し、故郷のアンジュー地方が脅かされているときには抵抗していた。ルネはバル公として、親族・友情・利害関係があり、イングランドやブルゴーニュとともにフランスとも結びついていた。多くのフランス貴族たちは、同じような状況だった。

 ルネ・ダンジューとヴォークルール司令官(ロベール・ド・ボードリクール)は友好的で絶え間なく交信していた。
 ロベール卿が、ルネに「フランス王国に関する予言をしている乙女がいる」と伝えた可能性がある。ルネがジャンヌに会いたがり、ナンシーまで呼び出した可能性もあり得るだろう。
 しかし、ルネ・ダンジューは見ず知らずのヴォークルールの乙女のことよりも、自分の宮廷を騒がせている小さな平原と道化師について考えていた可能性の方が高い。
 1429年2月ごろ、ルネはフランスの問題に首を突っ込むことを望んでいなかったし、関心を払う余裕はなかっただろう。シャルル七世の義弟ではあったが、オルレアンを助けるためではなく、メッスの町を包囲するための準備をしていた。


4.2 ナンシー訪問

 その頃、病気がちだった老ロレーヌ公は愛人アリソン・デュ・メイと宮殿に住んでいた。アリソン・デュ・メイは司祭が生ませた私生児の娘で、ロレーヌ公の正妻マルグリット夫人を追い出した。マルグリット夫人は敬虔で高貴な生まれだったが、年老いた醜女で、アリソンは美人だった。アリソンはロレーヌ公の子供を何人か産んでいた。

 ジャンヌ・ダルクがロレーヌ公がいるナンシーへ呼び出された理由について、次のエピソードがもっとも信憑性が高いようだ。

 ナンシーには、ロレーヌ公の正妻マルグリット夫人を呼び戻そうとする家臣たちがいた。天からの啓示を受け、自らを「神の娘」と名乗る聖女ジャンヌの助言を得て、ロレーヌ公を説得しようとしたのである。
 彼らは「ドンレミの乙女ジャンヌは、癒しの奇跡を起こす聖女です」と衰弱した老ロレーヌ公に紹介した。ジャンヌがロレーヌ公の苦しみを和らげ、ロレーヌ公を生かす秘技を知っていることを期待して、ジャンヌを呼び出したのだ。

 ロレーヌ公は、ジャンヌを見るとすぐに、「昔のように健康と力強さを回復することができないだろうか」と尋ねた。

 ジャンヌは、「そのような方法については何も知りません」と答えたが、「あなたは不健全な生活をしているから、自分から生活を改善するまで治らないでしょう」と警告した。
 そして「愛人であるアリソンを追い払い、善良な妻を取り戻すように」と命じた。

 ジャンヌが、「このように言いなさい」と指示されていたのは間違いないが、ジャンヌ自身の本心でもあっただろう。ジャンヌは不道徳な悪女を嫌っていた。

 ジャンヌがロレーヌ公のもとに来たのは、公爵に相応しいからであり、若い聖女は偉大な領主からの依頼を拒めないからでもあり、ようするにナンシーに連れてこられたからである。
 ナンシーに滞在中も、ジャンヌの心は別のところにあり、このときもフランス王国を救うことばかり考えていた。

 ジャンヌは、ロレーヌ公の娘婿のルネ・ダンジューと兵隊たちがいれば、王太子にとって大きな助けになるだろうと考えた。帰る前に、ロレーヌ公に「若い騎士をフランスのために派遣してほしい」と頼んだ。

 あなたの息子さんをください、とジャンヌは言った。

「武器を持たせた兵隊を護衛につけてくれたら、その見返りにあなたの健康が回復するように神に祈りましょう」

 ロレーヌ公はジャンヌに武器も兵隊も、娘婿ルネも与えなかった。
 ルネ・ダンジューはロレーヌ公の後継者で、イングランドと同盟関係にあるバル公でもあったが、それにもかかわらず、まもなくシャルル王の旗下にジャンヌとともに加わることになる。
 ロレーヌ公はこのとき、ジャンヌに4フランと黒馬を与えた。

【※誤字脱字・誤訳を修正していない一次翻訳はこちら→教皇庁†禁書指定「ジャンヌ・ダルク伝」】

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