はるか昔の失われてしまった映画の旅
僕は小さい頃から映画が好きだった。
おこづかいを握りしめ、一人で何駅も先の映画館まで行ったものだった。
当時はサブスクなんてないから、映画を観るには小学生料金と交通費を合わせて一本1000円以上はかかる。
他の友達は文房具や、遊戯王カード、練り消しなんかを買っていたけど、僕は迷わず映画にお金を使っていた。
小学生にとって映画を観にいくのも一つの冒険だった。
片道一時間の道を一人で、電車とバスを使って進んでいく。
いざ映画館についてチケットを買うためには知らないお姉さんに話しかけなくてはいけない。
どこまでもドキドキの連続だった。
ようやく椅子に座り、少し落ち着いていると、照明が落ち、周囲が静かになる。
僕の心臓の鼓動と周りの小さな息遣いだけが聞こえて来る。
そしてどこからか聞こえて来るシンバルとドラムの音。
音は徐々に大きくなり、トランペットの音と共にスクリーンに輝く巨大な20th Century FOXのロゴが現れる。
これから始まる冒険を旅祝福してくれる盛大なパレードみたいだ。
そこからは怒涛の二時間を過ごす。
座っているだけで、女性誌の編集長のアシスタントになったり、魔法学校に入学したり、テロから世界を救ったりする。
映画の旅はエンドロールの後も終わることはない。
帰りの電車で余韻に浸り、家についてからは普段のなんてことのない動作もどこか意識してしまう。
映画の登場人物だったら、こんな風に座るだろう、こんなふうに歩くだろう、こんなことを言うだろう。想像するだけで映画の旅は続けられた。
旅は永遠に終わることがなかった。
けれど突然、この旅に出ることができなくなってしまった。
もちろん今でも映画は好きだ。
でも、スマホやパソコンで、映画を見ても旅に出るあの感覚を得ることはできない。
小さな窓から見る映画は、どこまでも誇張された他人の旅行記にしか見えなくなってしまった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?