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訪れものを、迎えに行く気まぐれに

 今日、祖母の一回忌だった。コロナ渦ということもあり、簡素なものとなった。昭和近くの大正生まれ。四つの年号を生きた大往生だったし、晩年は寝たっきりで会話もできない状態ではあったが、立派な人生だったと思う。旅立ちの日は泣くことなく、見送ることができたのは、最後まで生き抜いた姿を見せてくれたからだった。いつか訪れる別れの日の覚悟をくれたと感じている。感謝しかない。

 数日前のスマホに飛び込んだ訃報に凍りついた。なんで、何があった?腑に落ちない想い、空白の時間に佇むことしかできなかった。
 思えば、元KARAのハラさんの訃報は、凍り付きながらも、やはり無理だったのかという感情に苛まれた。今回の三浦さんに関しては、思ってもみなかった事態だけに、整理がつかないでいた。彼の周りの人たちの心中を思うと、いたたまれない。

 今、憶測でこの事態の原因を考えることはできないし、したくはない。彼を責める気持ちもないけれど、やはり、やがて訪れるものを迎えに行ってはいけないと思う。
 生きていれば、辛いこと、やりきれないことはある。たとえ魔がさすことがあったとしても、気まぐれに人生を終わらせてはならない。その人生に携わった人に悲しみや後悔しか残さない。勿論、そんな気分にさせるために生きてきたわけではないはず。ただ、思いとどまるきっかけがなかったことが無念でならない。

 様々な方々のお悔みの言葉が彼の人格を物語っている。多くの方の記憶、心の中で彼の人生は続いていくことを祈って。数々の作品の中で、名演技を見せていただいたことに感謝して。

 ありがとう、安らかに。

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