見出し画像

特集:冬戦争時の日本陸軍の在芬諜報(Vol.1)

 1939年11月30日、ソヴィエト連邦(ソ連)は突如として隣国のフィンランドへの軍事侵攻を開始。開戦と同時に首都ヘルシンキを含むフィンランドの諸都市にはソ連空軍の爆撃機が殺到し猛爆撃を行い、地上でも国境線を越えてソ連軍の進軍が始まった。

後に「冬戦争」(Talvisota)と呼ばれるこの戦争において、開戦時のソ連側はフィンランド全土の占領を1週間と見込んでおり、世界中が大国ソ連の前に小国フィンランドの消滅は時間の問題と捉えていた。しかし、フィンランド軍の勇戦により戦争は約4ヵ月に渡って続き、最終的には1940年春のモスクワ休戦協定によって一部領土をソ連へ割譲する形で、フィンランドは国家としての独立を死守する事が出来た。

現在のロシア・ウクライナ戦争においても参考とされる事が多い、この歴史的出来事において、日本もまた戦争の趨勢を読もうと研究を重ねていた。

そこで、今回は特集として、日本陸軍による冬戦争時のフィンランドにおける諜報について取り上げたいと思う―

戦間期(1918-1939年)におけるソ連とフィンランドの関係については説明すると非常に微細かつ話が長くなってしまうので大部分を割愛し、冬戦争の直接の原因となった1938年秋のチェコスロバキア危機から解説したいと思う。

ナチス・ドイツが隣国チェコスロバキアに対してドイツ系住民が多いズデーテン地方の割譲を求め、チェコスロバキアの安全を保障していたフランス、そしてフランスと協力関係にあったイギリスとの対立関係を深め、戦争の危機が目前に迫った1938年秋、

フランスと同じくチェコスロバキアの安全を保障していたソ連は自国軍隊の部分的動員(Partial mobilization)を開始し、ドイツ軍によるチェコスロバキア侵攻時には軍事介入を検討していた。

1930年代、夏季演習時のチェコスロバキア軍

この際、ソ連は自国海軍を動員し、1856年のパリ条約において「非武装地帯」と定められていた、フィンランド領のオーランド(Åland)諸島へバルト海艦隊を送り込んだ。この動きはフィンランド、そしてスウェーデン系住民が多いオーランド諸島の情勢に関心を持っていたスウェーデンを警戒させ、翌1939年1月にはフィンランド・スウェーデン間でオーランド諸島の再武装化を認める協定が締結される。

1939年3月3日、ソ連の独裁者スターリンの非公式な特使がフィンランドを訪問し、オーランド諸島に関する提案書を手交した。この提案で、ソ連側はオーランド諸島、並びにソ連国境に近いスールサーリ(Suursaari)島の再武装化を認める代わり、フィンランドがソ連との協力関係の下で、ナチス・ドイツの侵略に対抗する保障を要求した。ソ連の要求はこれに留まらず更に拡大し、フィンランド領のスールサーリ島と4つの島嶼部を30年契約でソ連側が借り受け、その代償としてソ連側はフィンランドに対し、東部カレリア地方の広大な領土を差し出す用意があると言い始めた。1939年4月、日本陸軍フィンランド駐在武官の西村敏雄(にしむら・としお)大佐は東京の陸軍参謀本部に対し、「ソ連側はフィンランド側へ、執拗にスールサーリ島の租借もしくは割譲を求めている。これはバルト海艦隊の補助基地を同島に建設するためだと思われる。2週間の領土交渉の後、フィンランド側はついにソ連側提案を拒絶した」と報告している。

フィンランド・ソ連間で複雑かつ妥協点が見えにくい領土交渉が続く中、日本陸軍は美山要蔵(みやま・ようぞう)中佐をフィンランドの首都ヘルシンキに送り込み、領土交渉の状況を探らせていた。美山は「日本陸軍フィンランド駐在武官補佐官」の肩書で、1939年9月8日から10月24日までフィンランドに滞在し、情報収集の為にフィンランド政界や軍の参謀本部に接触していた。中でも、彼の重要な情報源とされたのは「フィンランド・日本(芬日)協会の会員である元駐日フィンランド外交官」で、この人物は恐らく初代駐日フィンランド公使のグスタフ=ラムステッド(Gustav Ramstedt)では無いかと思われる。しかし、フィンランド側はソ連との領土交渉に関して厳重な情報統制を敷いており、美山は外交機密を入手する事は出来なかった線が濃厚だ。

ヘルシンキ市内、コルケアヴオレン通り(Korkeavuorenkatu)21番地の旧フィンランド軍参謀本部。

美山の帰国直前の1939年10月7日、ソ連の首都モスクワではソ連外相モロトフがフィンランドの駐ソ公使を呼びつけ、フィンランド側がソ連の領土要求を拒絶する場合、戦争も辞さないと警告した。実は1939年7月末の段階で、ソ連の独裁者スターリンとソ連最高会議は対フィンランド戦争を承認しており、ソ連側によって領土交渉決裂=軍事侵攻という構図はすでに作り上げられていた。(続く)






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?