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詩|短篇小説

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ひさしぶりに詩を書きたくなりました。昔はよく詩で表現していたのに、しばらく散文ばかりで。これからはまた、自然にことばを紡いでいけたらと思います。散文詩的なごく短い読み切り小説も、… もっと読む
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#クリスマス

「コトリはキセキを信じていたい」をNOVEL DAYSで公開しました

 noteで公開していたクリスマス向けの短編小説「コトリはキセキを信じていたい」をNOVEL DAYSのほうでも公開しました。  よろしければご覧くださいませ。  noteで公開している同作はこちら。(テキストは同じです)  2年前に書いた作品です。  なんとなくこれまでnoteだけで公開していましたが、ふと思い出し、NOVEL DAYSのほうにもページをつくってみました。  もうすぐアドヴェントですし、多くの人に読んでいただければ幸せです。 ◇見出しの写真は、みんなの

短篇|Christmas Eve〈クリスマスの夜〉

 いつものように星がきれいな夜だった。しかし正確にはいつも以上に、いや特別に、とびきり美しい夜だったことを、少年は知ることになる。  ベツレヘムの郊外で、彼はその夜も野宿をしながら、仲間と交代で羊の番をしていた。やわらかな毛に覆われて、むくむく太った羊たちが獣に襲われないように。盗賊に盗まれないように。やんちゃな1匹が群れからはぐれないように。  汚れたマントにくるまって、大きな岩に背中をあずけ、少年は満天の星空をながめた。ちらちらと瞬く光が今にも天からこぼれてきそうで、

第三アドヴェント ~助ける手

人を助けるのはむずかしい 助ける、ということと 甘えられることとはちがうから さしのべていた手を はなすタイミングをまちがうと 大きな傷を負うことだって あるでしょう あるいは 傷を負う覚悟もなしに 手をのばすなんて かるはずみなのかもしれません そもそも 人が人を助けようだなんて 傲慢といえるのだろうけれど 助けられるのに助けない そんな選択ができるほど わたしは器用ではないから さしのべられる手があるなら そうしたいと考える だけど とうてい自分には助けられない 無

音声化作品|コトリはキセキを信じていたい

私の短編小説「コトリはキセキを信じていたい」が、素敵なオーディオドラマになりました! noteで知り合った秋さんが、音声化を企画して、プレゼントしてくださいました。とても、とてもうれしいです。 声優は、守山愛泉さん。 私の文章から、声によって美しい世界をつくり上げてくださいました。 秋さん、守山愛泉さん、本当にありがとうございます! 絶望の中に光が灯る、クリスマス・イヴの物語。 11分ほどのドラマです。みなさまどうぞ、ご堪能ください。

短篇|コトリはキセキを信じていたい

 奇跡なんて信じない。コトリは電飾の消えたクリスマスツリーを見上げた。銀色の天使のオーナメントや、金と赤の玉飾りが暗がりにぼんやり浮かんでいる。  つい1時間ほど前まで、この小さな教会はイヴの礼拝でにぎわっていた。クリスマス・キャロルが響く中、コトリは一般参加者として紛れこみ、ベルタワーの階段に隠れて人びとが帰るのを待っていた。  館内はすでに静寂に包まれている。階段に腰掛けて、彼女はスマートフォンの画面を眺めた。  人気ミュージシャン「ノエル」のSNSは、今日の午後の投稿を

ひとりくらい、いてもいい

大切なひとたちがたくさんいます みんな やさしいひとたちです 私はそのひとたちにとって やさしいひとでいられるでしょうか そのひとたちにとって 私はどんな存在でしょうか いくら考えたって 私にはわかりっこないけれど でも 何か こんな私でも 役に立てるといい そのひとが沈んだら 一緒に沈み そのひとが輝いたら 遠くからみつめ そんな人間がひとりくらい いてもいいかもしれない ◇35年ほど前、高校生の頃に書いた詩です。その後「一緒に沈んだらだめじゃん」と思ったこともあったけ

ひとかけらでいいから

パンドラの箱のように 一度開けたら もう何も もとにはもどらない けれどパンドラの箱に 希望が残っていたように 私にも 残っていないかしら ひとかけらでいいから ◇高校生の頃に書いた詩です。35年ほど前、このころはまだクリスチャンではありませんでした。アドベントのいま、この詩を選んだのは、希望の御子の降誕を祝うクリスマスに、イメージが通じるなあと思ったから。当時(聖書の時代)、格差社会でつらい暮らしをしていた人びとにとって、暗い夜空に輝いたベツレヘムの星は、それ自体がひとか