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海を知って魚になる─『新建築』2018年1月号月評


オフィス以前に海をつくろうとする試み

NICCA イノベーションセンターのインテリア写真にある「光」に,力の入った建築の並ぶ1月号の中でもひときわ,目を奪われました.

解説文中の「熱負荷を地球に還す」「光を冷やす」といった美しい言葉づかいに現れているように,設計チームが「光」を全波長的に捉え,素朴な仕組みでそれらを分解し,選り分ける手つきそのものが建築の総体を一気に立ち上げる,その鮮やかさに感動します.

水深の浅い白砂の海中写真を見るような明るさに満たされた吹き抜けの細部には,家具の分布と同時に計画されたであろうタスクライトが珊瑚礁に集う発光魚のように息づいています.

太陽光のスペクトルを熱や明るさが偏在した様相に変換するのが海なら,オフィス以前に海をつくろうとする試み,と書いたら大げさかもしれません.

けれども,卓越風や地下水の系と「光」の交差する場の立体的展開,とでも言おうか,誌面からは読み解ききれないほど巧妙な防火区画計画とあいまって,人間活動や自然のそれを含めた諸現象の動的な同時存在性がさらりとインテリア化されたかのような写真に見とれました.


海を知って魚になる

このプロジェクトの計画段階で行われた社員を対象としたワークショップのレポートも,興味を惹かれるものでした.それが与件をあぶり出すためのものというよりは,場と使い手に創造的なシンクロ状態を引き起こすための,社員ひとりひとりのマインドセットに向けられているように感じられたからです.

海を知って魚になる.

建築や家具を媒介とした場のあり様が,そうしたシンクロをセットアップしていくためのプログラミング言語として働くようなイメージ,と書いたらこれまた大げさですが,アーキテクチャーの広義な概念とはそもそもそういうもの.

「働く」という具体的な行動の組み合わせでありながら,その実捉えどころのない総体をいったん抽象化して理解や思考の対象とする上で,建築そのものをコミュニケーションのプログラミング言語に重ねていくようなこの感覚は,一私企業のプロジェクトにとどまらない可能性を感じさせるものであるように思います.


巻頭論壇:建築と設計のこれからの中でも,当初は設計チームのコラボレーションについて始まった会話がいつしか,これに近い議論に到達しているように感じられました.

それまで進行役に徹していた青木淳さんが結びで,「社会の要請」という言葉を動的に捉え直す発言をされています.

「社会のあり方が建築(ひいては私たちのあり方)を決めていくと同時に,私たちの活動が社会のあり方を決めていく(時にあり得る建築の構想とは何か)」.

括弧内は僕の加筆ですが,建物を含む構想を,そこでの活動のプラットフォームとしてだけではなく,一種のプログラミング言語のように捉えていくような感覚が,設計チーム内のコミュニケーションを超えて,使い手,ひいては社会の知能として動作し始めつつある.その予感に僕は,2018年の始まりの明るさを感じる,感じたいな,と思いました.


祝祭性や物語性に向けられるディテール

出島表門橋は,そうした予感の例証として示唆に富んだプロジェクトです.

出島の復元は,長崎市が半世紀前から100年スパンで進めている構想なのだそうです.おそらくはその折り返し地点となるこの橋は,全荷重を此岸側で完結させることで,文化財扱いとなる出島側につま先をちょこんとタッチするように架けられています.

特筆すべきは,ラジエター状のフィンで面外座屈を抑え込んだタイトなメインフレームをはじめとしたあらゆる発明的なディテールが,そうした設置条件を満たすためだけに構想されているわけではないことです.

誌面にはプロジェクト構想時から施工時にかけての戦略的な工程表が紹介されています.そこには,これらのディテールが同時に,運搬,設置時に発揮するキャラクター性と,その祝祭性や物語性に向けられていることが示されていました.

橋桁の構造的完結性は,全スパンを工場で完成させた後,運搬設置を公開イベント化するためのものでもあるのです.さらっと書かれた「550tクレーン」という狂気じみた数字に,プロジェクト全体の位置付けの重心が,今ここにある建設だけではない,もっと広々とした視野の中に位置付けられている,その重みを感じます.

130年ぶりに出島に橋が架かる.現実の橋ともうひとつ,そんな時空を架構する建築を構想したこの建築家とそのチームの非凡さは,隣接するキャノピーの溶接しろのチャーミングな扱いにまで徹底して現れていました.


建築の抽象化作用

表紙を飾る荘銀タクト鶴岡(鶴岡市文化会館)もすさまじい建築です.

けれども,ここまで書いてきたような文脈から何かを言うことは難しい.それほどに,添えられた解説文の淡泊さは僕には理解しにくいものでした.

チャレンジングな建築がまたひとつ出現したことにひとり熱くなっているこちらの方が,なんだかぽつんと取り残されたように思えてきて,縋るように読んだのは『新建築住宅特集』1月号の巻頭に寄せられた妹島和世さんの小文でした.

「家について」

と題されたこの短いテキストには,「家」ひいては「建築」という言葉が照らす領域の小ささや大きさについて,書くこととその端から取りこぼしてしまうことへの逡巡そのままといった筆致で綴られています.

漠然としたイメージや想像といったどこまでも広がるものが,柱梁といった数少ない関係性に絞られるのだから,建築とは非常な抽象化と言えるし,曖昧でかたちがなかったイメージの広がりがものに置き換えられるのだから,具体化であるとも言える.

抽象化と具体化.建築にとってそれが同じことなのが,すごくて面白いところ.

妹島さんはそんなふうに書いています.

建築の抽象化作用が,捉えどころのない動的な状況を建築エレメントに具体化する.そこに用いたアーキテクチャ−をワークショップに展開することで,「働く」という別の抽象に具体的な行動を重ねる.

たった今NICCAイノベーションセンターに書いたことが,妹島さんのテキストにオーバーラップします.だからこそ,荘銀タクトにとってのそれがどんなものなのか,言葉を探り当てようとしてほしかった.

同じ意味で,AU dormitoryについてももっと知りたいと思いました.本当なら,この素晴らしく魅力的なレンガ型枠の建築を入口に,京都外国語大学新4号館静岡県富士山世界遺産センタ−,そして荘銀タクトにも使われている木/仕上げ材についても,考えてみたかった.




「月評」は前号の掲載プロジェクト・論文(時には編集のあり方)をさまざまな評者がさまざまな視点から批評するという『新建築』の名物企画です.「月評出張版」では,本誌と少し記事の表現の仕方を変えたり,読者の意見を受け取ることでより多くの人に月評が届くことができれば良いなと考えております!


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