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建築論壇「再び集合へ 都市は柔らかい共同体をつくれるか」北山恒

『新建築』2018年8月号は集合住宅特集です.
巻頭作品は「HYPERMIX 超混在都市単位」北山恒+工藤徹 / architecture WORKSHOP「超混在都市単位」と名付けられた新しいビルディングタイプのもと設計された建築です.
8月号発売を記念して,2018年2月号に掲載された,設計者である北山恒さんの建築論壇「再び集合へ 都市は柔らかい共同体をつくれるか」を有料記事として公開します.ぜひご一読ください!(※本記事写真は新建築社写真部によるものです.図版は掲載当時のもの.竣工してからの様子は8月号に掲載されています!)



目次
●都市の建築という思想
●「江戸─東京」という都市組織論
●〈ヴォイド〉の類型学
●脱・近代に向かう時代の操縦法
●新しい時代の建築類型
●脱・住宅という都市の生活単位:超混在都市単位



都市の建築という思想

建築家は未来をデザインしている.

設計して建ち上がった建物は20年, 30年とその空間を領有し,時に建築家の生命期間を超えて建ち続ける.そして,その建築は都市組織の細胞となって都市空間を構成する.建築そして都市とは,私たちの世界そのものを形づくるものなのだ.だから,建築家は時間的にも空間的にも巨視的な世界観を持つことが要求される.

建築家は現実に都市に手をつっこんで操作することはできないが,都市のイメージを持つことで時空間の拡大した思考を手に入れることができる.ヨーロッパの都市は人間の生命スパンを超えて実体として存在しているから,建築家でなくても,そこで生活する人にはこのような感覚は当たり前なのかも知れない.このような都市では,都市空間そのものがパブリックという概念を表示しており,その対概念であるプライベートも実空間によって定義される.さらに人為の構築物でつくられる都市の存在が,人工的環境の対概念として自然を定義するものとなる.建築そして都市とは,人間世界そのものをデザインしている,そんな存在である.

そんなことを教えてくれたのはアルド・ロッシの『都市の建築』という書物だ.
大島哲蔵と福田晴虔の翻訳で読むこの本は難解でなかなか理解できない.イタリア語版は1966年に刊行されているが,それ以前に書いていた論文を集めたアンソロジーのようなものであったらしい.IAUS(ニューヨークにあった建築都市研究所)から出版された1978年の英語版は,当時のポストモダニズムを理論化する書物として,大きく改編されていたという話もあり興味深い.その背景には,アングロ=アメリカとヨーロッパ大陸の文化の差異があるのだが,日本人である私たちはそれを読み取るのは困難である.この難解な書物は1960年代にムラトーリ学派が展開した都市組織論が下敷きとされているが,モダニズムを批判するサヴェリオ・ムラトーリとは,異なる立場をとるためか,そこにはムラトーリの記述はない.

日本に初めてムラトーリ学派を紹介したのは『都市のルネサンス──イタリア建築の現在』(陣内秀信,1978年)である.そこでは都市組織(tessuto urbano)の概念,さらに建築類型(tipo edilizio)が定義され,建築類型学(tipologia edilizia)が紹介されている.
重要なのは,建築の類型(タイポロジー)とはひとつに閉じるものではなく,同時代に複数のタイポロジーが存在し,それが互いに関係を持ちながら織り合わされて都市という現実をつくり上げること.そして,それぞれのタイポロジーは時間の中で変化する社会的,都市的拘束の中で生まれるのであるが,都市組織の中で多様な関係を持ちながら新しいタイポロジーとして柔軟に変化していく動的なものなのだとされることである.都市組織論は時間の中でタイポロジーの多様性を認め,豊かな都市空間をサポートする開かれた概念なのだ.
この『都市のルネサンス』はイタリアを建築旅行する者にとって最良の都市案内書なのだが,私も本が出版された翌年,数日滞在したヴェネチアの街をこの本をガイドに歩き回った.
『都市の建築』の翻訳者である福田晴虔が

「事実ヴェネチアこそロッシの〈都市の建築〉そのものに他ならない」

と述懐しているが,イタリアの都市空間を歩き回ったことのない者にとって,この『都市の建築』で示される都市の概念を理解することは困難だ.さらに,ロッシは

「都市の中で独立する戸建て住宅は都市要素ではない」

とするが,細粒都市(槇文彦,「細粒都市東京とその将来像」)と形容される,独立した粒の集合でできている日本の都市は,西欧社会から見れば都市要素が不在の都市であると言えるのかもしれない.

この『都市のルネサンス』が出された1970年代の日本では,若手建築家による実験的な独立住宅が数多く提出されている.
1980年代まで続くこの建築的冒険は,現在から見れば日本の地域的建築を生み出す胎動であったと考えるが,この状況を槇文彦は「平和な時代の野武士達」(『新建築』1979年10月号)という小論で分析し,そこに都市に対する視座が不在であるとしている.この論考の前年に出版されているレム・コールハースの『錯乱のニューヨーク』(1978年),そして,ロッシやロブ・クリエ,ロバート・ヴェンチューリの『ラスベガス』(1978年)などを挙げて,

「最近重要だと思われる図書はほとんどすべて本質的には都市論ではなかったか.彼らは都市の文化を論じ,そこから建築の意味を探ろうとしている」

と書かれる.それに対して日本では都市の問題を宙吊りにしていると指摘している.独立した建築の集合としての都市からは,都市組織という概念は生まれないのだ.

1950年半ばから始まる先進諸国での資本主義の進展と,それに伴う都市の膨張は当時の建築思想に大きな影響を与えている.チームXやメタボリズムはこの状況を肯定する中で生まれた建築的運動である.その後,都市の膨張が生み出す問題群が顕在することになるのであるが,ロッシの『都市の建築』という書物が書かれた背景には,経済活動の進展の中で,伝統的街区が機能対応できなくて破壊されていく,それに対する抵抗が読み取れる.

モダニズムという建築運動は,ヨーロッパで始まる市民革命と産業革命を背景とし,さらにヨーロッパ文明の持つヒューマニズムとデモクラシーを基底にしているが,その社会は同時に資本主義という経済活動を支えている.モダニズムとは資本活動の進展と都市の膨張に連動した建築様態なのだ.そして,その資本活動が暴走を始める時に,それを制御する論理として都市論が要請され社会に提出されていたのだが,それは1980年代,建築の表現としてのポストモダニズムに回収されてしまう.


「江戸─東京」という都市組織論

ヨーロッパ世界でのポストモダニズムは,ひとつにはアングロ=アメリカにおける市場主義に対応させる建築の動向であり,さらにヨーロッパ大陸では,文化的コンテクストを取り込んだ地域的愛着を獲得する運動であった.しかし,日本におけるポストモダニズムの展開は,欧米におけるポストモダニズムの外形だけ取り入れられた商業的ファッションでしかなかった.その当時は議論されていないが,建築思想から考えるとポストモダニズムではない脱モダニズムとでも言える,江戸から繋がる文化的コンテクストを取り込んだ日本の地域性を考慮した建築のあり方が生まれる可能性はあったはずである.

ところで今年,法政大学では「江戸東京研究センター」を設立した.

江戸学の研究で著名な大学総長の田中優子と,東京の都市組織を研究する陣内秀信を中心とする研究センターである.
そこでは江戸から繋がる地理的な領域認識,生業・生活や社会制度,都市文化,社会思想などを対象として研究する. 

それは4つの研究プロジェクトで構成されるのだが,そのひとつとして「東京近未来都市研究(Future City Laboratory. Tokyo)」を立ち上げることにした.そこで東京という都市の近未来のイメージを探れないかと考えている.
江戸と東京を「江戸─東京」というワンワードで見る視点が重要である.明治維新は1868年であるが,ジョルジュ・オスマンによるパリ大改造がナポレオン三世の退陣によって終了するのと同じタイミングであり,1871年のシカゴ大火を契機に経済活動を主とした現代都市類型が登場する直前である.今年は明治維新後150年であるが,明治維新は日本という国家のシステムをヨーロッパ文明の社会システムに切り替えた切断面であり,この切断面によって鏡面のように江戸と東京を比較することもできる,と同時に,江戸と東京を横断する概念によって新しい都市文明のコンセプトが創造できる可能性がある.

江戸は武家地・寺社地・町人地に区分される市中の面積の65%を武家屋敷が占め,さらに1,000を超える寺社は15%を占めていた. 武家地・寺社地は共に境内という囲い地として夥しい数の庭園というヴォイドを抱き込んでいた.それは都市の中に庭園という自然をふんだんに持つ,世界史の中でもユニークな空間構造の庭園都市であった.
都市という人工環境をつくりながら,自然と親和する生活空間が用意されていたのだ.明治維新によって江戸は政治的都市から,経済活動を中心とする東京という都市に変容するのであるが,それは連続した変化ではない.社会システムの変更によって急激な人口減があり,拝領地であった多数の武家屋敷は明け渡されるのだが,そこに勝手に住む人たちがいたりして荒れ果てていたようである.
明治政府は「桑茶令」という法令を発令して空地を生産緑地に代えることを指示するほど,当時の東京の都市空間は本当に空洞(ヴォイド)となっていた.

明治6(1873)年に地租改正条例が出され,土地の所有権が法的に認められる.土地の売買や担保化が容易となり,土地の私有財産権が確立することで資本主義に対応する都市に変換する用意が整えられた.
20世紀初頭,シカゴ大学で,19世紀末に北米に登場し急激に展開した現代都市類型を研究対象とする都市社会学が生まれるが,そこでは現代都市の要件として「完全な土地私有制度と自由な経済活動」とされている.この北米とほぼ同じタイミングの明治初期に,現代都市という都市類型を生む原理である社会制度が整えられているのだ. 明治維新後の早い段階で,日本という国家は経済活動を中心とした社会を制度的に支える法整備が行われていたことが分かる.
この現代都市類型は,アメリカ型の産業都市では不動産投資に便利なグリッド状の都市パターンとなるのだが,東京では外形として都市の様相をそのままに,都市のあり方を変えている.それは,囲い地として潤沢に保持していたヴォイドが,その意味を変えながら都市の変化を受け止めていたからである.

東京という都市は江戸から繋がる地形や文化コンテクストが濃密に存在するため,社会制度が変わっても江戸の都市構造を継続していた.しかし, 1923年の関東大震災,1945年の東京大空襲で,都市の中心部の建物はほとんど焼失する.さらに西欧の都市のように連続壁体によって街区が構成されるのではなく独立した建物が粒状に集合しているため,1950年半ばから始まる高度経済成長期には,個別の建て替えが急激に進行した.

そのため,ハードウェアとしての都市組織の細胞は継続されていない.そこでは,西欧における都市組織は存在しないように見える.


〈ヴォイド〉の類型学

江戸─東京の都市形成は,起伏に富んだ豊かな丘陵地の地形を基盤としていることに特徴がある.それは,グリッドや同心円という人為的図式で街をつくるのではなく,自然地形を読み込み,それに応答して尾根道や谷道といった道が通され,街割りがつくられている.そのため,土地の敷地割りや道路パターンは,上物が変更されても継続される.東京の都市の文脈は建物という実体ではなく,それを支えている地形,そしてそれに応答してつくられた基盤構造にある.

そのため東京では建物というソリッドを見ても,時間の中で継続する類型を読み取るのは困難だが,ソリッドとソリッドの間に生まれるヴォイドに注目すると,地割りや道路パターンがつくる江戸─東京の都市構造を読み取ることができる.
それを,建築類型ではなくヴォイドのタイポロジーとして地図上で調べてみると,江戸─東京という時間の中で継続する都市構造が読み取れる.それを,面的ヴォイド,線形ヴォイド,粒状ヴォイドと類型化する作業を大学の研究室で行っている.

左から「面的ヴォイド」,「線形ヴォイド」,「粒状のヴォイド」

面的ヴォイドとは,江戸の武家屋敷が公的な施設(学校や官庁など)に変換したものと,寺社地境内として江戸時代から継続するもので,江戸期から数百年続く大きな空地が読み取れる.都市組織論で言えばモニュメントにあたる役割をしている.

線形ヴォイドは,地形地理と密接に関係しており,人が往来する商店街や道路,自然地形である水路やその暗渠,崖線緑地などの線形を読み取ることができる.この線形ヴォイドは生活に近接して存在するため,コミュニティと深く関係している.開かれたヴォイドは誰でも入ることのできるコモンズなので,人の出会いや接着をデザインできる.コミュニティに関係する都市の要素なのだ.

そして粒状のヴォイドであるが,これは空き家・空き地が生まれやすい東京の都市構造を表現している.面的ヴォイドや線形ヴォイドは人間の生命スパンを越えて継続されているのだが,この粒状の都市要素は明滅するように変化する.

2010年のヴェネチア・ビエンナーレで,「TOKYO METABOLIZING」(『新建築』2010年10月号)というタイトルを付けて,この絶え間なく生成変化を続ける粒状の都市組織を対象としたプレゼンテーションを行った.

そこでは,生成変化し続ける粒状の都市要素で埋め尽くされる東京の木造密集市街地にこそ,この都市の未来をつくる可能性があるとするものである.木造密集市街地を構成する建物の平均寿命は26年ほどである.東京の木造密集市街地は東京都が指定する整備地区だけで7,700haという広大な広がりを持ち,そこは,防災上の問題や未接道宅地,老朽家屋など都市の問題群が集積している.さらに,東京では家族の構成が急速に変化し,単身世帯が半数近くとなり,さらにその細分化が進行している.家族を収容する住宅という形式が不適合を起こしているのだ.

戸建て住宅の変化は,家族の成員の変化に対応するものなのだが,税制などの誘導と経済的理由から変化の方向が決められ,さらに,行政の不燃化などの整備政策と連動したハウスメーカーが用意する住宅商品に置き換えられて細粒都市は継続されている.しかし,それは,資本という大きな権力によってつくられる方向でしかない.そうではなく,家族という集合形式に関係したもっと切実な生活に関わる価値観で変化の方向を操作することができないか. それができれば,粒のあり方そのものを変化させ,都市の新たな構成単位を生み出す可能性がある.その時,生活という自発的意思の集合としての民主的都市が姿を現すのだ.

明治維新以降,日本は近代化という産業を中心とした社会システムをつくってきた.その原理となるヨーロッパ文明が開発した資本主義とは拡張拡大を求める経済活動である.
東京という都市では,この拡張拡大というコンセプトに応答するように人口の再生産を目的とする戸建て住宅で埋め尽くしている.モダニズムの建築とはこのような拡張期の社会を支える建築様態だったのかもしれない.人口がピークを打ち,急激な人口の縮減期を迎える時にどのような都市が未来に構想され,その都市を構成する建築はいかようなものであるのか.


脱・近代に向かう時代の操縦法


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建築論壇「再び集合へ 都市は柔らかい共同体をつくれるか」北山恒

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