建築バカ
親父との思い出は。。。
とにかく怖かった。親父が家にいるとピンと張りつめた空気が漂っていた。
家では笑うこともなく、会話もあまりなく、ひたすら仕事のことを考えていたようだ。
そんな親父だが、工事現場へはよく連れて行ってくれた。建築の現場ではカッコ良かった。そんな親父に憧れて建築を志そうと子供ながらに考えたのかもしれない。
ちょうど、阪神大震災の直後、某建設会社のプリンシパルアーキテクトだった父は、突如会社を辞めた。当時は一切理由を話さなかったが、のちに自分が担当した建物にもたくさん被害が出て、精神的に耐えられなかったと。だから辞めたんだと何十年も後になって聞かされた。
父が副業でこそっとやっていた、設計事務所、建築資料室から、会社を辞めて一応ちゃんとした設計事務所になった狩野忠正研究所の変遷期にスタッフとして一緒に働いた。喧嘩して僕が飛び出してしまうまでの2年間。
仕事の鬼だった。盆正月も関係なかった。
デザインなど自分のやりたい事は何がなんでも実現させる父であったが、こと経営に関する事になると、ホントダメで、まったく売り上げが伸びることはなかった。
建築のデザイン面で手を抜く事はなかった。人の目線から見えないからいいだろうと、屋根の設計に少し手を抜いたら怒られた。鳥がみてるやろって。鳥に対して失礼やろと。
設計コンペなど、ギリギリに神が宿るといって、締め切りギリギリまで図面を書いた。最後の1秒まで諦めることはなかった。
そんな親父も今日で三回忌をむかえた。
建築(仕事)から逃げまくっていた僕もようやく建築と向き合っている。遅すぎだスタートだがなんとかやっていけそうだ。もしかしたら、遠いところから見守っていてくれてるのかもね。笑
写真は親父が好きだった、自邸バルコニーからの景色。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?