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ワークライフバランス。


世間では相変わらず「子どもあり」とか「子ども無し」とか、結婚の必要性に関するそれぞれの立場からの主張や所感に対して、対極にある生き方を支持する人たちとの攻防戦などが散見される。

それらの話題をたまたま目にして思うことは

「他人の生き方なんて、当事者が納得していれば
どーでも良い。」

という気持ちだ。

何度かこちらでも書いているけれど、
私の人生において「子どもを産めて良かった」
と思うことの方が多い。

私は昨年コラムニストとして自分自身が経験した不妊治療についても書いた。
あのコラムを書いた動機も妊娠力が低下する30代半ばに結婚して、子どもを授かるのに一定の時間を要した苦労を「自分の子どもが欲しい」
と考えている人にだけ届けばいいと思いながら書いたし、それなりに反響もあった。

私の長い友人には選択制お一人様もいるし、
あえて子を望まないカップルもいるので、
「子どもが欲しくない」
という気持ちや生き方があることを知っているし、私なりに友人たちの生き方を尊重しながら
付き合っている。

とくに出会ってそろそろ20年が経とうとしている
東京出身の友人は私の結婚式に出席し双子の出産時にもお祝いを包んでくれたが、本人は至って優雅な独身生活を謳歌している。

友人が結婚しない理由について深く聞いたことはない。
長い付き合いのなかで友人の近しい人たちが、独身で子どもなしという人生を選択し、それなりに楽しく生きていることは聞いている。

友人自身もコロナ禍前は数ヶ月に一度は南米を中心とした海外旅行に出かけていて、旅先からマヤ遺跡群や美しいカンクンの海に潜った写真が送られてきたものだ。
帰国したら、友人の旅の話をネタにして美味しいランチをしたりお酒を飲んだりした。

私自身、子どもを産む前は年に一回は海外旅行に出かけていたので、お互いに行った国について情報交換をしたり旅先で起こったエピソードを共有しながら
「次はどの国に行きたいか?」
という話で盛り上がり、それぞれが行きたい国の歴史的建造物やアートについて話す時間自体が楽しかった。

コロナ禍となり思うように旅に出られない時期にも友人は、子育てが終わり暇を持て余している昔馴染みと国内の秘湯めぐりをして楽しんでいたのだから、本当に「自由で人生を謳歌している
」独身生活を送る人は一定数いるのだ。

そんな風に自分の選んだ人生に対して、
満足度の高い人たちというのは、いちいち自分の生き方とは異なる人間を批判しない。

結婚していようがしまいが結局は自分が
選んだ人生への「満足度」が高ければ、
さほど世の中に対して不平不満は抱かないな
だろうな…というのが友人を見ていての感想だ。

対して私は結婚という制度には文句があるが、
「自分の子ども」を産めたことへの満足度が
育てる苦労よりも上回るので、子どもがいる
人生を送れていることへの満足度が大変高い。

「自分に母性があるかわからない」
状態からスタートした妊活だったけど、
授かるまでがんばって本当に良かったと思う。

さて、タイトルの"ワークライフバランス"についてフルタイムで働くようになって意識するように
なった。

私は昭和生まれで昭和の価値観が70%くらい
占めている人間だと自己判断しているが、

【休日はスポンジのような感受性を持つ我が子とたのしく過ごす】

ことにプライオリティを高く置いている。

そもそもフルタイムで働きはじめたのも、
子ども達への教育的投資資金を得るのが一番の
目的だった。

そのプライオリティが崩れてしまう働き方なら、
すぐにでも変えた方がいいと考えているしあと数年で50代になる私としては
「石の上にも三年」なんて悠長なことを
考える時間自体が勿体無いのである。

幸いにも世の中はどの業界も人手不足で、
私も同世代の人たちも同様に空前の
"売り手市場"だと感じる場面が多くある。

自分が人生で大事にしているモノの前提が崩れる
働き方に固執する必要性は全くないのだなあ…と
いうことが分かっただけでもフルタイムで働いた価値があった。

自分自身がこれまで培ってきた経験や人脈が
活かせる働き方に対しては今後も模索していくし、フレキシブルにシフトできる心の準備はいつでもしている。

何を置いても私にとって"双子とたのしむ"
人生であることが何より重要だと、最近つくづく
感じている。


姪が産んだ姪孫を抱いた時、私もわたしの子どもが欲しいと心底思ったなあ。





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