中原中也「汚れっちまった悲しみに……」/遥奈

◆時間旅行シリーズ◆
中原中也さんの「汚れっちまった悲しみに……」を、私なりの解釈で音楽と映像にしました。

皆さんもきっとよくご存知の、「汚れっちまった悲しみに……」に、私がはじめて出逢ったのは小学生の頃でした。
あの頃から時を経て、今、私はこの詩と再会しました。

私は、この表現活動が、「生きていく」という事が、なんだかどうにもうまくいかず、疲れて落ち込んでしまっていた時がありました。
そんなところに、この「汚れっちまった悲しみに……」との再会がありました。
そして、悲しみを様々なものにたとえて伝えようとするこの詩が、新しいメッセージをくれたような気がして、
どうしてもうたにしたくなりました。
叫び出したいほどの後悔や怒りや悲しみが、ないまぜになって込められているような、この詩。
「苦しいよう、悲しいよう」
自分にも、誰かにも、それを叫びたい、泣き喚きたい、
この心地を知ったからには、生涯それを携えて行かなければならないのか!
と、打ちひしがれている姿が、この詩から感じられました。

だけど、中原中也という人には、詩があった。
この悲しみを詩とする事ができた。
悲しみがあったからこそ、「汚れっちまった……!」と、詩によって中原中也さんは嘆く事ができたのではないか?

悲しみの行き場を詩に置いたのではないか?と思いました。

そこで私は「ああ、それだ!それだったんだ」と思いました。
何かをつくる・生み出すという事の本質は、きっとそれなんだと思いました。
自分がそのように苦悩しながら、つくったもの・生み出したものを、
自分が一番に信用してやり、真摯に届けるという事が、一番に大切なのだと思いました。
中也さんが、自分の詩を信じ続けてきたように。

それが、今の私が、中原中也という人と、この詩に教わった事でした。

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