小説: 『一言と横顔』

「ねえ、別れてくれる?」
君が言ったのは唐突だった。

彼女がそう切り出す直前まで、僕らはテレビを見てゲラゲラ笑いながら、柔らかく手を繋いでいた。
握った手から伝わる温かさと、言葉のもつ冷たさの温度差に、僕の頭は追いつかず急に息苦しくなった。

口を開こうとして、閉じることを2回繰り返して3回目、少し詰まりながらも僕は質問をした。

「なんで、どうして今だったの。」

それしか言葉にならず、僕は押し黙ってしまった。
君はどんな顔をしているんだろうか。
こちらをじっと見据える2つの瞳を、見つめ返す勇気を僕は持たなかった。

繋いだ手をほどきながら、言い慣れたセリフかのように君は堂々と話し始めた。

「今がいいと思ったの。今日はずっと楽しかったでしょ。それに晴れてたし。
 だから終わりにするならこんな日がいいと思って。」

あまりにも強くて、迷いのない言葉だった。
どこかに綻びがあって欲しくて、君の髪や指先を見回すけれど、いつも通りの君しかいなかった。

何かを言わなくてはいけないと、必死に言葉を探してみた。
見つかったのは「君が好きだ」とか「一緒にいたい」とか「急に勝手すぎる」だとか、言ってみたところで彼女の心にはさざ波一つ立たない言葉だけだった。

みっともなく言葉を探し続ける僕を、彼女はただゆっくりと待っていた。
長い間、僕は自分の両手を強く握りしめながら、背中を丸めて床を眺めることしかできていなかった。
もっと早く気づいていたはずだ。
僕に言えることは、もう何も残ってはいなかった。

結局君が先に口を開いた。

「ごめんね」

何も言えず、手も足も首も動かすことのできない僕に彼女は謝った。

「こっちこそ、本当にごめん」

僕は癖で謝った。
せめて謝る時ぐらい相手の顔を見なければと思って顔をあげると、いつの間にか彼女は視線を変えていて、面白くもない部屋の壁をぼんやりと眺めていた。

「もういいんだよ」

目も合わせずに横顔の君はそう言った。

その言葉は、今も僕の頭に住んでいる。

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