見出し画像

「時」を迎えるための経緯

こんばんは。

今久しぶりに実家に帰ってきているので、懐かしく幼少期を振り返っています。

皆さん、普通に考えると理解できないような、不思議で霊妙な出来事、神様が働きかけてくださったな、と確信するような出来事があるかもしれませんね。
私もあります。そのうちの一つをご紹介します。


小学校の卒業文集あるじゃないですか?
そのタイトルをクラス投票で決めるんですけど、「時」というタイトルが思い浮かんで、候補にあげたんですね。そしたら多数決で決まって、立候補した自分が誰よりも驚いたという思い出です。

というのは、わたしはおとなしくてクラスでは目立たない子どもだったので、わいわいと過ごしているクラスメイトたちを眺めているみたいな感じだったんですね。なので、普段は大勢の意見に合わせるという感じだったんです。

今でもその時の感情をよく覚えているんですが、絶対に卒業文集タイトルが「時」に決まってほしい!と強く思いました。

何故か。普段はそこまでこだわりがないのに。不思議ですよね。

そのときはわからなかったのですが、今振り返って悟って感じるのは、神様の考えと私の考えを霊感でつないでくださって、私の人生の大きなテーマになるこの「時」を、幼く若い時から意識させて、実際に時が来たら迎えることができるように準備させられたんだな、ということです。

元々私の家は仏教で、大学生の時に友人からのすすめで聖書を学び、キリスト教福音宣教会で御言葉を学ぶようになりました。

この出会いが、私と神様、私とイエス様、主との出会いの「時」でした。神様は、創造主として137億年以上をかけて、天地万物と人間を創造され、そして人間を愛して、長くも長い歴史を準備されてきたと学びました。特に、メシヤ・イエス様がお産まれになるのに、長く準備されたと学びました。

しかし、神様が人間を救うようにと送られたメシヤをましてや人間が無知によって殺してしまった。どのような心情で長い歴史を準備なさったのか、救い主の愛と救い主を遣わされた神様の愛がどれほどなのか、どれほど人間の愛を期待していらっしゃったのか、一つ一つ教えてくださったので、知ることができました。

私の人生の幼い日にくださった一言のキーワード「時」。

この経緯によって心に撒かれた種が、神様が私を呼んでくださったということを信じるように導いてくれました。

他にもさまざまな経緯があります。

神様は、一人一人の人生、どんな瞬間も、愛の対象としてそばにいらっしゃることを知ることができた今は、それを伝えずにはいられません。

救われたことが時代の「しるし」だ。
神様が行なわれた経緯を深く知る人は「しるしの人」だ。
鄭明析牧師の御言葉

皆さまにも、神様がこの時代に遣わされた主の愛を知って迎える「しるし」と祝福がありますことをお祈りいたします。

最後までお読みいただきありがとうございます♡